白雲去来

蜷川正大の日々是口実

酔って沙場に臥すも君笑うことなかれ 。

2017-08-31 12:19:15 | 日記
八月二十六日(土)晴れ。

古い友人のナリポンから、伊勢原の「梨」とニガウリを頂いた。彼の実家が伊勢原と言うことで、隠れた地元の名産を届けてくれる。旬の果物は、味はもとより季節を味わえることが嬉しい。

土曜日、家族が揃って朝食。昨日の鳥をゆでたスープや昆布でダシを取った中に、冷ご飯を入れて「お粥」にした。「安記」には及ぶべきもないが、中々の味である。それに私の好きな鮭のカマ焼き。昼は、家でうどん。夜は、海老フライ、ホタテフライ、レタスと大根のサラダ。お供は「白玉の露」。

酒を飲みながら好きな映画を見ていると、いつの間にか、寝てしまうことがままある。家族に見つかると、「また食卓で寝ている。布団で寝なさい」と追い立てられて、仕方なく布団に入る。その時に、つい口から出るのが、「酔って沙場に臥すも君笑うことなかれ 古来征戦幾人か回(かえ)る」との王翰の有名な「涼州詞」の一節である。

愚妻は生意気にワイン好きである。と言っても別段、高い物なのではなく一本千円程度の物、それも赤ワインを飲む。前述の「涼州詞」の前節は、「葡萄の美酒夜光の杯 飲まんと欲すれば琵琶馬上に催(うなが)す」。

詩に詠まれている「夜光杯」とは、玉で作られた杯であり、中国甘粛省酒泉の特産の一つである。夜、杯に酒を満たして、月光の下でそれをすかすと杯に光があることから、夜光杯と呼ばれるようになった。(ウイキ)どのくらいするのか分からないが、安ければ、買ってみるか。今日も酔狂亭で月下独酌。

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『満州安寧飯店』

2017-08-31 11:25:04 | 日記
八月二十五日(金)晴れ。

戦前の満州や上海を題材にした小説やノンフィクションが好きだ。最近では、『満州国演義・全九巻』(船戸与一著・新潮文庫)が良かった。ただ後半が、日本悪玉論的手法が多く、分かっていても読んでいてダレた。それでも、新刊が出るのがこれほど待ち望んだことは、久しぶりのこと。後は、里見甫のノンフィクション『阿片王ー満州の夜と霧』(佐野眞一著・新潮社)、『上海ラプソディー・伝説の舞姫マヌエラ自伝 』(和田妙子著・ワツク)といった本が印象に残っている。

過日、所用で東京に行く時に、道中で読もうと思っていた本を、玄関に用意しておいたにも拘らず忘れた。最近こう言ったことが多く、つくづく老いを感じてしまう。保土ヶ谷の駅にある書店を覘いたら、文庫本の棚にあったのが、『満州安寧飯店』(岡田和裕著・光人社NF文庫)という本。一瞬、料理本かなと思ったが、満州に侵入したソ連軍から日本の婦女子を守るために、朝鮮の国境に近い安東と言う町で営業した、ソ連の軍人相手の酒場、というより慰安所である。本の帯には「その時、どう生きたのか。軍人でも役人でもない、ごく普通の日本人が体験した素顔の満州と敗戦」。

読みはじめから引き込まれたが、難点は、文庫なので字がとても小さい。普通の文庫本よりも、まだ小さいので揺れる電車の中では難儀した。まだ読了した訳ではないが、印象に残ったのは、主人公が、若い中国人から「日本人は、沢山の発電所や送電線を建設しましたが、日本には持って帰れませんね」と言われた時、なぜか顔が赤らんだ。いずれ日本が満州を去る時が来ると、その中国人は言っているのである。すなわち、正当性の無い日本の満州支配には限りがあると。

一度、日本人の血と汗と涙に溢れた満州を旅してみたいと思っている。そんなことを考えながら、朝食は、赤ウインナー、マルシンのハンバーグ、目玉焼きにキャベツの千切り添え。昼は、ココイチのカレー。夜は、蒸し鶏、チキンソテー、いんげんとジャコの炒め物。お供は「白玉の露」。おとなしく酔狂亭で、月下独酌。

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元寇。

2017-08-31 10:52:53 | 日記
八月二十四日(木)晴れ。

そう言えば、昨日は立秋から十六日目の処暑だった。処暑は「暑さがやむ」という意味で、このごろになると、さすがに暑さも峠を越して、幾分朝夕には涼しさも増す。と言うのだが、暑さが最後にその力を振り絞るのもこの時期である。

朝食は、マルシンノハンバーグ、目玉焼き、牛筋の煮物。昼は、焼きそばパン、茹で卵。夜は、珍しく、ふふふと頬が緩むくらいのカツオ、万願寺とジャコの炒め物、鮭カマ。お供は、「白玉の露」。

処暑の昨日は、日本人にとっては、「アッパレ」三つぐらいの日である。弘安四年の今日、前夜から吹き荒れた神風によって、来襲したモンゴル軍の賊船が、ことごとく海の藻屑と消えた日である。「七月晦日(陽暦八月二十二日)夜半より乾風おびただしく吹きいでて、翌日、賊船ことごとく漂流して海に沈みぬ」と記録にある。これが「元寇」である。

明治二十五年に作られたのが、作詞・作曲:永井建子(けんし)による「元寇」である。

1 四百余洲(しひゃくよしゅう)を挙(こぞ)る
  十万余騎の敵
  国難ここに見る
  弘安四年夏の頃
  なんぞ怖れんわれに
  鎌倉男児あり
  正義武断の名
  一喝して世に示す

2 多々良(たたら)浜辺の戎夷(えみし)
  そは何蒙古勢
  傲慢無礼者
  倶(とも)に天を戴(いただ)かず
  いでや進みて忠義に
  鍛えし我が腕(かいな)
  ここぞ国のため
  日本刀を試し見ん

3 こころ筑紫(つくし)の海に
  浪おし分けて往(ゆ)く
  ますら猛夫(たけお)の身
  仇(あだ)を討ち還(かえ)らずば
  死して護国の鬼と
  誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す
  大和魂(だま)いさぎよし

4 天は怒りて海は
  逆巻く大浪に
  国に仇をなす
  十余万の蒙古勢は
  底の藻屑と消えて
  残るは唯三人 (ただみたり)
  いつしか雲はれて
  玄海灘(げんかいなだ)月清し

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横浜名物「浜なし」。

2017-08-31 10:25:08 | 日記
八月二十三日(水)晴れ。

今日も残暑厳しい一日。朝から、カツオの刺身、鮭のハラス、しじみの味噌汁。昼は、ローソンのハムサンド、茹で卵。夜は、牛筋の煮物、ナスと大根のオイスターソース炒め、小エビと卵の炒め物。お供は、「白玉の露」。

横浜には、「浜なし」という名産品がある。あまり知られていないが、地元では人気がある。しかし生産農家が少ないせいもあって、スーパーなどでは売っていない。専用の販売所か地元のJAの販売所で売っている。それでも午後に行くと売り切れていることが多い。以前、戸塚在住の同志に「グリーンファーム」という所を紹介されて、ナビで探して行ってみた。やはり売り切れていた。

がっかりしていたら、夜にFBFの杉浦里美さんから、「浜なし」と「浜ぶどう」を届けて頂いた。おお天は私を見離さなかったか。午後からお世話になった方へご挨拶。その後、歯医者。帰宅してからは、静かに、ひたすらに酒と戯れた。

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尊攘義軍の七十二年祭。

2017-08-31 10:09:40 | 日記
八月二十二日(火)曇り。尊攘義軍七十二年祭。

今日は、東京芝・愛宕神社境内「殉皇十二烈士女之碑」前にて、尊攘義軍十二烈士女七十二年祭が執り行われた。慰霊祭を主催する「尊攘義軍顕彰会」は、民族革新会議の犬塚博英議長が務め、顧問に山口申先生が名を連ねている。

昭和27年に建立された尊攘義軍「弔魂碑」にはこう記される。
『弔魂碑』
昭和二十年八月廟議降伏に決するや蹶起して内府木戸邸を襲ふ 
転じて愛宕山に籠り所在の同志と呼応 
天日を既墜に回さむとする者即ち尊攘義軍十烈士 
しかれども遂に二十二日午後六時相擁して聖寿万歳ととももに手榴弾を擲ち一瞬にして玉砕す 
時 俄に黒風暴雨満山を蔽ふ
二十七日払暁同じき所に坐して二夫人従容後を逐ふ
忠霊芳魂永遠に此処に眠る 遺烈万古尽くる時なからむ

天なるや秋のこだまかとこしえに愛宕のやまの雄たけびのこゑ


昭和二十年八月十五日早暁、日本を敗戦降伏という未曾有の事態に陥れようとする元凶として、木戸内大臣を斃すべく立ち上がった尊攘義軍十烈士は、しかし事成らず次の手立てのために芝・愛宕山に立て籠もった。取り巻く官憲との攻防が熾烈を極めるなか、義軍の志士たちは天下の情勢を冷静に見極め「承詔必謹」の大義に殉じることを決めることとなる。義軍のその決意は「陛下の詔に反した罪の責任をとる」玉砕であった。
しかし官憲は、解散を強く要求するなか、二十二日夕刻、義軍に対し発砲を開始する。そのとき、義軍陣地から数発の爆音が轟いた。烈士らは、相抱きあいながら、手榴弾を炸裂させ最期の時を迎えたのである。
自決された、飯島與志雄大人命の辞世「一脈の正気留めて日の本の誇りとともに吾は砕けつ」「神州の不屈をしめす此の正気継ぐ人あらば思ひ残さじ」
また、二十七日早暁には、義軍の二夫人が自刃場所を清めたあと拳銃自決をし夫君の義挙に殉じた。

神社の壁面の老化や諸般の事情にて、弔魂碑が移設された。その移設された初めての場所での慰霊祭に参加。こういう慰霊祭に参加するのは、亡くなられた方たちの慰霊も当然だが、私自身の「腸(ハラワタ)の腐り止め」のためでもある。

終了後に、直会に参加。札幌に帰る電光石火の男、小澤拓也君を新橋駅で見送ってから、二軒ほど転戦して帰宅。

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