白雲去来

蜷川正大の日々是口実

サリーパパの快気祝い。

2016-05-31 12:06:57 | 日記
五月二十九日(日)晴れ。

良い天気、全国的に日曜日だ。と言うのに、朝から機関誌の編集に追われた。機関誌の編集はかなり体力を要する。これは編集をした者にしか分からないと思う。もちろん金銭的にも大変である。確かに弊社の機関誌の年間購読料の一万五千円は高いかもしれない。しかし私の応援費用も含んでいるので、お察しください。年間購読料をお振込み頂いた方には、ささやかな「感謝」の気持ちを提供しています。珍しい軍歌などのCDや野村先生が監修した映画や、ご自身のDVD、運動関係のDVDなどだ。まあ、機関誌を出し続けると言うことは、運動と思って、かつ好きでなければ続けられない。今後とも宜しくお願い致します。

夕方から、トラックから落ちて左肩の骨を折って入院していたサリーパバの快気祝いが、関内の「マリンクラブ」というイタメシ屋で行われた。集まったのは、十名。皆、仲良しさんばかりである。しかし、どうもイタメシなどは浪人の口には合わない。焼酎の肴にもならないものが多い。それでも集まっている皆さんとの会話が、何よりもの肴で、めっちゃ楽しかった。

その中に、脳こうそで手術をした方がいる。今はすっかり元気なのだが、なにせまだ、術後から一年もたっていない。その方のご主人によると、やはり手術の後遺症なのか、たまに「変」な時があると言う。先日も、深夜、自宅の寝室に奥さんがいないので、キッチンに行ってみると、奥さんが、冷蔵庫の前で、グラスを手にして立っている。何をしているのかと聞けば、「アナタの好きなウイスキーのソーダー割を作って貰う順番を待っているの」。多分、先日のサリーズバーのパーティーのことを思い出したのかもしれない。この話をご主人が面白おかしく話しており、私も、皆さんの笑いに付き合ったが、本当はもう少しで泣きそうになった。イタメシ屋の焼酎が薄くて良かった。

良い話だと思った。手術の後遺症があってもご主人を慮っている。ご自身の体のことよりも、ご主人のことを思う、奥さんにとても感動した。本当は、辛いことかもしれないのに、面白おかしく話すご主人の優しさにもグッときた。私ならば、自分のことのわがままで家族を困らせるに違いあるまい。サリーパパも元気になったし、手術をした奥さんも元気になったし、友達も皆楽しいし。あーあ貧乏していても、友達に恵まれているなぁー。と、しみじみ思った。

カメ&アコちゃんたちと、「一休」に転戦してから帰宅。ワインを飲み過ぎた愚妻が大破轟沈。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オバマ、あれまぁー。

2016-05-31 11:34:08 | 日記
五月二十八日(土)曇り。

オバマ大統領の広島の原爆慰霊碑訪問には、賛否両論。で、私はですか。私は、民主党から大統領が出ると、慰霊碑訪問が慣例となり、共和党の大統領もいずれ広島、長崎を訪れるのではないかと思っている。そういった意味では「歴史的な出来事」であったと思っている。いつかアメリカとアメリカの国民は、この非人道的な行為を反省しなければならない時が必ず来る。オバマの慰霊碑訪問を単なるパァフォーマンスと見る人もいるが、腐ってもアメリカの大統領である。パァフォーマンスなどで、慰霊碑訪問などしないだろう。

「謝罪」の言葉がなくとも、慰霊碑に献花をし、祈りを捧げる行為そのものが、他国の人たちは「謝罪」と見るに違いあるまい。と思うのが私の個人的な考えです。それは違う。甘っちょろい。アホな。と思う方もいるでしょうが、それはそれ。違う意見の方がいることは重々承知。それぞれ自分の意見を知らしめるために努力して下さい。他人の考えなどは、参考意見程度にした方が精神衛生上にも良いと思っています。

それにしても核兵器に反対している日本の国民が、その実、アメリカの核の傘の下で平和と繁栄を満喫していると言う、この矛盾。かつての独ソ不可侵条約よりも不可解だなぁー。

そうそう、オバマ夫妻が、二時間ほど行方不明になったとか。帰ってきたときに、覚えた日本の歌を歌っていたらしい。「オバマ、あれま、オバマ遊園地」。どこへ行ったか分かるかなぁー。あっ今はもうないのか。

勉強会の会場の予約や、事務所で仕事をしたり、合間に、大通り公園にて行われている「陶器市」を冷かしたりして、清く、貧しい酒飲みの一日が終わりました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海軍記念日。

2016-05-31 11:15:30 | 日記
五月二十七日(金)雨のち曇り。

今日は、海軍記念日。明治三十八年の今日、日本の帝国海軍は、日本海海戦にて、ロシアのバルチック艦隊を破り歴史的な勝利を収めた。これを記念して、海軍記念日に制定された。 残念ながら、この海軍記念日は戦後になり廃止されてしまった。

日本海海戦の百周年に当たる平成十七年に、弊社の社友・読者の皆さんと横須賀にある「戦艦三笠」を訪れた。日本海海戦の行われた同じ時間に艦橋に立った時の感激は忘れられない。この日、私は必ず、「海の進軍」を歌う。

1.あの日揚つたゼット旗を 父が仰いだ波の上 今日はその子がその孫が 強く雄々しい血を継いで 八重の潮路を越えるのだ
2.菊の御紋のかげ映す 固い護りの太平洋 海の男子の生甲斐は 沖の夕陽に撃滅の 敵のマストを夢に見る
3.御陵威輝く大空に 意気に羽ばたく海鷲が 描く制覇の勇ましさ 僚友よ七度生き変り 波に勲を咲かさうぞ
4.海へ海へと燃えあがる 大和魂しつかりと 胸に抱いて波千里 進む皇国の海軍の 晴れの姿に栄光あれ

G七が開幕し、アメリカのオバマ大統領が広島の原爆慰霊碑を訪問。様々な意味で歴史的な出来事である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

盟友のお見舞い。

2016-05-31 10:58:17 | 日記
五月二十六日(木)曇り。

朝食は、大好きな「舟納豆」。事務所の近くの「AOKI」というスーパーに売っていた。私の個人的な感想だが、今まで食べた納豆の中では「舟納豆」が一番おいしいと思っている。でも高い。一個、二百三十円もする。まあ酒を飲むことを考えたら、たかが二百三十円が高いなどと言ったら、三次先輩にどなられそうだ。

四時に、友人と新宿で待ち合わせて、盟友の折本満氏のお見舞い。折本氏と初めて会ったのは、確か昭和四十九年か五十年頃だ。核拡散防止条約に反対する集いが神社会館で行われ、そこで紹介された。「寅の会」では折本氏が唯一の下戸である。その後、奥さんと一緒に始めた「お好み焼き屋」にも行った。阿部勉さんとも一緒に行ったことがある。

折本氏は、随分と痩せてしまったが、食事をとれるようになったとかで、月曜日に退院するとのこと。久しぶりにゆっくり話せて嬉しかった。別れ際に歳のせいか、感情を抑えるのが大変だった。

御徒町へ行き、駅前の「吉池食堂」に行き、大熊雄次氏、松本佳展君の奥さんらと一献。蕎麦屋に転戦してから帰宅。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

楠公祭へ。

2016-05-31 10:25:18 | 日記
五月二十五日(水)曇り。

赤坂は、乃木神社にて行われる「楠公祭」に出席するために上京。「上京」と書くと何か随分と大変な気もするが、考えてみれば、いや考えなくとも横浜からは隣町に行く程度だ。子供の頃は、東京に行くと言うだけで、何となく身構えたものだが、当然ながら今ではそんな気もしない。

電車が便利になった。ちょっと前までは乃木坂に行くのには、自宅のある保土ヶ谷から横浜に出て、東横線で渋谷に行き、渋谷からは銀座線に乗り換えて表参道、そこから千代田線で乃木坂へ。今では、保土ヶ谷から渋谷、新宿へは湘南ラインで乗り換えなしで行ける。もう二十年も前になろうか、赤坂の七丁目、乃木坂のすぐ近くに事務所を設けたことがあった。野村先生が亡くなられて、赤坂のみすじ通りにあった事務所を閉めて、二年ほど七丁目に事務所を借りて仕事をしていた。

乃木坂を歩くと、その頃のことを思い出して懐かしい。楠公祭の行われる会場に行けば、遠路黒石市から参加した濱田さんや、私の勉強会にも出席して頂いた、千葉さんらも出席していた。ほとんどの参加者は、顔なじみの人たちばかり。まず「太平記」の講義。分かりやすくてとても良かった。「太平記」は吉川英治の物を随分前に読んだことがあるが、原本はとても歯が立たない。もう一度、吉川英治の物を読んでみるつもり。

二分は、神事、終了後に直会。しかし、中座して、濱田氏を囲んで一献会。錦糸町に転戦してから帰宅。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする