白雲去来

蜷川正大の日々是口実

今日も良く飲んだ。

2011-10-31 12:33:35 | インポート

十月三十日(日)曇り。

 珍しく下の子供の布団で寝てしまった。我が家に泊まった京子ちゃんや娘のアイリちゃんなど家族は皆起きていて、私の起きるのを待って朝食。昼に、京子ちゃん親子は帰り、明日締め切りの原稿に夕方までパソコンに向う。

 

 夜は、 昨日に続きカメ&アコちゃん夫妻との一献会。京急は戸部駅近くの沖縄料理屋でたらふく飲んで十一時前に帰宅。

 

 先日、「傍観者効果」について、「中国では、路上で倒れている高齢者を助けると、『お前が突き飛ばした』などと大声でわめかれ、金をせびり取られる、ということがしばしばあるそうだ」ということを書いた。そういえば、小野田寛郎さんが、以前、「正論」誌上にて「従軍慰安婦」について書いた文章の中に、似たような内容のものがあったことを思い出して、スクラップブックを見てみたら、あった。一部転載させて戴く。

 

 「もう六十年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の違いもある。したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も当然変化している。そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていることを幸いに、今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれば、何かが得られると狙っているということだ。

  うーん。やっぱりこれは国民性なのかも知れない。


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自衛隊の危機管理を問う。へのコメント紹介。

2011-10-31 11:41:31 | インポート

十月二十九日(土)晴れ。

 昼から原稿書き。半分終わったところで時計を見れば三時過ぎ。事務所に寄って郵便物の整理など。

 夜は、サリーの知り合いの店の開店祝いに行くために、大工の秀ちゃんを迎えに行きサリーの店へ。サリーパパも合流してお祝いに行く。その後、皆で一軒転戦してから帰宅。

 自宅では、京子チャン親子と、カメ&アコちゃんたちが愚妻と飲んでいる最中。自宅に寄った秀ちゃんも一緒に一時過ぎまで。

 

 二十二日に「自衛隊の危機管理を問う」という題で、松島基地における震災の被害について書いたところ、お二人の方からコメントが寄せられた。本来ならば、私へのコメントは、知っている方以外は、匿名やハンドルネームでのものは決して公開しないようにしている。それが、私に対する激励や支持するものであっても、基本的には何処の誰か分からない人からのコメントは受け付けないようにしていた。

 

 「信念を貫けば十字架が待っている」という野村先生の教えに忠実でありたいし、また自慢することでも、誇るべきことでもないが、私は民族派運動を行なっていることを、決して恥ずかしいと思ったことは一度もない。従って、自分の正体を隠すようなマネだけはしたくないのだ。もちろん様々な考えの人が居ることも承知しているし、仕事の都合上、名前を出せない人のいることも理解している。ただ私は、そういう生き方をしたくないと思っている。

 

 しかし、今回は、自衛隊に関することでもあり、もし間違った情報で愛する自衛隊を傷つけては申し訳ないという思いから、あえてハンドルネームで寄せられたコメントを公開いたします。その方々の、ご指摘とご指導に感謝申し上げます。

 名前:MT-X
コメントの内容

お邪魔します、検索経由で来ました。

 

 さて、松島の件ですが、既に承知済みなので、下記を参照に上で、震災当日、航空機と飛行場の運用、松島基地の位置や部隊の役割等を見た上で判断して頂きたいと思います。

『参議院 第177回 外交防衛委員会 第2号 3/30』『朝雲新聞社 3/24日付 東日本大地震 松島基地の機能回復 津波被害 不眠不休で修復 蘇った"命の滑走路" 救援活動フル回転へ』

『チャンネル桜 【東日本大震災】震災時の松島基地と輸送艦の離島支援[桜H23/4/21] 』『同【井上和彦】現地取材レポート Part3-杉山空将補インタビュー[桜H23/5/16]』

この他にも、航空専門雑誌や、議員の視察レポート等もありますので、ネット検索等で拝見して頂きたいのです。

 

 当日の松島基地は、予定されていた訓練が荒天(降雪)で中止。降雪と同時に震災発生、直後に津波警報(NHK速報では、宮城到達は15時頃)。その後も余震が続き、発進に手間取る航空機離陸よりも、人員防護を優先。基地要員他は庁舎へ避難。

 

 津波による装備を失うも、人員損失は微小で済み、その後の基地機能回復と災害救難を開始。基地機能回復により、他方面からの航空拠点になりました。

 

 「すぐにでも飛行機を飛ばして非難させる。という考えに至らなかったのか」。当日の松島は震度6の強震、更に余震が続きました。高速滑走する航空機を、滑走路の点検なしに強行離陸させれば、本心、又は余震により損傷した滑走路に機体の体勢を崩され、挌挫の恐れ、最悪基地内外への墜落の危険が付きまといます。
 それこそ、「自衛隊は基地隊員のみならず、住民や被災者よりも兵器を先に逃がすのか」「国民を見捨て我先に逃げる自衛隊、やはり軍隊は国民を守らない」等と、朝日等のマスコミや自衛隊を良く思わない政党、団体等はここぞとばかりに非難の集中砲火を浴びせるのは確実。又、単純に思われますが、航空機や飛行場は天候の影響を受け易い乗り物です。降雪による機体への雪の付着は、故障に原因にもなります。

 

 当然、万万が一に事故等あれば、これに対応する地上要員等も津波の呑まれる事になります。そうなれば、救助する側に自衛隊に人的損耗があれば、その後の基地機能回復、ひいては周辺などへの災害救難にも支障が出ていたでしょう。

 

 又、この手の意見としては、「戦闘機」や「基地」の固定概念にとらわれて、自分から調べる事を怠り過ぎ(又は、責任追及のみに終始した自衛隊批判をしたいだけ)の傾向が多いです。当日もそうですが、この件には様々な疑問がありましたので、大手掲示板(2ちゃんねる、他)や航空専門雑誌、国会議員や航空自衛隊等でも議論、抗議などがありました。

 

 名前:狛犬
コメントの内容
松島基地の被害について

 

 多数の装備(つまり、膨大な国民の財産)が津波で失われたのは極めて重大ですが、基地隊員は一人として犠牲者は出ていません。犠牲者は地方連絡部の方で市街地で広報活動中であったり、休暇中のところ地震を受け、勤務場所に急遽駆けつけようとして津波に遭遇して亡くなられています。
 

 3月11日の当日は、週末かつ天候悪化のため、すべての航空機(松島基地は教育任務)が基地に戻り、点検・整備・格納をしていたところ、地震発生と津波襲来となりま
した。お嘆きの通り、航空機を空に上げる選択肢もありましたが、天候不順と基地に帰ってきたばかり、=燃料が無いなどの条件、格納庫に整然と格納中であったことから、緊急時避難を急遽できる態勢ではありませんでした(松島基地司令がいくたびもマスコミのインタビューで語っています)。

 

 装備保全が確かに大切ですが、隊員の生命はさらに大事です。ものは再製できますが、隊員は再生できません。ゆえに、短い時間の仲、犠牲者を出さなかった行動は適切なものです。あの混乱のなか、人も装備も守る行動をしていたら、現場は大混乱でしょうし、そんな状況で、津波に襲われたら、壊滅していた可能性があります。そうなれば、地震後の松島基地による救助活動は無く、多数の国民が犠牲になったことになります。ものよりも大切なのは隊員を含めた国民のいのちです。あしからず


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旧友と再会。

2011-10-29 17:55:29 | インポート

十月二十八日(金)晴れ。

 昼間は、郵便局や文房具屋に行くなど、雑用をこなした。車は使わずに、歩いて回った。健康が第一。いや、いかに酒を美味く飲むために健康に気を使うのだ。

 

 夜は、古い友人で、亡くなられた新井将敬元衆議院議員の秘書をしていた石原せいこう氏と十年振りくらいにお会いした。きっかけはフェイスブックで私のことを見つけて連絡をしてくれて、久し振りの再会となった。

 

 一献会の場所は、藤棚商店街裏の「やまと」。「酒場放浪記」にも登場した、「揚げ鳥」の名店である。ここのオヤジと石原氏は高校の先輩と後輩という関係。六時に待ち合わせて、まず久闊を叙し、再会を祝して乾杯。この「やまと」残念ながら焼酎が無い。仕方ないのでビールから日本酒の熱燗に変えた。

 

 話は、共通の友人知人の消息だが、石原氏が私に聞く人たちのほとんどが幽明境を異にしていた。二人でその人達に献杯。話は、新井将敬氏や野村先生のことなど尽きない。二時間ほどいて関内へ転戦。もちろん「サリーズバー」である。聞くところによれば、大熊雄次氏は二十六日の大行社のお祝いの日に、私と紹興酒を飲んで、そのままヨコハマに泊まったらしい。それでもサリーの店に行ってくれたとは義理堅い。

 

 サリーの店に、サリーパパや鄭さん、ていじ君など馴染みの人たちが集合。盛り上がる。石原氏と、思い出話を肴に一時間ほどいて解散した。いい酒だった。


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どうなっているのか分からん。

2011-10-28 12:57:48 | インポート

十月二十七日(木)晴れ。

 上の子供が、昨日、足を挫いたとかで休校した。珍しく子供と一緒にいて、食事を作ったり、勉強を見たりであっという間に夕方となった。

 

 大分良くなったというので、塾に送って行き、その足で愚妻を迎えに行く。途中買い物。ワイン好きな愚妻にあわして、安いボルドーのものを購入。胃の調子が悪いので、ワインを二杯だけ飲んで、睡眠剤を服用して早目に寝た。

 

 タイの洪水、トルコの地震と、一体どうなっているのか分からん。


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大吼出版の30周年。

2011-10-28 12:52:07 | インポート

十月二十六日(水)晴れ。

 今日は、私が関わっている「大吼出版」の三十周年の記念パーティーがヨコハマの某ホテルにて開催される。祝賀会は一時からなのだが、少し早めの十一時に会場入りした。

 

 正午過ぎから、続々と来賓の方々が参集。大宴会場は、一杯で、正に壮観である。一時に開会。国民儀礼や会長の挨拶、そして丸川仁本部長が「三十年の歩み」を報告。

 次は来賓の諸先生のご挨拶。小林節慶応義塾大学教授、村上正邦元参議院議員、作家の大下英治先生、「月刊・日本」の南丘喜八郎先生がご挨拶された。

 乾杯は、日本皇民党の大島総裁。会場は身動きも出来ないほどで、親しい方が大勢来ていたが、挨拶に行くのも大変だった。三時近くに中〆。発声は大日本一誠会の渡邊謙二会長。

 

 終了後は、群青の会の大熊雄次氏と、「安記」で、小皿料理で紹興酒とも思ったら、考えてみると三時から五時まで休憩。仕方なく「菜香」で飲茶。中華料理のハシゴである。五時過ぎまで飲んで、大熊氏と別れた。その後、愚妻に迎えに来てもらい「やまと」へ転戦。ここでカメちゃんと待ち合わせたが、もうヘロヘロで、一時間ほどで帰宅した。


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