白雲去来

蜷川正大の日々是口実

伊藤博文暗殺成功記念式典だって。

2009-10-31 21:28:38 | インポート

十月三十日(金)晴れ。

 午前中、所用で六本木行き。お世話になっている映像プロダクションにて打ち合わせ。久し振りに、昼の六本木を歩いたが、すっかり様変わりしていて、少々驚いた。アマンドが移転したのは知っていたが、気がつけば交差点にあった書店、誠志堂もなくなっていた。なにか、私のようなオヤジの歩くような街ではなくなってしまったような感じがした。

 今日は、夜も六本木にて大行社の幹部諸兄との飲み会があり、打ち合わせが長引いたら、そのまま、どこかで暇を潰していようかとも思ったが、ことのほか用事が早く済んだので、一旦自宅に戻ることにした。自宅から六本木に行くのには、湘南新宿ラインで恵比寿まで行き、そこから日比谷線に乗り換えをする。以前は、横浜から東横線で中目黒で乗換えをしたが、便利になったものだ。二時過ぎに自宅に戻り、遅い昼食。

 四時半の湘南ラインに乗って再び六本木へ。少し早く着いたので、スタバでお茶。六時より懇親会。体調が悪いので、「伊佐美」や「村尾」の誘惑と戦いながら、ひたすら水を飲んでガマンした。九時近く、小針、村田の両君と共に電車で帰宅。今日は六本木を二往復した。

 そういえば、先日のサンケイ新聞で知ったのだが、明治四十二(一九〇九)年十月二十六日にハルピン駅頭で初代朝鮮総督の伊藤博文が朝鮮の志士、安重根に暗殺されてから百年目となるそうだ。伊藤を撃った安重根は翌年の明治四十三年の三月二十六日に処刑された。

 韓国では、伊藤が撃たれた、十月二十六日に、ソウルの南山にある安重根義士記念館において、驚くことに、「伊藤博文暗殺成功百年」の記念式典を行なったというのだ。安重根の生誕祭でも、没後でもなく、伊藤博文の暗殺を記念した行事であることに、日本人である私は、違和感を感じずにはいられなかった。その人の死を悼むのではなく、喜び記念する行事なのである。桜田門外の変において暗殺された井伊直弼に対して、「井伊直弼暗殺成功記念日」として祝おうという日本人は恐らくいないだろう。

 シナ人は、かつての敵の墓をあばいて、その骸をムチ打ち、後世、銅像を作り、唾かけ、ムチ打つという。大陸続きの韓国も、シナ人の悪口は言えまい。個人的には、安重根を尊敬もしているし、韓国人の友人も多い。しかし、その人たちの民族のDNA、即ち「恨」(ハン・韓国民衆の被抑圧の歴史が培った苦難・孤立・絶望の集合的感情。同時に、課せられた不当な仕打ち、不正義への奥深い正当な怒りの感情)の感情が脈々と受け継がれていることの驚き・・・。を知ったからと言って、韓国人を嫌いになることはないが、少々カルチャーショックを受けた次第。撃つ者も、撃たれる者も国士だと私は思うのだが。

 私は、南山の安重根義士祈念館へは、もう幾度も訪れている。記念館の周りには、韓国の篤志家が建立した、安重根の漢詩などが彫られた自然石が幾つも建ち、旗をもった彼の銅像や朴正煕大統領の筆となる「民族正気の殿堂」と書かれた記念石などがある。安重根の書を複製したものなども何枚も買ってきた。しかし、いつ行っても、祈念館はガラガラで、日本語の分かる老館員が、私に、「日本人のお前達が来て、朝鮮人の若いのは、全く来ない」と嘆いていた。ホントの話です。

Photo ※安重根の銅像。

Imga0048 ※朴元大統領の文字。

Imga0049 ※安重根義士祈念舘

P1020217 ※篤志家が建立したもの。

P1020223 ※祈念舘の内部。

 伊藤博文、安重根の両義士に謹んで哀悼の意を表します。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

デジカメが壊れた。

2009-10-30 15:33:30 | インポート

十月二十九日(木)曇りのち晴れ。

 下の子供だけが学校へ。私、妻、上の娘の三人で朝食。久し振りに朝食が賑やかで良い。先日、横浜橋商店街の肉屋で懐かしい「赤ウインナー」を買った。切れ目を入れて、フライパンで炒めた。つけ合わせは、キャベツの千切りとマカロニサラダ。これは「サバの文化干し」と並んだ、最強の朝食である。

 午前中は、机に向かって午後から、忘年会の会場となる中華街のお店に行って打ち合わせ。これまで個人的に忘年会などやったことがないが、今年は甘えさせて頂こうと思っている。案内状など出来ましたなら、告知をさせて頂きますので、何卒宜しくお願い致します。

 四、五年前に買ったカシオのデジカメが調子悪い。写した写真に光が入ってしまい、真っ白になってしまう。幸いにカシオのサービスセンターが、私が行く歯医者と同じビルにあるので、持って行って見て貰った。何と、デジカメの修理は、九千円と一万一千円の二通りしかなく、私の場合は一万一千円で、消費税を入れると一万二千円にもなる。カシオの担当の「買ったほうが早いですよ」とのアドバイスに従った。

 しかし、チョット頭にきたので、カシオをやめて富士フィルムのものにした。金が忙しいときに限って、こういうことになる。ついていない。

 自宅に戻った後も、雑用をこなして、夕食の後は、おとなしくしていた。もちろん今日も、酒を避けた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友の倒産、私は甲斐性なしの父さん。

2009-10-29 22:37:43 | インポート

十月二十八日(水)曇り。

 朝、学校へ行ったはずの上の子供が、昼に帰って来た。随分早いと思えば、インフルエンザで学級閉鎖とのこと。来月の三日まで自宅待機だそうだ。こんな陽気の良い時期に、学級閉鎖となるのだから、本格的に冬になったなら、一体どうなってしまうのだろうか。先週は、下の子供が学年閉鎖で、今度は上の子供だ。このままでは、大変なことになりそうな予感がする。

 午後に、私の友人で不動産業を営んでいるN氏から、「報告がある」と言って我が家に来た。何の話かと思ったなら、不況で会社を閉鎖し、少しはなれたところで、再起を期す、との報告であった。従業員を抱え、会社の家賃や経費などをやりくりしてきたが、もう限界と、話していた。慰めの言葉もなく、ただ頑張れと、帰って行く、彼の後姿を見送ったが、世間の風は相当厳しいのだろう。こちらは、長い浪人暮らしで、生きた父さん、ではない倒産人ようなものだから潰れようもないが、厳しい風向きは一緒である。元気で頑張っている事業家の皆さんのご支援で生きている私にも、この不況は人事ではない。しかし、今は、恙無く生きているだけで良しとしなければならない時代なのかもしれない。

 体調がイマイチで、夕方医者に行ったきり、ずっーと家にいた。みぞおちの辺りに違和感が続いていて、酒を飲む気になれず、おとなしくしていた。

Photo ※展転社の新刊本です。宜しくお願い致します。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

血圧が高いと怒られた。

2009-10-28 11:20:51 | インポート

十月二十七日(火)曇り。

 ようやく雨が上がった。文化祭の代休という上の子供と一緒に、大洗濯。その後、自宅の掃除などしてから、病院へ行った。左のみぞおちの辺りが痛く、それがもう十日以上も続いているので、気になった次第。とりあえず薬を三週間分貰って、それで痛みが治まらないようだったら、検査をしようということになった。しかし、医者いわく「、内臓よりも、血圧が高いほうが気になるので、血圧計を買って、毎日計ってみなさい」。と血圧を下げる薬も一緒に貰った。病院で計ったら、上が158もあった。

 午後から子供を連れて事務所へ。ここの所、片づけをしていないので、本や資料で、ゴミ屋敷のようになっている。手をつけずに、退散した。

 その後、伊勢佐木町へ。仕方がないので、血圧計を買った。そして有隣堂へ行き、本を見ていたら、不肖・宮嶋氏の新刊「不肖・宮嶋の海上自衛隊ソマリア沖奮戦記」(飛鳥新社)があり、購入。先日の観艦式にて私が乗船した「さざなみ」が、ソマリア沖に行った護衛艦である。表紙の絵も、その「さざなみ」であるのが嬉しかった。

 帰宅後は、家族で食事。一杯飲んで、すぐ寝てしまった。

Photo_2 ※ろっぽう、しちけん、ぐらいの面白さ。714+税です。表紙の写真の船が「さざなみ」です。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近所のオヤジ達との飲み会。

2009-10-28 10:45:55 | インポート

十月二十六日(月)雨。

 寒い一日だった。昨日、少々飲みすぎたためか、朝起きられずに、十時過ぎまで布団に入っていた。昼から、お世話になっている方と一緒に食事会。場所は関内のすし屋。一時間ほどで別れるつもりが、友人の会社に行き、結局、三時過ぎまでお邪魔してしまった。

 夜は、「清水苑」にて近所のオヤジ達の飲み会に出席。話題は、当然マスター氏のことになる。こういう時だからこそ、余裕のある人はお店を使おうと、意見が一致。体調が悪いので、酒を控えようかとも思ったが、ままよっと、飲んでしまった。送って頂き帰宅。

Photo

※十月十八日、社友会の方達と、中華街にて。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする