白雲去来

蜷川正大の日々是口実

街頭ポスターは、いまや郷愁となった。

2018-09-29 10:32:24 | 日記
九月二十七日(木)雨。

雨か・・・。雨音はショパンではなく、秋刀魚の塩焼きと、おでん、ワンタンスープという極めて脈絡のない朝食。昼は、おにぎり一個。夜は、友人らと今や「世界の山ちゃん」ならぬ「世界のやまと」の感のある「やまと」にて、酒杯に天下の影を映しての一献会(ちょっとキザか)。

ランドマークタワーの中にある、デザイン屋さんに、かつて第一回から第十回まで製作した群青忌のポスターを拡大コピーをするために行く。群青忌を行う会場の壁に、ポスターを展示する丁度良いスペースがあり、その展示用のもの。第十回以降はポスターの製作を中止した。その理由は、街頭などでポスターを貼ると、違反行為となり逮捕されるからである。その昔は現行犯でなければ、捕まらなかったが、最近では「被疑者不詳」と言うことで、「ガサ」が入ったりし、捕まれば法外な罰金を支払わされる。また、ネットの時代となり、ポスターと言うアナログの宣伝方法よりも、フェイスブックやブログ、SNSなどの方が経費も掛からず、宣伝効果が大きいのも、ポスターが衰退していった原因だ。

かつては、有楽町のガード下や東京の街に貼られた愛国党のポスターは、東京の風物詩となっていた。以前、知り合いの映画監督が、「戦後の東京の風景を演出するために、愛国党のポスターが貼ってある景色を撮りたいので、愛国党を紹介してほしい」。と言われたことがあった。そんな時代を知っている民族派の活動家も少なくなった。街頭ポスターは、いまや郷愁となった。

ランドマークに行ったついでに、書店に寄る。保坂正康の『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)を購入。東條英機、石原完爾、犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三、吉田茂の六人について書かれている。六人なのになぜ「七つの謎」なのか。それは、石原完爾に二項を割いているからである。また東條英機のところしか読んでいないが、ナルホドと思うことが多く、勉強になる。しかしながら、歴史の評価と言うものは、ある時、突然逆転することがままある。それを東条英機に期待している訳でもないが、一人の研究者が書いたものを全て信じる、という歳ではなくなった。

上記六名の方々の入門書として読むのには、とても良い本である。※写真は第一回の群青忌のポスター。

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四十五年ぶりのAMANDO

2018-09-27 12:18:51 | 日記
九月二十六日(水)曇りのち雨。

群青忌の準備で何かと、せわしい。午後から六本木で大熊雄次氏と待ち合わせて、群青忌の際に放映する映像の打ち合わせに、某映像会社へ行く。旧知の社長さんのおかげで、とても感じの良い応対をして頂き恐縮する。しかし、何せ、日にちが押しているので、間に合うかどうか心配でもある。またデザイナーの、はが里枝さんを煩わせることになった。

終了後に、大熊氏と「アマンド」にてお茶。六本木を代表する待ち合わせのスポットだ。店は新しくなったが、アマンドに入るのは、四十五年ぶり位。いつ頃、誰と来たかは、全く記憶にないが、チョッピリ懐かしかった。

昼から、大熊氏から「一杯やりませんか」と拉致されるのかと、ビビったが、まだ二時前、お互いに「酒」の話題を避けて別れた。自宅に戻り、事務所で五時過ぎまで仕事。

今日の読売の夕刊で知ったのだが、北海道の地震で「ししゃも」の名産地、むかわ町で、シシャモ販売の老舗「マルダイ大野商店」の加工場が全壊し、冷凍していた物が全滅。一時は店を閉めようかと思ったそうだ。しかし、全国からの励ましもあって仕事を再開。ししゃもをすだれ干ししている写真が大きく載っていた。いわゆるスーパーなどで売っている、安物のししゃもは、本当のししゃもではないと言うことを知ったのは、十年ほど前のことだ。「本物のししゃもを送ってやる」と言われて、むかわ産の物を頂いた。頂いたものは「オス」卵を持っていない。友人に言ったら、「オスの方が美味しいんだ」。そんなものかと思って食べたら、めちゃくちゃ美味しかった。スーパーで打っている物とこんなに違うのかと、感激したことを覚えている。

夜は、酔狂亭で、カツオのタタキをオリーブオイルと塩とニンニクで味付けして食した。お供は「黒霧島」。

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一人、「ホカ弁」を食べる侘しさよ。

2018-09-27 11:21:20 | 日記
九月二十五日(火)雨。

朝から、掛りつけの病院へ常備薬を貰いに行った。この内科は評判が良く、飛び込みで行くと一時間ぐらいは普通に待たされる。家から近いこともあって、九時に病院が開く一時間前に、予約の順番表に名前を書きに行く。それでも三番だった。終了後に、「ホカ弁」を買って、遅い朝食。しかしながら、六十過ぎの男が、一人「ホカ弁」を食べると言うのも、何か侘しさが漂う。夜は、寒いので、「おでん」、栗カボチャの煮物、鶏の塩焼き。お供は「黒霧島」。

たけしの「TVタックル」で以前放映された、富士山のふもとの「忍野八海」という遊水地での中国人観光客のマナーの悪さを特集していた。(記憶が間違っていたらスミマセン)。二日前に紹介させて頂いた『ルポ中国「潜入バイト」日記』で、中国人観光客のツアーガイドをした筆者が興味深い記事を書いている。

「忍野八海」という観光スポットは、富士山の湧き水でできたという8つの池が集まった特殊な地形が特徴的なのだが、エリアの中心に位置するのは「中池(なかいけ)」という名の巨大な人工池。私も最初は「中池」こそ忍野八海を代表するスポットだと思っていたのだが、よくよく調べてみると。「中池」にはそれほど歴史的価値はないらしい。近くの観光案内所の男性スタッフが。やや不満げに言った。
「このへんの土地はみんな中池の隣にある土産物屋のもので。客寄せのために30年前ぐらいに掘ったのよ。おかげでもとの地形はすっかり変わってしまったし、何百年も前から残っていた天然池の水位も下がってしまった」天然池は小さく目立だないため、観光客の多くは巨大な人工池とその周りの土産物屋にぽかり吸い寄せられていく。うーん、これでいいのだろうか。忍野八海にきている観光客は目算で中華系が7割、欧米系2割で、日本人は1割程度。(引用ここまで)

だからと言って、マナー違反は良くないが、「客寄せのために30年前ぐらいに掘った」という話が事実ならば、これも自然に対するマナー違反ではないのかと思った次第。

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秋思。

2018-09-25 13:38:42 | 日記
九月二十四日(月)晴れ。

お墓参りに行こうかと思ったが、交通情報では、東名はかなり渋滞している様子。家族で話し合って日延べすることにした。自宅の仏壇に手を合わせてから朝食。アコウダイの粕漬、さつま揚げ、豚汁。昼は、サンドイッチ。夜は、町内の仲良しさんたちとの月に一度の懇親会。

歳時記によれば、春はものを憂い、秋はものを考える季節とのこと。いわゆる「愁思」である。秋を感ずる思いなり。秋を感ぜしむる自然物は数多あるべし。秋風の音も秋思を誘い、虫の声、砧(きぬた)声も秋思を誘う。その他には何とはなくて秋を感ぜしめらるる場合あるべし。この情は是れ秋思なり-。とある。

ちなみに「砧」を打つ音は「砧音」と書いて「ちんせい」と読む。砧は木で出来た木槌。それを叩く音を「砧声(ちんせい)」という。洗濯した後の布をたたいてしわを伸ばすのに使ったりした。

李白の「子夜呉歌(しやごか)」と言う詩に、「長安 一片の月 萬戸 衣を擣(うつ)の聲」と言うものがあるが、これが「砧を打つ音」すなわち「砧音」と言われている。砧を打つ音などよりも、洗濯板でごしごし洗うのも見なくなって久しい。

秋か・・・。野村先生の句に、「獄中生活十年目、一句」と題して、石廊を出て鰯雲 「また秋か」。がある。来月は群青忌である。

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山頭火賞。

2018-09-25 13:01:59 | 日記
九月二十三日(日)晴れ。

老舗の出版社である春陽堂が創設したのが「種田山頭火賞」と言うもの。どういった賞かと言えば、いわゆる「俳人」に対するものではなく、「信念を貫いた活動で、多くの人に感動を与えた文化人や表現者を顕彰する」というもの。その第一回の受賞者に、舞踏家で俳優の麿赤児氏が選ばれたと、新聞で知った。

本当かどうかは知らないが、アメリカ人に一番知られている俳句というのが、芭蕉や一茶の句ではなく、山頭火の「まっすぐな道でさみしい」と言うもので、こう英訳されるそうだ。「Staright road, full of loriness 」。日本とは違い、延々と続くまっすぐな国道が珍しくない、いかにもアメリカ人好みの句かもしれない。いや山頭火のことではない。麿赤児氏のことだ。以前読んだのが『完本 麿赤兒自伝ー憂き世 戯れて候ふ』(中公文庫) というもの。

その本の内容は、破天荒で波乱万丈、生き様は、一昔前の右翼浪人のようなのだ。特に、右翼の大物として知られていた三上卓先生宅を訪問し、あわよくば資金提供を受けようとする「武士は死せず、ただ消え去るのみ・テロリストM氏虚実会見記」は出色である。脚本を書いたり、演技をする、いわゆる「表現者」は、当然ながら文章も上手だ。作家になっていたとしても成功していたのではと思った次第。九百円+税、高いコーヒー一杯より満足感があること間違いない。是非ご一読を。(昨年の十一月三日の私のブログ)。受賞の理由は、「一見無頼、自在な人生を送ってきた方で、山頭火賞の出発にふさわしい」とのことである。

夜は友人らと「日高屋」という何の店だか分からない所で一献。その後、口直しに寿司屋に転戦。普通の店のありがたさをしみじみ知った。

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