白雲去来

蜷川正大の日々是口実

中華街の臭気

2018-10-31 16:04:59 | 日記
十月二十四日(水)晴れ。

午後一番で、お世話になっている方の会社へご挨拶。その後事務所へ。夜は、友人らが来訪して西横浜のイタリアン「オアジ」にて食事会。しばらく飲んでから、群青忌出席のお礼を兼ねてサリーズバーへ転戦。

自宅や事務所から比較的に近いので、中華街へは良く行く。しかしながら最近の中華街は、土曜日や日曜日、祝祭日などは人で溢れて、馴染みのお店にほとんど入れない。嫌なのは、肉まんやあんまんを歩きながら食べたりすることを平気で、客に売っていることだ。それも横浜では老舗を看板にしている専門店なのだから呆れてしまう。どこのお店も混雑しているので、余程のことがない限り、土曜、日曜日は中華街へは行かないようにしている。

「この間、久しぶりに横浜の中華街へ行って見て、キレイになったのに驚いた。正直なところ、中華街なんていっても、私にはピンと来ない。横浜生まれの私には、ナンキン町といい慣れてる。敗戦後はシナもナンキンもいけないことになって、昔の名称を書いては、慌てて消す始末である。昔のナンキン町には、独特の臭気があったが、今は大変衛生的である。その上、近代的建築になって、銀座あたりと変らぬ冷暖房完備のキレイな料理店が、大部分である。アメリカあたりの中華料理店は、きっとあんな風だろう。まったくナンキン町だの、シナ料理だのといっては、申し訳ないようなものである」。これは横浜生まれの作家、獅子文六が、昭和四十三年に書いた『食味歳時記』の一節である。かつての中華街の「独特な臭気」は、今では、肉まんや焼き小籠包の食べかすが道路を汚す「臭気」に変わろうとしている。

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秋の日は釣瓶(つるべ)落とし、とか。

2018-10-31 15:43:11 | 日記
十月二十三日(火)曇り。

老化現象なのだろう、何時に寝ても必ず六時半ごろに目が覚める。ごそごそと起きて、まず「リステリン」で口の中をさっぱりさせてから、「タピポ」という健康茶を大き目のグラスでぐびぐびと飲んでから、新聞を取に行き、二紙をユックリと読む。子供たちは、大学の都合で早かったり遅かったり、皆それぞれで中々揃って朝食を囲む、という訳には行かない。最も、食べる物の好みもそれぞれ違うので、作るのがめんどくさい。

今朝の朝食は、アコウダイの粕漬、納豆、白菜のおしんこに「シーフードヌードル」の小カップ。昼は、チキンライス。夜は、冷凍物のカツオのタタキ(最近は、オリーブオイルに岩塩、少しニンニクを入れて、ネギを薬味にして食べている)上の子供のリクエストで、ズンドゥブ、チゲを作った。二十度の「黒霧島」を相手に独酌。

朝食の後に事務所へ。倉庫から持って来た本で足の踏み場もない。寒くならないうちに片づけようと思っている。来客があり、雑然とした事務所の中を見て驚いていた。様々な人に、様々な手紙を六通書いた。五時過ぎには陽が落ちる。陽が短くなった。秋の日は釣瓶(つるべ)落としとか。「釣瓶」とは、水を汲むために竿や縄の先につけて、井戸の中におろす桶のこと。その釣瓶が井戸に滑り落ちるように、秋の日は一気に日があっという間に暮れるということをいう。一杯やるのには丁度良い季節である。

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参列して頂いた方たちに感謝。

2018-10-31 14:45:17 | 日記
十月二十二日(月)晴れ。

群青忌が終わっても、何かと作業が残っていて落ち着かない。普段なら、情けないことに脱力感で、一週間ほど、何もする気が起こらないのだが、今回は、一言で言えば「大成功」で、フェイスブックで知り合った人たちや、個人的にメールを入れてくれた人たちなど、随分と初対面の方に会場でお会いした。「DVDを送って欲しい」「パンフを欲しい」などの依頼が多く、その発送や御礼の挨拶などに忙殺されている。

今回の会場で、驚いたのは、私の好きな焼き鳥屋の「だんらん亭」の女将から頼まれて揮毫をした(お恥ずかしい次第です)方が出席し、ご挨拶したことだ。恐らく、一人で参加するには随分と大変だったに違いあるまい。いずれまたお会いすることを楽しみにしています。

群青忌に来たから、私と知り合ったからと言って、決して民族派運動を勧めたりはしない。出会いと言う「入口」が大切なのである。運動ももちろん大切ではあるが、群青忌に出席することも運動はもとより、野村先生の思想と行動を支持することと同義語であると思っている。

野村先生の没後、二十五年も経つのに、あれだけ多くの人たちが追悼集会に参加した。公安当局もマスコミも、あらためて野村先生の影響力を認識したと思う。もし、会場に空席が多かったとしたら、先生の影響力や運動に対する関心の低下を感じることだろう。遅ればせながら、当日参加なされた方々に御礼を申し上げる次第です。

夜は、月に一度の名前だけ立派な会合を、関内駅近く、馬車道の「佐島」にて開催。このお店はリーズナブルで、料理も良い。スタッフも愛想が良く、お気に入りの店である。終了後に有志にて関内へ転戦。

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群青忌の後始末。

2018-10-28 07:25:42 | 日記
十月二十一日(日)晴れ。

昨日、自宅に戻ったのが十一時過ぎだった。空腹だったが、これから食事の支度をする気力もなく、すぐに布団に入った。気がつけば朝の九時、誰も起きてこない。余程疲れているのだろう。何せ、昨日は、早朝から、夜の十時過ぎまで群青忌の手伝いをしていた。十一時近くに、のそのそと皆が起きてきた。朝食の用意をしていなかったので、久しぶりに家族でランチに出かけた。

子供たちのリクエストで、馬車道の勝烈庵へ。私が横浜で一番好きなトンカツの店だが、何か、最近、ここのカツが薄くなったような気がする。気のせいかもしれないが・・・。食後は、馬車道のスタバでお茶。イセブラ(伊勢佐木町をブラブラ歩くこと)をしてから帰宅。

夜、松本佳展君が、群青忌で使った本やDVDの残りを届けに来てくれる。一緒に事務所に行き、余ったものを運び入れる。裏方にとっては、まだ群青忌は終わってはいない。荷物の仕分けや、お礼状など一週間以上後始末に忙殺される。またこれから次々と行事が入ってきている。頭が痛い。それと、群青忌に参加された方よりの原稿を募集します。「群青忌に参加して」といった台で、四百字、四枚以内でお願いします。

夜は、松原商店街でマグロを買い求め、酔狂亭で月下独酌。酒を控えていただけに、今夜は格別の味がする。

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群青忌

2018-10-27 07:47:19 | 日記
十月二十日(土)曇り後雨。地久節、群青忌。

皇后陛下八十四歳のお誕生日、地久節である。ご皇室の弥栄と両陛下のご健勝をご祈念申し上げ、ホテルの部屋で皇居を遥拝。シャワーを浴びてフロントに降りて、朝食。おにぎり二つとサラダに味噌汁。食事というよりも「エサ」に近いが、ビジネスホテルでは文句も言えまい。

集合時間の九時前に会場着。二十一世紀書院の松本佳展君や、その友人が、すでにいくつもの荷物を運んでくれている。一門や弊社の社友の気合と気迫を感じて嬉しい。九時にセッティング開始。始まってしまえば二時間の式典だが、その準備が大変である。全国の社友も到着し、パンフやDVDの袋詰めや会場の設営に汗を流している。

念入りなリハーサルを二回。開始前に全員で記念撮影。四時に開場。続々と参加者が来場する。最終的には、五百名近くの人たちが来場した。初めて参加する人も多く、私のこのブログやフェイスブックで知り合った人たちも大勢来訪した。(ビデオで確認したら、そういった私の関係者が二百名を超えていた)会場は、超満員で、申し訳ないがスタッフはロビーのモニターを見ることになった。

群青忌の様子は、私の『燃えよ祖国』の「群青忌特集号」に掲載させて頂きます。終了後の「直会」は当初百二十名を予定していたが、何と百八十名もの人たちが参加した。嬉しい誤算である。

野村先生の自裁から四半世紀が過ぎたにも関わらず、これだけ多くの人たちが群青忌に参加して頂いた。あらためて野村先生の影響力の凄さに驚いた次第である。ご出席なされた皆様に感謝申し仕上げます。

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