白雲去来

蜷川正大の日々是口実

花の雨 けむる祖国のさみしさよ。

2019-03-30 12:59:59 | 日記
三月二十九日(金)曇り。

そう言えば、昨夜、テレビを見ていたらショーケンこと萩原健一さんの死亡記事のテロップが流れた。内田裕也さんが亡くなられてすぐにショーケンか・・・。私と同じ歳と言うことを知った。どんどん昭和が遠ざかって行く。合掌。

六時半に起床。朝食は、先日の「断食」の帰りに寄った伊豆高原の最高の干物屋(私の個人的な感想です)「山幸」で買った、丸々太ったイワシの丸干し。これが最高だった。もう一品は、白菜ときくらげのあんかけ炒め。とろろこぶのスープ。昼は、小さいおにぎりと、小さい、まんぷくではなかったチキンラーメン。夜は、ちょっと寒かったので、家族で「鶏鍋」を囲んだ。解凍のカツオを買ったが、最低だった。録画しておいた「七人の侍」を見ながらお供は、「黒霧島」。しかし主演の志村喬が、この映画の当時から晩年までずっと同じ顔をしているのには驚いた。

細々とした用事を済ませてから、一時間ほど歩いた。桜の名所となっている大岡川沿いを歩いてみたが、桜はまだ六分程度だった。もう十五年くらい家族でここの桜の下で写真を撮っている。当たり前だが子供たちは、年々大人になって行くのに私は、老いに包まれて行く。いや実際の歳よりも、老いに追い越されている。自分の写真を見るのが嫌だ。今年も家族で写真を撮りに行くが、最近はもっぱら撮る方に専念している。

夕方、ポツリと来た。野村先生の句に「花の雨 けむる祖国のさみしさよ」がある。

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任官拒否の理由は・・・。

2019-03-30 12:24:23 | 日記
三月二十八日(木)晴れ。

なぜか朝が駄目だった。起床は十時近く。それでも食欲はあって、朝食は、玉ねぎを刻んで、赤ウインナーを切って、炒めてからご飯を入れてウスター・ソースで味付けしたソースチャーハン。赤ウインナー炒めに目玉焼き、マルちゃんの小ワンタンスープ。昼は抜いた。夜は、また赤ウインナー炒めに豚肉とキャベツ炒め、マーボー豆腐。お供は「三岳」のソーダー割り。

昨日のブログに、不適切な表現かもしれないが、防衛大学の卒業生の任官拒否を「税金ドロボー」と書いた。本当になぜ任官を拒否したのか、一人一人に聞いてみたいと思ったものだ。そうしたら「FRIDAY」の電子版に「2019年防衛大卒業式で大量の任官拒否が出た理由」としてこんな記事が出ていた。

「任官拒否の理由は、『民間企業へ行きたいから』『自衛隊には向いていないと思った』などだったという。だが、彼らがそう考えるに至ったのは、こんな社会的な背景があるのかもしれない。政治アナリストの伊藤惇夫氏が語る。『安倍政権への不安があるのは間違いありません。今年の卒業生は、’15年に安倍首相が強引に安保法案を成立させた過程を見てきた世代。『当事者』として、危険地域へと派遣される可能性と直面し、熟慮の末、任官拒否という道を選んだのでしょう』。あんな最高指揮官のもとでは働けない――。現政権が続けば、任官拒否者はますます増えそうだ。」(3/30(土) 8:03配信)

伊藤惇夫という政治アナリストは、任官を拒否した防大生に直接取材したのだろうか。単に自分の思い込みだけで、語っているとしか思えない。まあ、たかが、と言っては失礼だが所詮「FRIDAY」の記事だから目くじら立てることもないかもしれないが、「あんな最高指揮官のもとでは働けない――。現政権が続けば、任官拒否者はますます増えそうだ」とは、別に安倍さんを庇う訳ではないが、具体的な根拠も示さずに、これはちょっと失礼だと思う。では、誰が最高指揮官なら良いのか、教えて貰いたいものだ。

そう思っていたら、パソコンに、『毎日新聞』の2016年3月21日の記事に「91年の94人以来25年ぶりで、89年の51人に次ぐ過去4番目の多さ」というものがあった。

『防衛大学校の卒業式が21日、神奈川県横須賀市の防衛大であった。卒業後に自衛官への任官を辞退する「任官拒否者」は卒業生419人中、11%にあたる47人に上り、昨年に比べ2倍近くに達した。40人を超えるのはバブル景気で就職戦線が学生の売り手市場だった1991年の94人以来25年ぶりで、89年の51人に次ぐ過去4番目の多さ。 防大が任官拒否者から理由を聴き取ったところ、内訳は、民間企業などへの就職26人▽身体的な理由11人▽大学院など進学6人▽その他4人。今月29日の安全保障関連法施行で、自衛隊は他国軍の後方支援など任務の幅が広がり、リスクも高まるが、安保関連法を理由にした任官拒否者はいなかったという。防大は「景気動向などさまざまな要因がある」としている』。

この程度の取材をした上で、書いてもらいたいと思った次第。

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任官拒否は、税金ドロボー?

2019-03-28 17:08:18 | 日記
三月二十七日(水)晴れ。

目が覚めて天気が良いとそれだけで、なぜか幸せな気持ちになる。安上がりにできているものだ。朝食は、丸々と太った「イワシの丸干し」と卵焼き、キュウリのおしんこ、大根の味噌汁。昼は抜いた。夜は、カツオノタタキ、サンチュウ・サラダ、大根とキュウリのおしんこ。お供は「三岳」。

新聞であまり報道しなかったが、今年の防衛大学の卒業式で、任官拒否をした生徒が四十九人もいたそうだ。中退したり、病気だったりしたのならば仕方がないが、驚くよりも呆れてしまう。

一節によれば、防大生一人を四年間育てるのには、約一億円ほどの経費が掛かるそうだ。毎月支給される給与が十一万円、年に二回のボーナスが約三十八万円。この全てが尊い国民の血税であることは言うまでもない。

自費で、普通の大学の「国防科」(ある訳ないが)を出て、自衛隊に入らないと言うのならば、仕方がない。任官拒否をした人たちは、防衛大学が、どのような大学で、何を担うかを当然知って、入学したのに違いあるまい。それを、四年間お世話になっていながら、任官を拒否して民間の企業にぬけぬけと入る。これが本当の税金ドロボーであると言われても仕方あるまい。

せめて防衛大学を卒業したのならば、最低五年程度自衛隊に行くことを義務付けるとか、任官を拒否したのならば、国立大学並みの授業料や入学金を支払わせればよい。本人にお金が無ければ、受け入れる企業に肩代わりさせる。これくらいのことをしなければダメだと私は思う。残念でならない。

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上の子供の卒業式。

2019-03-27 12:31:14 | 日記
三月二十六日(火)雨後晴れ。

今日は、上の子供の大学の卒業式である。全く早いものである。大学に入ったのは、つい昨日のことのように思える。袴姿で着物屋さんから帰ってきた子供と自宅の前で写真を撮る。卒業式は十時二十分までに会場に行けば良いとのことなので、桜の名所となっている大岡川に行くが、まだ、三分咲き程度なのであきらめて、私の事務所のある周辺の桜が咲いていたのを思い出して、事務所へ。

桜の下で、写真を撮る。来月からは社会人である。自宅には、二人の子供が五歳と三歳の時に、千葉の千倉の海に遊んだ時の写真を大きくして飾ってある。麦わら帽子をかぶった二人の写真が好きで、大きくなっても、そのまま飾ってある。その写真に、好きな寺山修二の「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり」の歌が重なるからだ。二人とも横浜生まれなので、海を知らないわけはないのだが・・・。

卒業式の行われる文化体育館は、私が二十歳の時に成人式の行われた所でもある。入口で、沢山記念の写真を撮って自宅に戻った。子供は、卒業式が終了後、友達と食事に行くとのこと。

夜は、家族が揃って、ささやかなお祝い。いい一日だった。

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帰宅しました。

2019-03-27 11:41:36 | 日記
三月二十五日(月)晴れ。

六時に起床。良い天気である。さっと風呂に入る。今日で断食は終了。七時に問診。さすがに四日間も酒を飲まず、素食に耐えた結果、四・五キロ減で、内臓などの数値も安定していた。自室に戻り、帰り支度。

十時に朝食。味の干物に雑穀米のご飯、おひたし二品、味噌汁。わずか五百カロリー程度だが、満腹感があり、満足した。昼の電車に乗る盟友を駅まで送る。ツタヤにDVDを返却。ツタヤは、会員であれば全国どこでも借りることが出来る。しかし、返却する際は借りた場所に返さなければならない。自宅の近所のツタヤが閉店してから、ほとんど映画を見なくなった。久しぶりに映画を見溜めした。「アウトロー」「オーシャンズ2」「イコライザー」「レッド・シー」「空海」の五作品。

本も、読めた。『平成維新史』(芹川洋一著・日経プレミアンシリーズ)『わたしの流儀』(吉村昭著・新潮文庫)『反骨・最後の極道・竹中武』(山平重樹著・徳間文庫)『江戸の食文化』(原田信男著・岩波書店)の四冊。

二時過ぎに、国道135号線をのんびりと走る。伊東あたりからは海岸線に沿って走るので気持ちが良い。途中「道の駅」に寄ったが、別段欲しい物もなく、コーヒーを飲んだだけ。熱海からは、ビーチラインを走らずに、一般道を通った。小田原から厚木道路に入って東名で帰ろうかと思ったが、西湘バイパス沿いのお寺に、若くして亡くなった渡邊康司氏のお墓があることを思い出し、走りながら手を合わせた。鎌倉周りで帰ろうかと思ったら大渋滞。仕方がないので藤沢まで戻り、横浜新道に出たが、藤沢市内がまた渋滞していてうんざりした。

帰宅前に事務所に寄ったりして、結局自宅に戻ったのは七時を過ぎていた。町内の会合に会費を届けて、のんびりできたのは九時を過ぎていた。伊勢から社友の伊藤さんが来ていたが、さすがに今日は、時間的に無理なので、次回に、と言うことにして頂いた。

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