白雲去来

蜷川正大の日々是口実

堅気の衆からは怒られそうだが、とりあえず八面六臂。

2013-05-31 15:19:56 | インポート

五月二十九日(水)雨。

とうとう関東地方も梅雨入り宣言が出た。梅の実の熟す頃に降る雨の季節だから「梅雨」か。日本人の季節の表現には味わいがある。

まっ堅気の衆から見れば、フンと鼻で笑われそうだが、連日珍しく忙しい。何が忙しいかって言えば、お金はもちろんだが、本業の原稿書きと編集の作業で修羅場となっている。私の機関誌「燃えよ祖国」の校正は終わったが、後は製本と発送が残っている。それと「大吼」の編集作業も佳境に入った。いいかげんな仕事はしていられない。

また、何とか近いうちに単行本を出そうと思っているので、原稿をまとめている。書いていると、あれも入れたい、このエピソードもと、段々枚数が多くなり、まとまらなくなる。後は、プロの編集者に任せてアドバイスを頂くつもり。さっさっと早くやれば良いものを、気が付けば、野村先生が亡くなられてから二十年が過ぎた。正に不肖の弟子である。

お経の別名は「如是我聞」。釈迦の弟子が、私は、このように伝え聞いた。という意味である。この言葉を教わったのは、野村先生からだ。「蜷川。俺は釈迦などと比べようもないが、民族派の活動家として、俺の生き様、死にざまをお前が『如是我聞』しなければならない。俺は、三島由紀夫にもなれないが、もし死んで行くとしたら、お供はいらねぇよ」。

先生と、一緒にいる時は、そんな言葉は、景色のように感じていたが、あらためて、先生の言葉の一つ一つが、すべて私にとって「教訓」であったことに気が付く。何たって教養がないので、気が付くのも遅いのだ。

「燃えよ祖国」で「野村秋介語録」を連載している。そのうちに、一冊にまとめたいと思っている。支援と思って購読してくださいね。

五時半に、東京から酒友二名来浜。保土ヶ谷駅で待ち合わせて、カメちゃんと一度一緒に行こうと話していた、最近流行の「海鮮焼き」のお店に行った。もちろんカメちゃんも合流。お店には一番乗りだった。まあ値段が安い分、その程度の味で、素人には良いかもしれないが、六十を過ぎた男の行くような店ではないと思った次第。何も、安ければ良いと言う話ではない。料理はもっと丁寧に、心を籠めて作らなければダメだ。店を選んだのは私なのだから、文句を言えた義理ではない。スマン、スマンのオスマンサンコン。

そのお店の近くにある「宿場蕎麦の桑名屋」に転戦。ここは参勤交代の時代の保土ヶ谷の趣のあるお店。ざる蕎麦を肴に「蕎麦湯割り」を二杯ずつ飲んで解散。カメちゃんを煩わせてしまった。感謝。遠方の友は又もピヨピヨ、タバタバと帰って行った。

Img_1027804_30569904_91 ※こんな感じのお店です。


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時が過ぎるのではなく、人が去って行く。

2013-05-29 12:12:57 | インポート

五月二十八日(火)曇り。

近畿地方では早々と梅雨入りしたらしい。横浜もこれから雨の日が多くなるのか、憂鬱な日々が続く。しかし、この梅雨がなければ夏に水不足となる。我が国は、こういった自然の営みを有史以来続けてきた。雨の日も楽しむ心の余裕を持たなければ。

私の家だけではないだろうが、家電が一つ壊れると、次々と他の物まで不具合が出てくる。考えてみれば同じ時期に購入しているのだから、同時期に壊れても不思議ではない。それは家電だけではなく、米、味噌、醤油といった生活必需品もそうだ。先日もお米が切れて買いに行こうと思ったら、愚妻が、「味噌もないよ、それと醤油も、あらら牛乳もサラダ油もそろそろなくなるよ」。アホ、俺は手品師ではねぇーよ。といって、米以外の物はパスして、何はなくとも「黒霧島」を買った。家族の冷たい視線が集中したのは言うまでもない。

今日は、四年前に亡くなられた、古い同志だった清水常二氏の命日である。清水氏と最後にお会いした日時は定かではないが、亡くなられた年の正月に、一緒にサイパンへ行った。私の家族と清水氏とお嬢さんのあゆみさん。先日、そのあゆみさんからメールを頂き、当時高校生だった彼女も、もう二十歳になって、社会人となっているとのこと。天国の清水氏も喜んでいるに違いない。

清水氏とは、サイパンには三度一緒に行った。最初に行ったのは、平成十二年の六月で、私が主催した「北マリアナ諸島・戦跡慰霊巡拝団」に参加してもらった。次は、平成十五年の五月に、若くして亡くなった後輩の散骨を行うためにサイパンを訪れた。最後が、四年前の一月で、これはプライベートな家族旅行だった。その他、タイのカンチャナブリ県での慰霊祭や台湾の高砂義勇隊の慰霊祭にも一緒に行ったり、彼の思い出は尽きない。「燃えよ祖国」で彼の追悼特集を行ったのが、つい昨日のように思えてならない。

176 ※清水さんの追悼特集号。

2010_031 ※平成二十一年の一月。サイパン島の「マニャガハ島」にて。在りし日の清水氏。

夜は、事務所で「燃えよ祖国」の印刷。十時過ぎまで頑張って、ようやく半分印刷。そのまま自宅に戻って、「糖質〇」のビールを一本飲んで、浅田次郎の「一路」の下巻を読了した。


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ダラダラとした一日だった。

2013-05-28 12:41:29 | インポート

五月二十七日(月)晴れ。海軍記念日。

明治38年(1905)5月27日に行われた日本海海戦を記念して制定された。東郷平八郎提督率いる連合艦隊が、強大なロシアのバルチック艦隊を日本海で撃滅し、勝利を収めた武勲輝ける日である。戦前は、海軍記念日として祝われた。

若い頃は、亡くなられた大日本殉皇会の小早川貞夫先生が、大磯を拠点に主催していた「海軍記念日奉祝県民大会」に出席して、街宣車による奉祝パレードに参加したものだった。この奉祝行事は、現在も神奈川県維新協議会の同志らによって行われている。

起きてから、細かい用事を済ませてダラダラしていたらあっという間に三時近くになった。今日は夜に、近所のお付き合いのある人たちとの月に一度の飲み会がある。カツオを差し入れる約束をしていたので、慌てて松原商店街へ行きカツオを購入。久しぶりにいいカツオだったので二本買った。

七時から永田のラーメン屋「たつ屋」で一杯会。わいわいがやがやと二時間。となりの「魚くま」へ転戦。十時前に帰宅。


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曹洞宗の売国奴。

2013-05-28 12:00:55 | インポート

五月二十六日(日)晴れ。

今日も一日機関誌の編集作業に追われた。合間にテレビを見ると、また橋下の例のニュースばかり。いい加減にうんざりするので、すぐにチャンネルを変えてしまう。先の大戦を「侵略」と断じた姿勢には開いた口がふさがらない。政治家としての「志」が欠落しているから、大東亜戦争を戦った先人に対する尊敬や、英霊に対しても感謝の念がないのだろう。このままでは、参議院選挙で維新の飛躍はない。改憲勢力の一角が崩れる訳だ。

維新政党・新風の鈴木信行さんのブログを転載しました。
曹洞宗僧侶らが「竹島は韓国領土と宣言」
韓国に国を売る曹洞宗僧侶ら3人が5月23日、駐在日本総領事館の制止を振り切り、竹島に不法上陸して「独島は韓国領土」
と宣言した。
竹島を訪問したのは
一戸彰功・青森県の雲祥寺住職
久保井規夫・元桃山学院大学教授、
黒田伊彦・元大阪樟蔭女子大学講師ら「竹島の日を考え直す会」3人。

この会は歴史学者・宗教界・市民団体ら260人が加入し、「竹島の日反対」「平和憲法改正反対」などの活動をする札付きの反日左翼集団だ。
一昨年8月1日に韓国が新藤総務大臣らを入国拒否していなければ、私も同行するはずだった鬱陵島から23日午前7時に出発し、韓国の市民団体「独島学堂」と支那人(中国)らと竹島に不法丹生上陸した。
竹島不法上陸後にイ・グァンソプ独島警備隊長と握手し、太極旗を振って「独島は韓国領土」と叫んだというから、呆れるを通り越して売国奴の称号を送り留置場に叩き込みたい。
売国奴3人とともに韓国に入国した坂本悠一・元九州国際大学教授は竹島不法上陸を許されなかった。鬱陵島サドン港で竹島行きの船に乗る前「独島を韓国領土として見られない」という見解を明らかにしたため、行事を主催した独島学堂側が乗船券を渡さなかったという。
少しは日本人としての良心が残っていたのか。それとも学者としての良心が韓国の嘘を許さなかったのか。
韓国政府に小学校教育の中から嘘で洗脳され「独島は韓国の領土」と勘違いしている韓国人には、韓国政府の嘘と韓国人の間違いを教えなければならない。
許せないのは、日本人でありながら韓国に加担し祖国を裏切る大バカ野郎の売国日本人だ。村田春樹氏が竹島の日をプレゼントした東北アジア歴史財団あたりに買収された学者も大バカだが、
宗教人でありながら祖国を裏切り大衆を騙す坊主はもっと性質が悪い。坊主だが仏罰ではなく、神罰が下るよう祈願しよう。写真一番右が一戸彰功青森雲祥寺住職

Img_1048739_44867807_01 ※売国奴の皆さん。


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お世話になった方の三回忌、そして楠公祭。

2013-05-26 16:40:56 | インポート

五月二十五日(土)晴れ。

我が家の墓碑銘を見ると、二十三日は岳父の命日。そして今日は、私がこの運動に入った時に指導して頂いた小早川久之先生の命日で、三回忌にあたる。亡くなられる少し前に、小早川先生宅へ陣中見舞いに行った。メンバーは、民族革新会議の山口申、岡田尚平、犬塚博英の諸先生に、小川和彦氏と小早川先生と長年のお付き合いのあり、過日定年退職した某電鉄会社の副社長氏に私。思い出話に花が咲いての一献会となった。平成二十三年の今日亡くなられた。合掌。

今日は、楠公祭である。赤坂の乃木神社でお祭りが行われ、当初出席予定でいたが、「大吼」と「燃えよ祖国」の校正に追われてとても時間が取れず、松本佳展君に代理出席して頂いた。古い同志の三沢浩一氏からも、「当日お会いできますことを楽しみにしています」とメールを頂いたが、それどころではなく、朝の七時から、夜の七時まで、目一杯仕事をしていた。

また、我が家と隣接している土地鉄工所があったのだが、そこが倒産して売却され宅地となる。昨年は、その解体工事で家は揺れるし、騒音と振動で落ち着いて原稿を書くことも出来なかった。それに対して、丁寧な説明もなく、近所の人が余りにも工事がひどいので「家屋調査」を申し入れた所、何と工事が終わる少し前に調査が来た。工事が開始される前に家屋調査をしなければならないのに開いた口がふさがらなかった。その施主というのが、青年商工会議所の役員をしていると言うのだから二度びっくり。

倒産して、夜逃げ(約二年間)をしなければならない会社を一族で経営し、倒産した後は、近隣に何の説明もなく、解体と造成工事を行う。全く常識に欠けているとはこのことである。そんな男が、商工会議所で若手経営者の指導をしていると言うのだから、ブラックユーモアかもしれない。

その後、紆余曲折あって造成後の建築業者が変更となり、再び、宅地の造成と住宅の建設が始まると言う。何せ大規模な開発であり、普段は閑静な住宅地なのだから、土曜日の工事は中止してほしいと要求したところ、「できません」とのこと。また現在は道路として使用している所を盛土して、そこに住宅を建築すると言う。それに対して近隣が、「何もわざわざ道路だった所に家を建てるのではなく、適切な用地があるのだから、考え直してほしい」と言えば、「擁壁にかかるお金が大変」とか「今更設計変更するのには、費用や手続きが大変」などと言って近隣の要望を何一つ受け入れることをしない。

自分の土地に、どのような建物を建てようが、合法である以上仕方がないが、今まで住んでいる人たちの迷惑を考えずに、営利至上主義で他人のことなど関係ない。という企業体質はいかがなものかと思う。近隣の人たち、十数所帯がその企業に「申し入れ」をすることにしたが、あくまで「申し入れ」なので、聞いてくれるかどうかは相手次第。もし、全く無視するならば、市長、建築局、人権委員会等にも申し入れると、近隣の皆さんで意見の一致を見た。

笑止なことに、その会社はスポーツ施設を経営していると言う。営利のためなら近隣住民の迷惑は関係なく、健全をモットーとするスポーツ施設の経営とは片腹痛い。最悪の場合は、そのスポーツの協会にも、住民の声を届けたいと思っている。


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