白雲去来

蜷川正大の日々是口実

右腕と背中の「赤いシミ」。ただの酒焼けか肝硬変か。

2013-06-29 11:16:32 | インポート

六月二十八日(金)やや晴れ。

今日は、忙しい一日だった。起きたのは、六時半。朝食は、アジの干物に玉ねぎ入りのさつま揚げに納豆。十時半まで、メールを確認したりFBで開いたり、「お気に入り」のブログを読んだり、まったりした。

十一時から歯医者。「やまと」で知り合いFBで「友達」になった人が、偶然私と同じ歯医者に行っていることを知り、世間は狭いものだと感心した。歯医者の先生から、私の右手に半年前ぐらいから出来ている「赤いシミ」を指摘され、「蜷川さんアレルギーかもしれないので皮膚科に行って見て貰った方がいい」と言われた。先日も掛りつけの病院でレントゲンを撮った時に、背中にやはり赤い斑点のようなものが出来ていて「帯状疱疹の痕ですか」と言われたので、内科の先生に聞いたら「酒焼けだよ」と軽くいなされたので、安心していたが、やはり気になる。歯医者の先生に皮膚科を紹介され、午後から行くことにした。

歯医者が終われば、一時間ほど、クマザワという書店に行き「書籍浴」を楽しんだ。文春新書を二冊購入。週刊文春の書評にあった「ウイスキー粋人列伝」(矢島裕紀彦著・八百二十円)。「吉田茂も黒澤明も向田邦子も日本人はみんなウイスキーが好きだった。愛飲家九十人のエピソード」が書いてあり、手にした瞬間から酔いそうになった。もう一冊は「特攻とは何か」(森史朗著・八百九十円)。何気なく手にして、パラパラと読んでいたら勉強になったので衝動買い。スタバで少し読もうかと思ったら昼時で満席。 あきらめて横浜橋商店街の天丼屋「豊野」に行って昼飯。このお店は随分と有名になり、テレビはもとよりラジオや雑誌で良く取り上げられている。海老や野菜のてんぷらがドドーンと載った「黄金丼」と「蜆の味噌汁」を頼んだ。ご飯は軽めに。千二百円也。

食後は一旦自宅に戻り、車を置いてから、バスと電車で、横浜駅の西口は五番街にある皮膚科へ。この病院は有名で二時間待ちぐらいは当たり前。お陰様で、本を一冊読めた。院長の診断は、「内臓の検査をして貰いなさい。肝硬変かもしれない」とのこと。でもマメに血液検査をしているが、そう指摘されたことはない。近々、他の内科に行って検査をして貰うつもり。

夜は、懲りずに酔狂亭で独酌。カツオとキムチポッカ。盟友から送って頂いた「三陸のウニ」にじぇじぇと驚いて「黒霧島」を楽しんだ。いつもながらのオスカー・キロ・インディアさん(分かるかなぁー)に感謝。


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まだ明るいうちに飲み屋に逃避行。

2013-06-29 00:06:24 | インポート

六月二十七日(木)晴れ。

いやー久しぶりに良い天気。青空が広がっている。こうでなくてはいけない。金が無かろうが、天気の良い日は、なぜかウキウキする。

「師・野村秋介ー回想は逆光の中にあり」の原稿を脱稿した。しかし、何箇所か気に入らない所や誤字脱字があって、校正に万全を尽くしている。恐らく、最終原稿の三倍も、書いては直した。もっと早く脱稿するつもりだったが、焦らず気に入ったものを上梓してみたいと思っている。

三時過ぎに、久しぶりに会う友人が来訪。時局の話などしているうちに、夕方となり、では一献ということになった。本当は、子供を塾に送って行かねばならなかったが、「たまには歩いて行け」とエバッて逃げた。いそいそと酒場に直行。お店は先日紹介された藤棚の居酒屋。女将が私を覚えていてくれて嬉しかった。

ただ芋焼酎が「東国原」と言う名前のものしかなく、味はともかく、その名前が気に入らず、断ろうと思ったが、一緒に行った友人が、「まあまあ。たまには馬鹿を呑むのも良いでしょう」と言うので、その名前の馬鹿の顔を忘れてキープした。近所に住むカメちゃんを呼び出して三人で、馬鹿の名前の焼酎を飲みながら、こちらも馬鹿話。

その後、このまま知らん顔で帰るのは失礼と、「やまと」に転戦。軽く飲んで友人を駅まで送ってから帰宅。


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一歩も外に出なかった。

2013-06-28 23:51:35 | インポート

六月二十六日(水)曇り。

朝飯は、C級グルメのナポリタンのスパゲティー抜き。つまり玉ねぎと魚ニソをケチャップで炒めたもの。これは簡単そうで、ケチャップの調節が微妙に難しい。少ないとイマイチパサパサになるし、多すぎるとドロドロ過ぎる。こんな簡単な料理でも、美味しく食べるにはコツがある。血圧を気にして、こういうこってりの料理の時は、味噌汁を作らず、汁物はなし。醤油もなるべく使わずに「ポン酢」にしている。

以前は、おしんこも干物も、とりあえず醤油をかけていたが、それをやめてから三年ほどたったが、今では、それが当たり前のようになった。生活習慣とはげに恐ろしい。母は富山の漁師の娘だったせいか、何でも醤油と味の素をかけた。鮭もとびきり辛い物が好きで、しょっぱくないと「美味しくない」と箸をつけなかった。私も、そういうものだと思っていたが、さすがにこの歳になってヤバイと思うようになって、自制している。ナニ健康になって毎日酒を飲みたいだけなのだ。

今日も、一日PCに向かっていた。どこにも出かけずに、座ってばかりいるので、運動不足である。天気の良い日は歩くとするか。夜は、当然酔狂亭で独酌。「吉助」が美味い。


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他のものは借りても、本は借りてはいけない。

2013-06-26 23:27:13 | インポート

六月二十五日(火)曇り。

毎日はっきりしない日が続いている。舗装道路が少ない頃は、埃がたつので、雨が降れば「いいおしめりですね」といった挨拶を私の母などはしていたことを覚えている。さすがに今では使う人もいなくなった。時代や環境の変化と共に日常の挨拶も変わってくる。仕方のないことか。

「週刊新潮」に、数学者の藤原正彦さんが連載しているコラム「管見妄語」に、読書に関することで思わず、そうだ、そうだと相槌を打つようなことが書いてあった。それは、藤原さんの父上(新田次郎)は、藤原さんが学生時代から、「本代だけはケチるな」と言っていたそうだ。「面白そうな本を手に入れれば、その時読まなくともその本が本棚の一隅にあることは忘れないものだから、すぐに手に取って調べたい時の備蓄になる」からと。

また、自由主義者の河合栄治郎は、「学生に与う」の中でこう言っている。「書物は買わなくては駄目だ。・・・・本を借りて済まそうとするのは、はしたない業だと思う。ほかのものは借りてもよいが本だけは自分のものとして座右に置いて、いつでも手にとれるようにしたい。そして書入れをしたり、買った日付を記しておくのがいいと思う」と。

私も全く同感である。私は、本の最終頁に読了した日付と、何処で読んだのかというような簡単なメモを書いておくようにしている。随分前のことだが、見沢知廉氏が千葉刑務所に在監中に、ご母堂から頼まれて、金子文子の「何が私をこうさせたか」を差し入れしたことがあった。何ケ月かして返却された本の中に、かつて私が、「網走の独房で読了」と小さく書いたすぐ脇に、見沢氏が、同じように「千葉刑務所で読了」との書き込みがあった。刑務所では本の書き込みは違反行為なのだが、共通の思いが感じられて嬉しかったことを覚えている。

いつどこで読んだかと記すだけで、後に、その本を見れば、その時のことを思い出して、時には感慨無量となる。先日、書棚に本を置くスペースがなくなったので、百冊ほどの本を廃棄した。何か、思い出が消えて行くようで、とても切なかった。

夜は、酔狂亭で独酌。宮崎の社友の福田さんからご恵送頂いた「吉助」という焼酎を飲んだが、これが絶品だった。さすがは霧島酒造。創業者の名前をつけただけあって「赤」や「黒」の霧島より数段上だと思った。たまげた。


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完全勝利とは珍しい。

2013-06-26 18:08:55 | インポート

六月二十四日(月)曇り。

起きてから、夜の六時まで一歩も外に出かけずに、PCで原稿書き。九分九厘終わったのだが、どうも気に入らない部分が多くて、手直ししている。四百字で、約二百五十枚を書くと言うのは、かなり体力を要する。流行作家の人たちの脳みそがどれほど大きいのか、一度見てみたいものだ。

夜は、恒例の町内のジジ&ババたちとの懇親会。場所は近くのラーメン屋さんの「たつ屋」。美味しいカツオの差し入れなどもあって、楽しい時間となった。その後は、すぐ隣の「魚くま」へ転戦して帰宅。

都議選で、自民、公明が圧勝。候補者が全員当選すると言うのは、ほとんど記憶がない。維新の会が、橋下代表の、例の「慰安婦」発言で支持を失った。考えてみれば、輿論なんてそんなもの。自民党だって、何か一つ間違えば、マスコミから袋叩きとなって、また政権の座から滑り落ちるかもしれない。その時は、民主党じゃなくて共産党だったら・・・・。そんな悪夢のようなことが起きなければ良いのだが。さあて参議院選挙では、民主党は消えるのかな。選挙が待ち遠しいのは久しぶりのこと。


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