白雲去来

蜷川正大の日々是口実

我に友あり、美酒もあり。

2018-11-30 08:53:02 | 日記
十一月二十七日(火)曇り。

この時期、「喪中葉書き」が届くと、ドキッとさせられる。宛名を見てホッとするのは、ご本人ではなく、ご尊父であったり、失礼ながら直接お付き合いのない方だと、失礼ながら安心する。歳のせいか、友人のほとんどが同輩か年上の人が多い。もちろん後輩も沢山いるが、最近新聞の死亡記事欄に、度々知り合いの方の名前が出ることがあって、少しの間、その人のことを思って無言になる。ああ君はもういないのか・・・。しばらく携帯の番号を消すことが出来ない。思い出すのは、その人たちとの酒席でのことばかりだ。

ふと、道の兄と慕った、元楯の会の阿部勉さんの歌が浮かぶ。われ死なば火にはくぶるな「栄川」の二級に浸して土に埋めよ。

夜は気の置けない人たちとの飲み会を、最近は、松本佳展君の友人らの梁山泊の観を呈している、川崎の「中山」で開催した。総勢九人。仕事は皆違う。女性も来るし、全く民族派運動とは関わり合いのない人もいる。それが、共通の話題で盛り上がるのだから楽しい。ただ菊を眺め、酒杯に天下の影を映して、君の来ることを待つこと甚だ久し。と言う方が一人、急用のために「心参」だったのには残念。しかし代役のお嬢さんが、とても利発で、和んだ。正に大和撫子の典型のようなお嬢さん。

蟹やてんぷらなどを堪能して九時過ぎに解散。いい夜だった。

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鍋もっておでん屋までの月明り

2018-11-29 23:02:52 | 日記
十一月二十六日(月)晴れ。

寒くなると「おでん」が恋しくなる。屋台で、おでんを肴に熱燗で一杯やる。これが好きなのだが、美味しいおでん屋が少なくなった。単に安いと言うことだけを売りにして、おでん種や味が、二流以下だ。東京には、そこそこおいしいおでん屋があるが、横浜には贔屓のお店が無い。夏場でも、お客が耐えないおでん屋というのが、本物の味だと思うが、味と風情の揃ったおでん屋に行ってみたいものだ。おでんに刺身に干物。私の酒の肴の三種の神器だ。           

刺し身と干物と言えば、私にとってはイコール伊豆だ。随分前のことだが、伊豆の弓ヶ浜に遊んだことがあった。先輩の経営している民宿に泊まったのだが、申し訳ないが料理が素人以下で、嫌になったことがあった。伊豆には、様々な人と、様々な旅をした。しかし弓ヶ浜だけは方向が悪いのか、胸の痛みだけが甦って来る。若い頃に熱海の目の前にある初島に行った時のことを「旅の澪標(みおつくし)」と題して、タウン誌に書いたことがあった。その初島に盟友が会員となっているホテルに招待された。変わらぬ景色と、夏の暑さとに相俟って、眩暈がしたことを覚えている。

それでも伊豆が好きで、度々出かける。「踊り子号」の車窓から海を眺めていると、それだけで、冷えたビールを三本ほど飲める。熱海までは、まだシラフで、伊東あたりだと、頬が赤くなり、下田に着く頃には、足元が危うい。温泉で汗をかいて酒を抜き、旅館の料理に舌鼓をうつ。これくらいならば、年末ジャンボが当たらなくとも、何とかなる。

夜は、月に一度の町内の仲良しさんとの飲み会。ラーメン屋さん、土建屋さん、床屋さん、勤め人にお金持ちに、私のような浪人。もう十年以上も続いている。気の置けない人たちとの酒席は楽しい。

帰宅後は、録画していた「寅さん」を見ながら、ひとりゲラゲラ。何も考えずに、こういう映画を見るのは、精神的に良い。小市民、中市民、大市民がいるそうだが、私のような浪人は、小市民以下だ。渥美清さんの句に、鍋もっておでん屋までの月明り。と言うものがあるが、今ではファミレスで買うのが主流かもしれない。
               

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憂国忌。

2018-11-29 08:58:05 | 日記
十一月二十五日(日)晴れ。憂国忌。

今日は、日本学生同盟(日学同)のOBの方々が続けられている三島由紀夫・森田必勝両烈士の追悼祭「憂国忌」の日である。憂国忌は一部のカレンダーにも明記されるほど、メジャーとなっている。私は、この義挙がきっかけとなって民族派運動を志した。従って三島・森田両烈士の没後四十八年は、そのまま私の運動の歴史でもある。

夜は、世田谷のレストランにて大行社関係の忘年会があり出席。東横線の自由が丘から大井町線に乗り換えて二子玉川下車。この電車には、想い出がある。高校生の頃に環八沿いにあったドライブ・インでアルバイトをしていた。上野毛で降りて、多摩美術大学の前を通った先に、そのドライブ・インはあった。上野毛の駅前にメガネ屋があり、とてもかっこいいサングラスがショーウインドーに飾られていて、給料が入ったら必ず買おうと思い、前を通るたびに「売れてはしまいか」と、ハラハラして眺めていた。

給料日の日、そのメガネ屋に行き、サングラスをした自分の顔を鏡で見た。その瞬間に、笑ってしまった。全く似合わないのである。ピエロか漫才師のようで、慌ててお店を出た。自分で自分を傷つけたことに、情けないよりもバカバカしくて、笑いながら帰ったことを覚えている。自由が丘の駅のすぐ近くにあった古書店で、メガネを買うはずだったお金で『林芙美子全集』を買った。書棚にある、その本を見ると、その当時のことを思い出す。

玉川高島屋の前の街路樹は、クリスマスのネオンで飾られていた。若い頃なら、多少は心が高ぶったのだろうが、もうそんな歳ではない。東横線が遅れたので少々遅刻して出席。楽しい会だった。

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野分の祭。

2018-11-29 08:42:36 | 日記
十一月二十四日(土)曇り。野分祭。

昭和四十五年の十一月二十五日、当時の自衛隊の東部方面総監室において自決された三島由紀夫、森田必勝両烈士。当時二十五歳と言う若さで亡くなられた森田烈士の決起前夜の心境を共有するということで行われているのが三島由紀夫・森田必勝両烈士を追悼する野分祭。森田烈士の辞世、「今日にかけて かねて誓ひし我が胸の 思ひを知るは 野分のみかは」から「野分祭」が命名されている。野分とは、秋の台風の古い呼び名。秋草の野を吹きわける意。二百十日,二百二十日前後に吹く。あれから四十八年か。

夜は静かに、酔狂亭にて「豚バラ鍋」を囲んだ。

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忘年会が二つ。

2018-11-29 08:20:52 | 日記
十一月二十三日(金)晴れ。新嘗祭。

新嘗祭(にいなめさい・しんじょうさい)とも。新穀を神にささげて収穫を感謝し、きたるべき年の豊穣を祈る祭儀。古代からあり,宮中では旧十一月第二の卯の日に天皇自ら祭儀を行った。一八七三年以後は十一月二十三日と定められ,戦後は多くの神社でも行われるようになった。玄関に国旗を掲げ、皇居を仰ぐ。

今日は、忘年会が二つ。運動関係の忘年会は志村馨・松本佳展の両君に出席して貰った。もう一つは、サリーズバーの忘年会。加えてパパとサリーの結婚記念日。こちらに参加させて頂いた。関内駅前のイタメシ屋さんにて、仲良しさんたちが集まった。三時間ほどで終了して、二次会は大勢でカラオケボックスへ。久しぶりに「高校三年生」を歌わせて頂いた。

解散後に、古谷喜久男、成田功の両氏と共に野毛に転戦。二軒ハシゴして帰宅。

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