白雲去来

蜷川正大の日々是口実

皇国の皇国たる主権がいつ恢復するのか。

2012-04-30 13:55:42 | インポート

四月二十八日(土)晴れ。

 休みで、家族が全員家にいる。天気も良いので、家族にハツパをかけて、自宅をガアッートと掃除した。ぐずぐす天気の日が続いていたので洗濯物が山のようにたまっている。二回も洗濯したら、物干し竿がたわわに歪んでいた。

 貧乏性なので天気がいいと言うだけで、何か得をしたような気になる。この澄んだ青空が、原発の事故などによって、汚されることの無いことを祈るだけだ。

 「主権回復の日」か。そんなものは言葉だけで、対米従属、追随の政治体制は戦後一貫して変わっていないし、占領憲法すら改正されていない。自衛隊も米軍の傭兵のままだし、一体、いつになったら皇国の皇国たる主権が恢復されるのか。サ条約なんて屈辱以外のなにものでもない。三島烈士の檄文をもう一度読み返してみるいい機会でもある。

 午後から、家族を連れて買い物に出た。上の子供のメガネの修理、ギターの修理、洋服を買ってあげたり、財布がどんどん心細くなる。時計を見たら五時。たまらないので、一人で「やまと」に逃げた。カメチャンに電話したら、戻っていたので誘って一杯。そのうちにお店が混んできたので「愛福楼」に転戦。アコチャンと私の家族が合流。紹興酒を二本空けて解散。Img692※私のポスターコレクション。私が主宰していた横浜青年政治研究会当時のものもあります。


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意識の頽廃と後退が進んでいる。

2012-04-30 13:39:42 | インポート

四月二十七日(金)雨のち曇り。

 

 ゲゲゲという感じで、やっとこさ起きた。十時に横浜に泊まった大熊雄次氏ご夫妻を迎えに行くので慌てて家を出た。馬車道で待ち合わせてから、中華街の「安記」へ。定番の、モツ皿、レバ皿、焼売に五目粥。車で行ったために迎え酒が出来なかったのが残念。一時間ほどで別れて、自宅に戻り、少し寝た。

 

 午後から、みなとみらいの歯医者へ。終了後に書店に寄るが、どうしても欲しい本が三冊あったが、不如意なので、しばらく考えてやめた。欲しかった本と言うのは、ピューリッツァ賞を取った写真集と、「ナチ戦争犯罪人を追え」、「日本戦争映画総覧」の三冊。酒を飲む金は惜しまないのに、三冊で約一万五千円は手が震える。あーあ意識が頽廃している証拠だ。

 夜は、家でおとなしくしていた。二杯だけ飲んで胃と肝臓を休めた。

P1000355

P1000329※写真を撮っておかないと、すぐに題名を忘れてしまう。携帯も便利だ。


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サリーズバーのパーティー。

2012-04-29 07:12:38 | インポート

四月二十六日(木)曇り。

 午前中は、があっーと仕事をした。原稿の締め切りが迫っているので、頑張って仕事。「大吼」の段取りなどを済ませてから、恒例となったサリーズバーのパーティーに出かけた。会場となっている元町のパーティースペースに着くと、顔見知りの皆さんが到着していた。入口で、サリーや、サリーのお姉さんのハミちゃん、浅野忠信さんのママさんのジュンコちゃんなどにご挨拶。今回も百五十人もの人たちが集まって、知り合いのいるテーブルに行くのも大変である。そういえば、隠れファンでジャズシンガーのキャロピーさんと会えておおっ!

 バンド演奏が始まっても、知り合いのテーブルで延々と飲んでいた。ほとんどが知り合いなので、テーブルからテーブルへと、「久しぶり」「元気」の乾杯が続く。まあくどくど書いても仕方がないので写真を沢山アップします。

Dscf4524※サリーちゃん。元ゴールデンカップスのエディ蕃さんと酒友の石山君。

Dscf4531※前列から、石井さん、楠さん、カシアス内藤さん。カメちゃんに大熊さん。

Dscf4537※エディ蕃さん、鄭さん、リュウさん、サリーに私と、ジョニーさん。

Dscf4558※元ナポレオン党の小金丸峰夫さん、「ヨコハマ・メリー」の監督の中村高寛さん、中華の帝王の鄭さん、お友達の印南さん。私の後ろに元シャープホークスのトミー野沢さんが写っていますね。

Dscf4562※私の隣は、ミッキー吉野さん。サングラスの人は、沢木耕太郎氏の「一瞬の夏」や、アリスの「チャンピョン」の歌のモデルとなったカシアス内藤さん。

 終了後は、皆で「ラッキー」の店で打ち上げ。


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風に吹かれて。

2012-04-25 23:53:55 | インポート

四月二十五日(水)曇り。

 今日は、盟友だった故渡邉康司氏の十七回忌法要が、彼の墓所である小田原のお寺で行われる。当初、車で行こうとも思ったが、暖かいので電車で行くことにした。

 保土ヶ谷から午前十一時の横須賀線で、戸塚へ、そして東海道線に乗り換えて鴨宮で下車。タクシーでお寺まで行こうかとも思ったが、時間も早く、天気も悪くないので歩いて行くことにした。駅で聞けば、お寺までは二十分ほどの道のりとのこと。

 鴨宮で降りるのは初めての事である。その手前の二宮や大磯へは、かつて大日本殉皇会の小早川貞夫先生がご健在の頃は、ご自宅にうかがう為に利用したことがある。東海道線の車窓から、大磯、二宮の景色を見ながら、初めて小早川先生宅を訪れた昭和四十七年当時の事を思い出した。

 鴨宮の駅を降りて歩いていると、吹く風に海の香りがする。昼時なのに町に人影がほとんど見えない。車の通る音よりも風の音がうるさいくらいだ。知らない町を歩くのが好きだ。旅が手頃でなかった時代に、「遠くへ行きたい」という歌が流行った。「知らない町を歩いてみたい。どこか遠くへ行きたい」。そんな暇も、金も、勇気もない癖に、その歌で「知らない町」を夢想した。本当に静かな町を歩いていると、「遠くに行きたい」の歌が、頭の中でリフレーンして聞こえてきた。法事に出席する人が、私に気付いて車に乗らないかと誘ってくれたが、もう少し歩いてみたかったので、固辞した。

 渡邉君の眠るお墓は、西湘バイパスのすぐ横にある。平成八年に彼は四十五歳と言う若さで突然この世を去った。亡くなる前日、あるパーティーで一緒になり、二次会に誘われたが、断ってしまった。その日の事が胸の痛みと一緒に甦ってきた。彼のお墓に来るのは随分と久しぶりの事だ。そのことに対する思いが、歩くことで癒されるかもしれないと思ったのだ。

 一時から法要が始まった。亡くなった当時のままの彼の遺影がある。生きている私たちだけが年老いて行く。追悼を重ねて行くということは、すなわち生きていることへの言い訳をしているのかもしれない。

 缶ビールを二本飲んだだけにもかかわらず、自宅に戻ったときは、なぜか疲れて一時間ほど横になった。

Scan0013※この演説会が、同年の三月三日に起きた「経団連事件」の支援集会となった。まだ私が蜷川一誠と名乗っていた頃である。主催は、渡辺康司君の国防青年隊で、茨城にいた倉持次雄君が責任者だった。その倉持君も若くして亡くなられた。

Dscf4496※渡邉君の墓所にて。諸先輩と共に。


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月下独酌。

2012-04-25 23:09:17 | インポート

四月二十四日(火)晴れ。

 

 いい天気である。今年初めて半袖で過ごした。午前中は、パソコンに向かって原稿の段取り。今月は、ゴールデンウイーク進行と言うことで締切が早い。頑張らなくては・・・。

 午後から、支払。確定申告の税金、事業税やら少し遅れても延滞金がついて大変である。支払うものが沢山あるのに、収入がついて行かない。永遠にマイナス成長である。赤字国債でも出したいくらいだ。

 やらなければならないことが山ほどあるのに、どうもエンジンキーを回せない。ガソリンと言う名の酒を入れすぎても車は走らないということを自身が証明している。

 夜は、花房東洋先輩から回顧録?「大愚記」を送って頂いたことのお礼の手紙や、編集をした坪内隆彦氏へ慰労の手紙、そして、先日の札幌行きでお世話になった方々にお礼の手紙など六通を書いた。終了後は、我が酔狂亭で月下独酌。

Photo※花房東洋先輩の回顧録「大愚記」。表紙が不祝儀袋とは暗示的である。

Photo_2※「大愚記」序。


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