白雲去来

蜷川正大の日々是口実

関内祭りへ。

2011-07-31 12:42:44 | インポート

七月三十日(土)曇りのち晴れ。

 さすがに朝がきつかった。それでもエンコラショっと起きて、朝食。私は、昔から朝飯が一番の楽しみで、お腹が空いて目が覚めるほどだ。炭水化物を制限されているので、ご飯を食べるのは朝だけ。だから余計に楽しみとなる。

 愚妻は、病院に行きながら、そのまま「関内祭り」へ出かけた。私は、午前中一杯仕事をしてから、上の子供と伊勢佐木町へ。吹奏楽部の大会で予選落ちした娘の夏は終わった。ご苦労さんの意味もあって、何か買ってやろうかと言ったら、本が欲しいとのことなので、有隣堂へ。

 子供が本を選んでいる間に、私は近くのサンマルクにてお茶。ここでショックなことがあった。カフェラテを注文しようと思ったら、その名前が思い出せないのである。店員さんに「何に致しますか」と二回聞かれても思い出せず、あせってしまった。仕方がないので、「コーヒーに牛乳を・・・」と言った所で、店員さんが「カフェラテですね」。いやはや、恥ずかしかった。酒で頭が大分腐ってきているのかもしれない。

 子供が本屋から戻ってきて、一緒に馬車道の関内ホール前で行なわれている「関内祭り」へ行き、愚妻やサリーファミリーたちと合流。いつもながらのサリーファミリーの仲良しグループが勢ぞろいし、神輿を担いだり、ビールを飲んだり楽しんでいる。午前中の雨も上がり、良い天気となった。終了後に、関内の「おじゃまむし」という料理屋で直会。参加は三十五名。当然お店は満員。神輿会の人たちのノリが良くて、一緒にいても楽しい。六時に解散。

 終了後に、いつもお世話になっている鄭さんから、ご招待を受けて中華街のBARへ転戦。同行は、愚妻にカメ&アコちゃん。カラオケに興じて一時間ほど。自宅に戻ったら、そのまま寝てしまった。

Dscf3669 ※馬車道を行く神輿。

Dscf3677 ※我が友、ミッチー橋本さんのイッキ飲み。


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バカヤロウ。股で酒が飲めるか。

2011-07-30 11:24:09 | インポート

七月二十九日(金)曇り。

 今日も午前中に一時間半ほど歩いた。コースは、丁度時計の電池の交換をしようと思っていたので、弘明寺商店街にある眼鏡屋(なぜか眼鏡屋で時計の電池交換をしてくれる)まで行き、戻ってくるというコースだったが、良い具合にバスが来たので、少しズルした。

 本渡諏訪神社の大野康孝兄から電話が入ったが、どんな話をしたのか良く憶えていない。肝臓に糖尿と満身創痍らしいが、それでも命懸けで酒を飲んでいるとのこと。酒では人の事など言う資格はないが、何とか節制して元気になってほしいものだ。

 午後に、札幌の石澤博文君の甥っ子の、大工のヒデちゃんが、「北海縞エビ」を二パックも届けてくれた。金はないが、酒と肴のあるうちはなぜかウキウキする。その後、五時まで仕事。

 夜は、友人と待ち合わせて、横浜の下町、前里町の三丁目にある焼き鳥屋「だんらん亭」へ行った。ここの女将は横浜では有名な人。美人でキツプも良い。私と同い年で話も合う。もちろん料理も美味い。焼き鳥を少しと、ヘルシーなツマミを食べながら、今日は芋をやめて麦を水割りで飲んだ。

 八時に、友人と別れてサリーの店に行く。社友で盟友でもある古谷喜久男氏と久し振りに飲んだ。お互いにハイテンションとなって二軒転戦した。すっかり古谷氏にご馳走になり、再びサリーの店に戻った。仕上げに「写楽」でもと誘ったら古谷氏は限界と帰宅。店にいた、サリーパパと横ちゃん、そしてサリーたちと「写楽」へ。寿司を食べずにカツオで少し飲んでから、御前様で帰宅。迎えに出た女房が、「アンタ又飲んでんの」。「バカヤロウ。股で酒が飲めるか」とエバって、慌てて布団に入った。ああ怖かった。


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真面目に仕事をしました。

2011-07-30 11:05:16 | インポート

七月二十八日(木)雨のち曇り。

 空が今にも泣き出しそうだが、午前中に一時間半ほど歩いた。何とか歩いている時は雨は降らずに、おかげさまでいい汗をかいた。

 帰宅してから、真面目に机に向った。印刷所がお盆休みの関係もあって今月は締め切りが早い。従って、いつもなら締め切りに余裕のあるものも今週中に書き上げなければならない。

 夜も真面目に仕事して、自分へのご褒美として「黒霧島」をロックで三杯だけ飲んで寝た。


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子供の演奏会で心が洗われた。

2011-07-28 21:50:00 | インポート

七月二十七日(水)曇り。

 酒が抜けきらず、起こされても朝だか夜だか分からん。それでもやっとの思いで起きて、シャワーを浴びればもう十時。慌てて、様々な方へ、様々な手紙を五通ほど書いてから出かける仕度をした。私は、電話が余り好きではない。物を贈って貰ったお礼や、何かを依頼する場合でも電話で済まそうという安易な気持ちにはなれない。

 そういうことを教えて頂いたのは野村先生だが、身近な先輩でそういったことを実践している方は、鈴木邦男さんと犬塚博英さんのお二人がすぐに頭に浮かぶ。他人からは、新右翼、鈴木さんなどは左寄りなどと批判されているが、そう言った事は、礼儀正しく教えられることが多い。その他には、天草の大野康孝氏や岐阜の花房東洋先輩、細川嘉彦氏、福島の爆ちゃんなどもそうだ。手紙一つ書けずに「伝統・文化の継承」とは片腹痛い。

 正午から、みなとみらいホールで行なわれる上の子供の演奏会に行った。子供は部活で吹奏学部に入っているので、その大会がある。クラッシックなどに興味はないが、参加する中学生を見ていて、なぜかホッとする。いわゆる茶髪などのアホバカ低能チンカスガキなど一人もいないのだ。これが本来の学生と思えるような子供達が次から次へと出てくる。そういった子供達を見ているだけでも心が豊かになる。情操教育の大切さを実感した一日だった。

 見た目で判断してはいけないと、訳知り顔の大人は言うが、所詮は見た目なのだ。子供の頃からそんな教育一つ出来ない大人に、ろくなものはいないのは言うまでもない。子供は親を映す鏡である。

 夜は、真面目に仕事をしてから、休肝日として早目に寝た。仕事がたまってイライラする。

コメント (1)
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打合せで東京へ。

2011-07-27 18:36:50 | インポート

七月二十六日(火)晴れ。

 今日は、戦前の特高警察資料をまとめた「右翼・民族派団体総覧」の打ち合わせのために、志村坂上という所にある国書刊行会の本社に行った。保土ヶ谷から池袋、池袋から山手線で巣鴨、ここで都営三田線に乗り換えて志村坂上という駅へ。横浜から約一時間と少し。

 著者の永田哲朗さんと、国書刊行会の佐藤社長と打合せをするが、何といってもこのままでは頁数が二千五百頁にもなってしまうので、とても一冊では収まらない。二段組にして頁数を減らそうか、値段の設定、索引のことなど四時過ぎまで打合せを行なった。とりあえず、初稿が上がった段階で、再び打合せを行なうということにした。

 終了後は、池袋へ行き、まだ日が高かったが、永田さんと東口の駅前の居酒屋で一杯やった。余り期待せずに入った店だったが、古いお店らしく、ツマミもまあまあだった。ただ中国人のウエイトレスの愛想が悪く、興ざめした。笑顔の一つも客に向けられないのならば、客商売何かするなよ、このバカと怒鳴ってやろうと思ったが、まあカスを相手にしても仕方がないので、無視した。

 まだ帰るのは早いということで、西口に行き、居酒屋の名店「ふくろ」に入った。私は、ここは初めてだが、最初からここに来れば良かったと思うほど、気に入ってしまった。ツマミは豊富だし、どれも美味い。隣の客が豚足をすすめてくれたのでオーダーしたら、本当に美味かった。カツオの刺身もあるし、油絶ちの禁を破って、ハムカツを頼んだ。又行きたい店だ。

 酔っ払って池袋から帰った。

Photo ※「ふくろ」です。いやー又行って一杯やりたいネェー。


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