白雲去来

蜷川正大の日々是口実

今年最初の忘年会。

2014-11-27 12:21:58 | 日記
十一月二十三日(日)晴れ。新嘗祭。

起床後に、洗面を済ませた後に玄関に国旗を掲げ、皇居を遥拝。

今日は正午から、サリーズバーの忘年会が、みなとみらいにあるホテルのバーで行われる。今年最初の忘年会である。道路が混んでいて五分ほど遅れて出席。サリーのお店の常連さんや、サリーパパの友人など八十名も人たちが参加していた。ほとんど知っている人達ばかりなので、テーブルを回って歓談。料理も酒も人も、そして当然ながらサービスも一流で、こんな参加費で良いの、と納得過ぎる忘年会。

二次会は、ランドマークの中にある秘密のカラオケルームへ。ここでも大いに盛り上がる。五時まで。ここで皆さんにご挨拶して蒲田へ。駅前にあるお店で「新嘗祭感謝の集い」に出席。大行社の三本菅会長と同じテーブルとなった。この会も顔なじみの人たちばかりで、談論風発。しかしながら昼から飲み続けているので少々疲れた。終了後は、大行社の相模支部の小沢君に送って頂き帰宅。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二の酉へ。

2014-11-27 11:26:28 | 日記
十一月二十二日(土)晴れ。

今日は、「いい夫婦の日」だそうだ。そんなめでたい日は上の子供の誕生日。昨日、書店で買っておいた多機能ペンに子供の名前を入れて貰い、それを誕生日のプレゼントとした。午後に、子供の友達が来て一緒に昼食。メニューは「つけ麺」。

夕方には、二の酉に家族で出かけた。三連休の初日、それも今年最後の酉の市とあってすごい人手である。いつもならば閑散としている神社も今日ばかりは、押すな押すなの大盛況。酉の市というのは、毎年十一月の酉の日(十二支)に催される祭事で、浅草の鷲在山長國寺をはじめ、各地の鷲神社や大鳥神社で催される開運招福・商売繁盛を願う祭りで、江戸時代から続く代表的な年中行事の一つ。十一月の酉の日が立冬の前に来た年は三の酉まである。因みに今年の立冬は十一月七日。そして一の酉は十一月の十日。残念ながら今年は二の酉まで。俗に、三の酉まである年は火事が多いと言われている。私が子供の頃は、二の酉にもなると寒くてオーバーなどを着て出かけたものだが、最近は随分と暖かくなった。その頃は、まだカーバイトで灯りを点した屋台があったり、傷痍軍人がアコーディオンで軍歌を引きながら寄付を募っていたりしたが、最近は全く見かけなくなった。

夜店で変わらないのは様々な人気者の「お面」を売る屋台。何のお面を買ったかは忘れたが、被った時のセルロイドの嫌な匂いを思い出す。お祭りの喧騒というものは、なぜか郷愁を誘う。友人の印南さんご夫妻や顔見知りの方と何人かとあってご挨拶し、喧騒の中を後にした。

誕生日の夕食は、西横浜の鉄板焼き「颯」。子供たちはハンバーグにナポリタン。我々大人は、適当に肴を作って貰いひたすら飲むだけ。お腹がいっぱいになった子供たちを帰してから「やまと」に転戦。知り合いばかりで楽しかった。しばらく飲んでから帰宅。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の訪問者。

2014-11-27 10:33:54 | 日記
十一月二十一日(金)晴れ。

朝食は、鮭のハラス焼きに納豆と、豆腐の味噌汁という正調日本の朝食。以前、札幌に行った時に泊まった京王プラザホテルの「朝市」で、「鮭の山漬け」と言うものを買ったことがある。果たしてどんな漬け方をするのかと聞いてみたら、塩をして重ねて行くうちに段々山のようになるから、と言うようなことを言っていた。何だ、ただ重ねて行くだけかとがっかりしたが、買ってしまった物は仕方がない。半分期待しなかったのだが、家について三枚におろしてから焼いてみたら、これが思いのほか美味しかった。朝食が美味しいと思う時は、体調の良い証拠だ。

午前中に、インターホンが鳴った。モニターを見たら警備員が立っていた。何の用事かと思って応対すると、何と高校の同級生の杉本純三氏だった。杉本氏いわく、「すぐ近くで工事をしているので乗ってきた自転車を預かって欲しい」とのこと。もちろん快諾して、昼食を共にすることを約束。彼は、勤めている会社を定年で退職、ぶらぶらしていてもつまらないので、週に三日だけやはり高校の同級生が経営している警備会社でアルバイトをしている。ぐうたらな生活をしている私などとは比べ物にならない、真面目な人生を送っている。数少ない信頼のできる友人の一人である。昼食は、近所の蕎麦屋で「カツ丼セット」。お互いに家族の近況などを語り合いつつのランチタイム。

アジア放浪の旅に出ている若き大陸浪人の杉山茂雄君から絵葉書が届いた。何でも「マレーの洪門の有志と合流して孫文足跡を追っている」とのこと。実に羨ましい限りだが、そう思っても放浪するような勇気も体力もない。杉山君の一路平安を祈るのみ。

夜は我が酔狂亭で月下独酌。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬将軍到来。

2014-11-26 16:51:55 | 日記
十一月二十日(木)曇り後雨。

この時期は、一雨ごとに寒くなって行く。そして本格的な冬将軍がやってくる。この「冬将軍」という言葉だが、冬にシベリア方面からやってくる、強い季節風がもたらす厳しい寒さを表す言葉で、出典はナポレオンを敗退させた厳冬の史実にちなんでつけられたものだそうだ。敗退したのはナポレオンだけではなく、モスクワ侵攻を前にしてヒトラーの軍隊が撤退を余儀なくされたのも、この冬将軍だった。

札幌の社友の梶浦直樹氏は、この寒い季節に夜釣りに出たと言う。釣った魚をリリースしてしまうとはもったいない。持ち帰って鍋にでもしたならばさぞかし体も心も暖まるに違いない。支那は唐の時代の詩人で柳宗元と言う人の詩に「江雪(こうせつ)」と言うものがあって、梶浦氏のFBを見ていたら、その詩が浮かんだ。

千山鳥飛ぶこと絶え 万径人蹤滅(しょうめつ)す 孤舟蓑笠の翁 独り釣る寒江の雪 (多くの山々には、鳥の飛ぶ姿もなく、多くの小径にも人の足跡もなくなってしまった。ただ一そうの小舟に蓑と笠をつけた老人が、一人で雪のふりしきる川面で釣り糸を垂れている)

梶浦氏は老人ではないが、この時期の小樽の海岸、雪こそ降ってはいないが、想像しただけで、ぶるっと身震いをしてしまう。その昔、冬の海岸でキャンプをしながら釣りをしたことがあるが、さすがに夜は納竿した。暖かくなったら、小樽の岸壁で、私の「落とし込み」の秘儀を披露してみたいものだ。

※写真は、もう30年も前、横浜港の白灯台でクロダイ釣りをしているもの。一緒に写っているのは、モロツコの辰、長谷川辰五郎と共に「横浜の三辰」と言われた塚越辰夫氏。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「我らの教典」

2014-11-26 12:04:46 | 日記
十一月十九日(水)晴れ。

午後から大行社の幹部会に出席。会議が始まる前に私と同じく大行社の役員をしている四宮正貴先生と歓談。その中で、かつて荒原朴水先生が編纂された「我らの教典」という本の話になった。生前、荒原先生は「左翼にはマルクス、レーニンの理論書がある。我々にもそれらに匹敵する物があるということを広く世に知らしめよう」として、右翼・民族派の為の「我らの教典」を編纂された。

現在、手許にはないので(事務所の書庫にはあるが、これをアップしているのは自宅のPCなので)正確なことを書けないが、確か、「純正日本主義」「国家者拝主義」の名著が紹介されている。その中に収められている杉本五郎中佐の「大義」は、私が荒原先生に献本したもので、「我らの教典」の巻末で謝意が書かれている。こういた名著を再販することは中々難しいので、せめてどんな名著があるのかを紹介しようということになった。いずれ私の機関誌に掲載するつもりでいる。

夜は、「やまと」で軽く飲んでから帰宅。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする