白雲去来

蜷川正大の日々是口実

我が三友とは。

2021-12-30 18:09:38 | 日記

12月20日(月)晴れ。

朝食は、鮭、いくら、大根味噌汁。昼は、コオヒイと、頂き物の「治一郎」のバームクーヘン。夜は、鳥鍋にマグロのみそ漬け。休肝日とした。

中唐の詩人の白居易は詩と酒と琴を「三友」としたといわれるだけに、酒にちなんだ詩は多い。唐の開成三年(838)にみずから「酔吟先生」と号した。この時、白居易は67歳だったといわれている。学のない私は、酒とカツオと読書を「三友」として久しいが、一編の詩を作ることもなく、ただ酔いしれているだけである。白居易は75歳で洛陽郊外の龍門の香山で没したという。

白居易の晩年まであと五年。酒が「友」と言うよりもズブズブの関係となって久しいが、若い人たちに笑われないようにしなければ。


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一度、播州赤穂を訪ねてみたい。

2021-12-30 17:56:25 | 日記
12月19日(日)晴れ。

うちの下の子供が泉岳寺の近くの会社に通っている。泉岳寺と言えば「忠臣蔵」の四十七士のお墓がある寺として有名だが、残念ながら一度もお参りに行ったことはない。

「忠臣蔵」の映画が史実に忠実かどうかは分からないが、一番好きな場面は、「南部坂雪の別れ」だ。元禄15年(1702)、大石内蔵助は討入りの前日、南部坂の屋敷に暮らす瑤泉院に会いに行きます。明日未明の討入り決行を伝え、同士の連判状を渡すとともに、内匠頭の霊前に報告をしたいところですが、屋敷内に吉良方の間者が潜入している可能性があり、それもなりません。「さる西国の大名に召抱えられることになりました。再びお目にかかることもないかと存じます。本日ここに東下りの旅日記を持参いたしました」と断腸の思いで偽りを伝えます。「忠義の心も忘れたか」と怒り、席を立つ瑤泉院。黙って辞去した内蔵助は、降りしきる雪の中、今生の別れを背中で伝えて坂道をゆきます。

しばらくの後、内蔵助が置いていった旅日記が、実は連判状であったことに気づく瑤泉院のもとに、討ち入りの知らせが届きます。大石の別れの意味を初めて悟った瑤泉院は、短慮を悔い、亡き夫の霊前に合掌するのでした……。(歴史ヒストリー)様々な女優が瑤泉院をやったが、私は松坂慶子の瑤泉院が一番好きだ。

JRの赤穂の駅名は今もいかめしく「播州赤穂」と言うそうだ。上仮屋あたりには古い町筋や民家が静かに息づいているそうだ。一度訪れたいと思っている。

夜は、「オアジ」にて仲良しさんたちと忘年会。二次会は近くの愛福楼へ。楽しい酒席だった。

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冷蔵庫が来た。

2021-12-30 17:44:34 | 日記
12月18日(土)晴れ。
今日は、先日壊れた冷蔵庫の新品が来る。玄関が狭いので朝から家族総出で玄関や廊下の片づけをしたり、冷蔵庫の中身を、とりあえず別の所へ移したりで、獅子てんや、わんや(古いか)で大変だった。壊れた冷蔵庫は、20年近く使っただろうか。子供が貼ったワッペンなどあって歴史を感じる。運ばれてゆく冷蔵庫に、心の中で、長い間ご苦労様でしたと感謝の言葉をかけた。

新しい冷蔵庫で朝食の準備、チャーハンにマルちゃんのワンタンスープ。昼は抜いた。夜は、鳥鍋、ブリの刺身。久しぶりに休肝日とした。

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浪人の身でも一応忙しい。

2021-12-29 18:15:24 | 日記
12月17日(金)雨のち晴れ。

師走も半ばを過ぎたのに、何だかんだと忙しく、家のことが何も出来ていない。障子の張替えや大掃除、事務所の片づけ・・・。私のような浪人の身でも一人前に師走はいつもより速足で歩く。そんな日の朝食は、ロースハムに目玉焼き、イクラ、とろろこぶのスープ。昼は抜いた。夜は、カツオのたたき、いくら、鮭のハラスを肴にお供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

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お通夜で津田沼へ。

2021-12-29 18:15:24 | 日記
12月16日(木)晴れ。
盟友の会社の事務員さんのご尊父が急逝され、通夜式が、津田沼駅の近くの斎場にて行われ出席。亡くなられたご尊父とはお会いしたことがないが、上場企業で定年まで勤め上げたという方で、まだ61歳。お写真を見ると、品の良さにあふれた穏やかな感じの方だ。ご焼香を済ませて会場を後にした。合掌。

津田沼は懐かしい。20歳の頃に訳があって、友人のつてで船橋の金杉町と言う小さな町に居たことがあった。今ては普通の町になっている千葉県印旛郡大字復白井町にドライブインをオーブンするというので手伝いに行った。一年もいたかどうかは今になっては記憶がないが、確か、ラジオでは北原ミレイの「懺悔の値打ちもない」という歌が良く流れていた。休みの日は、津田沼まで足を伸ばしてて遊びに行った。そんなことを思い出しながら、市川の大好きな蕎麦屋さんでお斎。自宅まで送って頂き帰宅。

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