白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「燃えよ祖国」の最新号です。

2013-07-31 09:35:42 | インポート
「燃えよ祖国」の最新号です。
7月31日の続き。
「燃えよ祖国」第197号です。



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お知らせです。

2013-07-31 09:32:30 | インポート
七月三十一日(水)曇り。
最新号の「燃えよ祖国」(一九七号)は、平成六年の一月十一日から二月の二十五日まで「内外タイムス」に連載された「生死烈々」を再現、掲載致しました。 インタビューされた人たちは、元楯の会・阿部勉氏、サムエンタープライズ盛田正敏氏、日本青年社・衛藤豊久氏、一水会・鈴木邦男氏、作家・山平重樹氏、大悲会・中台一雄氏、日本青年旭心団・松本効三氏、二十一世紀書院・蜷川正大、弁護士・成田健治氏、八千矛社・犬塚博英。以上の皆さんの貴重な証言が掲載されています。(所属や肩書は掲載当時のものです)
又、㈱二十一世紀書院の電話番号は三年ぐらい前から〇九〇―六三〇〇―七〇七五に変更になっています。 以前の電話は、横浜の育児関係の会社が使用しているようで、そこに掛けてしまう方が多いそうです。 そこの会社の方からご丁寧な連絡がありました。 新しい電話番号にお書換え頂けましたなら幸いです。 住所は、 232―0035 横浜市南区平楽148‐3 ダイカンプラザ312号 FAX045―721―8443 メールアドレス snforever@proof.ocn.ne.jp です。
ちなみに Snforeverとは(秋介・野村永遠に) の略です。 お手数ですが、お手元の住所録のお書換えをお願い致します。

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OCNさん何とかしてよ。

2013-07-31 08:09:28 | インポート
七月三十日(月)晴れ。
夕方まで自宅にいて、PCで仕事。 ブログを掲載しているOCNの調子が悪くなりブログをアップできない。 「日頃よりOCNブログ人をご利用いただきまして誠にありがとうございます。 OCNIDを利用してOCNブログ人サービスへログインできない状況が発生しております。 弊社において状況の回復に努めているところでございますので、しばらくお待ち頂きます ようお願いいたします。 なお、ブログ人ユーザ名を利用してブログ人をご利用いただくことが可能です。 ブログ人ユーザ名およびパスワードは、お申し込み時に送付させていただいた 開通案内に記載してございます。ブログ人ユーザ名、パスワードがわからない方は テクニカルサポートまでご連絡お願いいたします。」と言うことだが何度アクセスしても「エラー」となってしまう。厭になる。 仕方がないので愚妻に教えて貰ってOCNのメールからブログを送信して更新した。 しかし、写真の貼り付けなどまだ分からないことが多い。 夜は、恒例の町内のジジ・ババ達との飲み会。場所は、いつものラーメン屋の「たつ屋」。適当に飲んでから解散。   

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千歳烏山へ。

2013-07-31 08:06:04 | インポート
七月二十九日(月)雨のち曇り。
午後から東京行き。千歳烏山という所にある出版社、展転社に秋の群青忌に間に合わせるためにまとめた「師・野村秋介」の打合せ。 千歳烏山駅に降りるのは初めてのことである。新宿から京王線の特急で明大前で急行に乗り換えて千歳烏山へ。途中、民家とぎりぎりの所を通る場所があり何か、江ノ電を思い出した。 駅を降りて、タクシーを拾える場所まで歩いたが、この街並みにはなぜか見覚えがある。そうか思い出した。大日本生産党の北上清五郎先生のご葬儀で来たことを思い出した。確か平成十七年の十一月のことだ。
展転社に電話して道順を聞きタクシーに乗るが、私のような横浜の田舎者にとって世田谷区と聞くと、随分と都会のような気がするが、展転社のある所は下町、というよりも住宅密集地と言ったほうが良く失礼ながら都会のイメージとは程遠い。恐らくまだ区画や建蔽率などがうるさくない戦後すぐに民家を建てたのだろう、狭い路地ばかりで一度や二度来ただけでは、道が覚えられない。引越しの車が止まっていて、通れないので、タクシーを降ろされた。 藤本社長が迎えに来てくれなかったら迷子になるところだ。
遅れてデザイナーのはが里枝さんも到着して表紙のデザインなどを打合せ。 近くに作家の山平重樹さんの家もあることを思い出して駅前で待ち合わせ。五時前に藤本社長にお世話になって飛び込みで居酒屋に入って一献会。仕事を終えた荒岩氏も合流。たいしたつまみもなかったが仲良しさんばかりで楽しかった。
「六ベロ」の藤本社長にお礼を言って解散。 藤本社長は山平さんを拉致してネオンの海に消えて行った。 私は、はがさんと新宿まで一緒。 湘南新宿ラインで帰宅。 いい酒だった。

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機関誌作りの思いで。

2013-07-31 08:04:32 | インポート
七月二十八日(日)晴れ。
愚妻と上の子供は、千葉大学の文学部の説明会とやらに出かけて行った。私は事務所に行き、機関誌の製作。夕方までかかってようやく終了。 しかし考えてみれば、機関誌作りも随分と楽になったものだ。
パソコンが普及する前はワープロで原稿を書いて編集していた。それをコピー機で印刷するのだが、当時はまだ両面のコピーをする機能がなく片面をコピーしてから裏をコピーするのだが、良く紙詰まりをおこして随分と紙を無駄にしたものだ。またコピー機もリースだったので製作単価もかなりの物になった。
その後、支援者から百万円もするカラープリンターを寄付して頂いた。その頃のパソコンソフトは印刷関係の物はマックが主流で周辺機器が驚くほど高くて家計を圧迫したものだった。 パソコンの普及とプリンターの導入で印刷は簡単になったが、大変だったのは、丁合(ページ揃え)と中折りと中綴じ、に余白切り。 事務所に手の空いている若い人たちに応援に来てもらい完成するまでに何時間もかかった。
丁合機、中綴じ、中折りが自動化され印刷が終われば、二時間ほどで終了する。創刊号当時を思い出せば夢みたいな話である。夜は、酔狂亭で月下独酌。

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