白雲去来

蜷川正大の日々是口実

新宿で、良飲・中破の夜でした。

2009-01-30 01:18:45 | インポート

一月二十九日(木)曇り。

 事務所に行く途中の中村橋商店街に豆腐屋がある。その店の、豆腐よりも「もやし揚げ」のファンである。しかし早めに行かないとすぐに売り切れてしまい、いつもがっかりさせられる。幸いにその「もやし揚げ」を愚妻が買ってきていたので、嬉しい朝食となった。

 十一時、京急の井土ヶ谷駅にて取材のために「アエラ」の記者氏と待ち合わせ。取材内容は「なぜ田母神氏は国民に人気があるのか。と言うことを、民族派としての意見を聞きたい」とのことだった。事務所に行くのは面倒なので、駅の近くの喫茶店で取材に応じた。

 一時間ほどで終了。昼食は愚妻と待ち合わせて駅近くの「COCOカレー」へ。自宅に戻りシャワーを浴びてから東京行き。今日は、四時半に厚生年金会館にて「実話ナックルズ」の編集者の取材と打合せがある。一時間ほどで終了。原稿執筆の依頼を受けた。

 六時より、親しい人たちと一緒に食事会を行った。良い店だったが、接客がイマイチで、私も珍しく文句を言ってしまった。二時間ほどで食事を終えて、歌舞伎町のスナックに転戦して帰宅した。

 そうしていても、「週刊・新潮」のスクープ「赤報隊事件の真犯人」という記事のせいで、また取材依頼が三社ほどあったが、丁重にお断りした。自宅に戻ったのは深夜十一時過ぎだった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恒例の「ヨンドン会」を開催。

2009-01-30 00:55:16 | インポート

一月二十八日(水)晴れ。

 朝八時、同部屋の横山孝平氏に起こされた。グゥェーッと言った感じでボロボロになって、本当に根性でベッドからで出た。とりあえず朝食会場へ。考えてみれば温泉に来ているのに、二日酔いや、睡眠不足では意味がない。何とか朝食をとって風呂に入って酒を抜いた。

 十時からノンフィクションライターの大下英治先生から取材を依頼されていたが、二日酔いで思考が途切れ途切れなので、申し訳ないが後日にして頂いた。

 十一時前に、大日本天誠団の内田春雄団長と共に岐路に着く。横浜に着いてから団長夫人と一緒に昼食。自宅に戻ってから少し昼寝した。

 夜は、恒例の「ヨンドン会」を同級生の高杉茂氏の経営する「弥平」にて開催。久しぶりの「アンコウ鍋」に舌鼓を打った。終了後は、中の良い人たちと一緒に「サリーズバー」へ転戦。

 ノンビリして自宅の近くの友人に送って頂き帰宅。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大行社の新年会に出席。

2009-01-30 00:37:18 | インポート

一月二十七日(火)晴れ。

 朝からバタバタしていた。と言うのも、愚妻が仕事に出掛けたために、家の片付けなどをしながら、頼まれている原稿を慌てて書いたり、挨拶のスピーチ文を書いたり、何といっても今日の午後までにメールで送らなければならないので、本当に忙しかった。

 午後からは、箱根のホテルで行われる大行社の新年総会に出席するために、十時五十分に保土ヶ谷へ。何とか電車には間に合ったが、ボーっとしていて戸塚で東海道線に乗り換えるのに、ひとつ手前の東戸塚で降りてしまった。

 幸いに、戸塚で小田原行きの急行が来たために、それに乗って小田原へ。ラッキーだったのは箱根湯本行きのロマンスカーが着いていて、危うくセーフ。今日の新年総会と、その後の若い人たちの鼎談の記録とアドバイザーの為に来て頂いた横山幸平氏と合流。

 午後一時の開会直前に会場入りした。いつも感心するのだが、大行社の新年総会は、本当に若い人たちが熱心である。全国の支部報告も熱心であるし、運動に対する姿勢がとても良い。終了後は「大吼」用の対談を小針政人氏の司会で行った。

 午後五時より宴会。総勢五百名もの関係者が揃う姿は正に圧巻である。好物の「伊佐美」をたらふく飲んで、気持ちよかった。終了後は小針氏の部屋に押しかけて杯盤狼藉。

 その後、木村三浩氏と共に阿形規則先生の部屋で三次会。良い話を聞かせて頂き、つい深夜二時過ぎまでお邪魔してしまった。ご挨拶をして部屋に戻り爆睡。慶応の小林節先生もいつの間にかいなくなっていた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ようやく機関誌を発送。

2009-01-26 23:01:52 | インポート

一月二十六日(月)晴れ。

 目を覚ましたのが九時を過ぎていた。それでも、それほどひどい二日酔いでもない。一階で寝ている湯浅君を起こして、家族とともに近くのファミレスで、随分と遅い朝食となった。

 子どもたちは、土曜日に学校で行事があったので、今日は代休。食後、湯浅君は栃木に戻る。そのまま事務所へ。機関誌を作った後は事務所が、切った紙などで散らかるので、窓を全開にして掃除した。筑摩書房のPR誌「ちくま」に、山平重樹さんが上梓した「連邦刑務所から生還した男ーFBI囮捜査と日本ヤクザ」の書評を書かせて頂いた。その私の原稿が掲載されている「ちくま」の二月号が、編集長のご厚意で五十冊も届いていた。

 遅れ遅れの機関誌「燃えよ祖国」の最新号の発送を今日行うので、一部の人たちだけで恐縮だが、一緒に同封させて頂いた。帰宅後は、体調がイマイチなので、少々昼寝。夜は、さすがに酒を抜いて食事のみにした。

 いつも使っているパソコンが、なぜかインターネットがつながらなくなってしまった。ドライブも以前から調子が悪く、DVDが反応しない。仕方がないので外付けのドライブを買って使っていた。まだそんなに古い型ではないのに、パソコンに故障はつきものなのか。困ったものだ。何とか直ることを祈る次第。今日は、これから原稿で徹夜になりそうだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年会を開催。

2009-01-26 22:25:42 | インポート

一月二十五日(日)晴れ。

 月末締切の原稿が二本もあるので、朝食後に机に向かおうと思ったが、細かい用事をこなしていたら、あっという間に三時過ぎ。今日は、五時から中華街の「菜香新館」で、野村先生の奥さんを囲んで新年会がある。新年会に出席するために栃木から湯浅進君が来訪。遅れて志村馨、松本佳展の両君にサエちゃんも来訪。揃って中華街へ。

 毎年、暮れにご先生の夫人のお店で、忘年会を催していたが、昨年催した群青忌の打ち上げも兼ねて、遅ればせながら協力して頂いたスタッフの皆さんと共に新年会を開催した。二十名程度だったが、ごく親しい人たちばかりの宴席とあって、かなり盛り上がった。本当は、お世話になった方々をお招きしようとも思ったが、いわゆる「義理」になっては申し訳ないので、小人数での宴席となった。「菜香」は、私の定宿だが、市場通り店が、閉店してしまったので新館で行った。

 二時間ほどで終了。場所を藤巻強氏のお店「ニューシフォン」にて移して二次会。根本順善監督が昨年の群青忌に向けて制作した先生のご夫人と石川重弘さんのインタビュービデオの番外編、我々門下生のインタビュービデオが完成したので、その試写会も兼ねた二次回となった。気がつけば十一時過ぎ。電車で帰る人たちもいるので解散。

 今年は、六月にサイパン島で戦跡慰霊を兼ねて野村先生の追悼祭りを予定している。その追悼祭の実現を誓い合って解散した。湯浅君我が家泊。久しぶりに大破・ 轟沈した。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする