白雲去来

蜷川正大の日々是口実

『新勢力創刊20周年号』

2021-10-29 10:29:27 | 日記

10月18日(月)晴れ。

朝食は、ポークソーセージ、目玉焼きにキャベツの千切り添え、永谷園のマツタケのスープにとろろこぶ入れ。昼は抜いた。夜は。「正華」の餃子、焼売に鶏のから揚げ。お供は「黒霧島」。

朝食後に事務所へ。ごちゃごちゃになっている机の周りや、山積みとなっている資料の整理をした。と言っても本や資料などで足の踏み場もない。古い機関誌の棚を整理していたら亡くなられた毛呂清輝先生が発行していた『新勢力』の「創刊20周年号」があり懐かしく読んだ。発行は昭和50年5月15日。通巻186号である。目次を見ると、津久井龍雄、西田廣義、石川準十郎、中村武彦、葦津珍彦、小山寛二、櫻井義晃、石田圭介、頭山統一、池田龍紀、長谷川義記、鈴木邦男、犬塚博英の諸先生が原稿を寄せている。その中で何人の方がご存命なのだろうか。当時は民族派の機関誌とは雖も、これだけの論客の方々が原稿を書いていたのだ。当時は何気なく読んでいたが、今考えたらすごいことだ。

また俳句「鉄窓春秋」と題して野村先生が投句している。その20句の中に「毛呂宅はいま萩濃しと手紙くる」があり、その頃お訪ねした毛呂先生宅のことを思い出した。野村先生が戦線に復帰するのはその年の夏の事。犬塚先輩の原稿は「小史・民族派学生青年運動ーその生い立ちと今後の展望ー」と言うもの。もう46年も前の原稿だが、今読んでも全く遜色がない。いずれ私の機関誌に掲載させて頂きたいと思っている。


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「朝粥の会」もなし。

2021-10-27 11:20:16 | 日記

10月17日(日)雨。

本来ならば、墓前祭の翌日は、横浜に泊まった地方の社友らと中華街の「安記」で「朝粥の会」を催すのが恒例となっているのだが、今回は、地方の社友の参加を遠慮して頂いたので、雨の音を聴きつつのんびりとしていた。朝食は、「安記」のお粥とは比べ物にはならないが、昆布とかつおだしをたっぷりとって土鍋でお粥を作った。二日酔いにはお粥が一番である。夜は、少し寒かったので、家族で鍋を囲んだ。もう一品は「カツオのたたき」、残念なカツオだった。二日酔いの迎え酒は、最後の「伊佐美」。岩田さんの娘さんから頂いた「カボス」を入れて飲んだら、これが美味しくて、つい飲みすぎてしまった。懲りないなぁー。

フェイスブックを開けたら、随分前の投稿が出てきて、『週刊金曜日』に佐高信氏が連載している「新・政経外科」を私が張り付けており、その「第86回」が、山平重樹さんの『激しき雪』からの抜粋だった。どこかにしまってあるのだろうが、悪い癖で、何処にしまったのか、とんと記憶がない。パソコンで『週刊金曜日』をググってもその記事が出てこない。まあのんびりと探すか。


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野村先生の没後28年・墓前祭。

2021-10-27 11:00:09 | 日記

10月16日(土)雨。野村先生の追悼28年・墓前祭。

今日は、20日の群青忌を4日前倒しして伊勢原の浄発願寺にて野村先生の群青忌墓前祭を行なう。緊急事態宣言が解除されたとはいえ、また突然宣言されるか分からない状態の中、一応、皆様には事前に中止とお知らせをした。しかし、どんな状態であろうとも亡き師の法要を行わない訳には行かない。よって先生のご親族、門下生、近親者のみで法要を執り行った。

天気予報では曇りだが雨の心配はない。とのことだったが、法要の始まる午前十一時ころになると雨が降り出した。今回に限ってテントの用意をしなかった。来年は、どんな天気であろうともテントは用意しようと思った次第。まず、先生の28回忌法要の前に、先生の友人である岩田晃氏と門下生の正田秀幸氏の法要を行い、終了後に先生の28回忌法要を行った。参加者は50名。

終了後は、中華街にて直会。40名が参加。テーブルに4名を厳守して、それぞれ先生の思い出を肴に一献。献杯は正論社の鈴木誠厳さん。門下生を代表して藤巻強氏があいさつ。中締めは志村馨氏。二時間ほどで解散。二年後は30年祭である。何とかそれまで健康に気を付けて頑張らなくては。今回、地方の社友の参加を見合わせて頂いた。来年は、元気な姿で再会をと思っている。


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正に労作。『俳優と戦争と活字と』。

2021-10-26 12:57:53 | 日記

10月15日(金)晴れ。

朝食は抜いて、早めの昼食。メニューは昨夜の残りのマグロを「ズケ」にしたものと、お弁当の残りの牛丼。夜は、成城石井の小籠包、焼売に焼きビーフン。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

夕方から歯医者。偶然に中学と高校の同級生と一緒になりランドマークタワーの中のスタバで一時間ほどお茶。月に一度の食事会の仲間の一人が脳梗塞で入院していることを知り、とても驚いた。幸いに大したことがなく来週には退院するとのことで安堵する。私よりも一回り以上年下なのに、早く良くなって貰いたいものだ。

「労作」と言う言葉がある。意味は、「骨を折って働くこと」と、「 苦心して作り上げた作品」と言う意味があり、例えば「10年を費やした労作」と言ったように使われる。最近読んだ本で、その「労作」を実感した本がある。濱田研吾さんと言う方の書いた『俳優と戦争と活字と』(ちくま文庫)だ。60人以上の俳優の戦争体験を活字によって描く。本書では、俳優の自伝、エッセー、対談や追悼本などの活字の山から戦争をめぐるエピソードを丹念に拾い、紹介している」(産経の書評より)

こういった方の努力がともすれば埋もれ、忘れられてしまう人たちを甦らせることにもなり、その道の研究の貴重な資料となる。演劇や役者を志す人たちはもとより、今を生きている人たちに、是非先人の歩んだ道を知ってもらいたいと、素直に思った。頭が下がり、襟を正すのには良い一冊である。映画を見ても出演している役者さんに、そんな過去があったのかと、また違った形で楽しめる。ちなみに著者の濱田さんは戦後の生まれで、当然戦争体験はない。そこが凄い。


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刺身をパックのまま出す人の神経が分からん。

2021-10-25 13:59:50 | 日記

10月14日(木)曇りのち晴れ。

なぜか朝起きられず、十時過ぎに目が覚めた。朝食は抜いた。昼は、ポークハムに目玉焼き添え、鶏のから揚げ、大根の味噌汁。夜は、近所の魚屋で買ったカツオとマグロの刺身、アスパラの天ぷら。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

スーパーで買った刺身や総菜を、そのまま出す女性がいることを知ってちょっと驚いた。そういうことに抵抗もない人がいるんだと・・・。私は、絶対にダメだ。なぜならば、器も料理の内と思うからである。我が家には、料理の器の量がかなり多い。来客が多かったこともあるが、料理によって器も変える、と言うのが常識だと思っているので、自然と食器が増える。例えば、サンマ専用の皿、干物などの皿、刺身を盛り付ける皿、煮魚用の皿と魚専用の物でも使い分けている。

お椀も味噌汁用とスープ用、シチュー用、肉料理には洋皿がデザインの違うものを用意する。なぜか、食事は「うるおい」だと思うからである。大した料理でなくとも、器次第では美味しそうに見えるし、テーブルも華やかになる。部屋がもう少し広ければ、季節ごとに食器を変えるのが夢だ。買ってきた総菜などをパックのまま出しても平気な人の神経が分からん。そんな女と一緒にならなくてよかったとしみじみ思う秋の空。


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