白雲去来

蜷川正大の日々是口実

小沢さん。そろそろ引き際じゃないの。

2014-12-29 17:23:55 | 日記
十二月二十八日(日)晴れ。

あらら今年も後三日。大掃除も原稿書きも何もできずに、何となく忙しい日々を送っている。受験のために塾に行っていた子供と待ち合わせて伊勢佐木町の「モハン」というインドカレーの店で昼食。九百八十円の食べ放題セット。三種類のカレーにサラダが付いて、ナンとサフランライスが食べ放題。といってもそれほど食べられるものではない。キーマカレーをお変わりしてナンを二枚食べて満腹になった。

食後は、正月の買い物。と言っても籠城のために酒の肴を家族の冷たい目を気にしながらコソコソと買うのだから、スリルがある。途中、有隣堂へ行き、岐阜の怪人、事情通の細川嘉彦先生が、「面白いから是非」とメールで教えてくれた「二人の首領ー極高の絆・稲川聖城、石井隆匡」(大下英治著・青志社)を購入。大下英治氏は「修羅の群れ」の原作者でもある。

夜は、冷凍の「生タラバカニ」のカットを買って鍋にしたが、これが最悪で実が殻にくっついてしまい、ほとんど食べられなかった。出汁が出ただけで金を捨てたようなものだ。やはり茹でたものをさっと温める程度で食べた方が美味しい。大失敗した。まあこんなこともあるさ。

新聞を見てぶっ飛んだ。小沢一郎の「生活の党」が政党名を変更したそうだ。笑っちゃうことに「生活の党と山本太郎となかまたち」だって。政党助成金欲しさだろうが、小沢一郎も終わったね。一時は、総理を目指した男が、なりふり構わず、思想も政治信条も違う山本太郎に頭を下げて手を組む。どこに男の意地や政治家としての信念がある。金を貰えばだれとでも寝る、ころび芸者と同じであるということが分からないほど耄碌してしまったのか。

私の恩師である野村秋介先生や元楯の会の阿部勉氏も生前は小沢に期待をしていた。野村先生の奥さんが経営していたお好み焼き屋にも来たことがある。かつては風雲児、今はころび芸者か。政治家が美学を無くしたらおしまいだ。これではまるで「政治ゴロ」と変わらないではないか。小沢に「孤高」という言葉は似合わない。やはりあくまでも「首領(ドン)」なのだ。それが兵隊を失ってしまったら存在の価値がない。女房に三行半を喰らった時点で死に体となってしまったのかも。そろそろ引き際ではないのでしょうかねぇー。常識的に考えて、もう二度と小沢一郎の時代は来ないと思う。

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プチ贅沢な一日だった。

2014-12-29 11:47:00 | 日記
十二月二十七日(土)晴れ。

今日は、午後から上の子供の買い物につき合わされた。その前に伊勢佐木町のてんぷら屋の「登良屋」にて昼食。このお店は、メインのてんぷらはそこそこなのだが、いつも刺身が絶品なのだ。今日は、三人で野菜のてんぷらを二人前に海老を三本。そして先日食べて美味しかった「ブリの刺身」を二人前注文した。金のことはあまり言いたくないが、参考の為、てんぷらは安価であるが、ぶり刺し身は二人前で三千六百円。三人で八千五百円。子供は喜んでいました。

夜は、久しぶりにカメ&アコちゃんたちと天王町にある、お二人の馴染みの「うな平」という料理屋でプチ忘年会。美味しい刺身とフグ刺し、ひれ酒で酔った。その後「颯」に転戦。明日も仕事と言うカメちゃんに気を遣って早めに解散。贅沢な一日だった。

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池でおぼれている犬を叩けってか。

2014-12-29 10:35:39 | 日記
十二月二十六日(金)晴れ。

いわゆる「ナッツ・リターン」で有名になった大韓航空の社長令嬢が韓国のマスコミに袋叩きになっている。俗に「溺れた犬を棒で叩け」ということわざが中国や韓国にあるそうだ。多少の解釈の違いはあっても、大意は「凶暴な犬が溝に落ちたら、弱っているうちにさらに追い討ちをかけるべき」という意味で使われる。ナッツ姫を見ていて、そのことわざが浮かんだ。

韓国には現代財閥、大宇財閥、三星財閥、LGグループ、SKグループなどの大規模財閥が存在し、 財閥10社による売上高は国内総生産の75%以上に及んでいるという。特に三星(サムスン)財閥と現代(ヒュンダイ)財閥系への依存が大きく、韓国経済の問題の一つにもなっているそうだ。すなわち日本と違って、どんなに良い大学を出て努力しようが、それらの財閥系企業のトップになるのはほとんど不可能に近かいということ。当然ながら格差が生まれる。

何かのきっかけで国民の嫉妬や怨嗟が財閥系の企業やその一族に集中すると言うのは自然の理である。これは何も韓国だけではなく、どこの国でも国民の不満や鬱憤を晴らすために様々な人がスケープゴートとして利用される。例えば「ロス疑惑」の際の三浦和義氏や鈴木宗男氏のように。マスコミは、一旦、ニュースになり、話題性があり、「売れる」と思ったら「無いこと、無いこと」を垂れ流し、書きたてる。昨日アップした「世紀の大誤報」を読むとそれが良く分かる。人間は聖人君子などいない。ほとんどの人が「退屈を紛らわせる」ことには敏感なのだ。

ナツツ姫も、自社の飛行機、それもファーストクラスを利用して頂くお客さんに、ファーストクラスにふさわしい接客とサービスを徹底させようと思ったのかもしれない。東京からニューヨークへは、エコノミーでは十五六万円で行くそうだが、正規料金でファーストクラスに乗った場合は二百万円近くもすると言う。そんな高い料金を支払って乗って頂いたお客さんにナッツ姫は、多分気を遣ったのだろう、と私は思う。なぜ彼女をかばうのか・・・。日本には「窮鳥、懐に入れば、これを助く」という精神があるからだ。

夜は、古い付き合いの黒沢ひろし氏の「オールディーズ・パーティー」と銘打ったディナーショーが中華街のローズホテルにて行われ愚妻を伴って出席。会場は二百五十名ぐらいの人で溢れていた。テーブルにはサリーパパやミッチー橋本さんや天狗会の鈴木会長や遠藤さんなど日頃から親しくしている人達ばかりで勝手に盛り上がった。しかしオヤジ連中は、オールディーズでのダンスよりも「馬鹿言ってんじゃないよ」の方が聞きたかったみたいで、ちょっと消化不良気味だった。思えば黒沢氏とは、彼がまだ寺内タケシとブルージーンズにいた頃からの付き合いだから、もう四十年近くにもなる。同じ地元ということもあって、お祭りなどでは良く顔を合わせる。先日も藤棚商店街のお祭りで一緒になったばかりだ。終了後は、サリーズバーへ転戦してから解散。

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宝島社のムツクに六頁も掲載されていた。

2014-12-28 11:38:04 | 日記
十二月二十五日(木)曇り。

社友の福田秀春さんのご母堂が逝去の報に接するも遠地ゆえ「志」のみ郵送する。申しわけなし。ご冥福を。

また、お世話になっている松本洋三さんが入院しているとFBで知り、お見舞いに行こうと思ったが、タイミング悪く退院したとのこと。こちらも「志」を郵送させて頂いた。

小針政人君が編集をしている「大吼」の新年号が届いた。コンパクトになったが、私が編集をしている時よりも内容が充実している。新年号の特集は「愛国心」。三澤浩一、水谷浩樹、木川智、中村之菊の諸兄に加えて大悲会の志村馨君が原稿を寄せている。こうして若い活動家たちが切磋琢磨して高め合うことは良いことだ。小針君が編集をしている「大吼」が若手の活動家の登竜門となってほしいと願っている。

何をしている訳ではないのに、年末と言うだけでなぜか気忙しい。修業が足らない証拠か。過日、取材を受けた別冊宝島の「徹底検証・世紀の大誤報」というムツクの中に「週刊新潮『赤報隊ニセ犯人告白事件」と題した記事があって、「抗議に行った『右翼』が告白・謝罪現場とニセ犯人の正体」と、何と六頁も私のインタビュー記事が掲載されている。

取材の時に、撮影があるとわかっていたらキチンとした格好をして行ったのに、この時は普段着だった。従って余計に老け顔で写っている。今更後悔をしても始まらないが、やはり人と会う時はきちんとした格好でなければと思った次第。

夜は、おとなしく酔狂亭で月下独酌。「黒霧島」がなくなる割合が早くなった。寒いせいかもしれない。

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酒甕(かめ)に凭りて眠るを常なりしひと

2014-12-27 10:34:14 | 日記
十二月二十四日(水)曇り。

巷はクリスマスイブとやらで浮かれている。街は幻想的なイルミネーションに彩られ、幸せそうなカップルや、買い物をする人たちで溢れている。皆裕福で何の生活の心配も無いように思えてしまう。

こんな時に、金もガールフレンドも無く、寒いアパートで一人ぼっちでこたつに入っている。自分が日本で一番不幸だと思うのはそんな時だ。思えば、そんな年末を幾度も過ごしてきた。それでも肩で風を切って歩いて、安酒に酔いつつ、「易水送別」など吟じて、いつか日本を変えてやろうと。そして俺の出番はきっと来る、と信じていた。正月を、若くして獄中で死んだ板垣哲雄と「剣菱」と「たくわん」で過ごしたこともあった。若かった分、貧乏を楽しむ余裕もあったのかもしれない。外は寒かったが心が寒いと思ったことはなかった。

公麿ではないが、あれから四十年・・・。金が無かろうとも、とりあえず雨露しのぐだけの家があり、家族がいて、友がいて、たっぷりの酒もある。イルミネーションに心が騒ぐ歳でもなくなったし、街に出ても、さほど欲しいと思うような物もない。歳を取ったと言えば聞こえが良いが、単に堕落しただけかもしれない。

人並みに、子供たちを連れて街に出た。とりあえず親らしいことだけはしてやらなければならない。みなとみらいのランドマークタワーの中にあるH&MとかGUとかGAPとか言う店を連れまわされ、洋服を買わされるハメになった。しかし立派な店構えの割には随分と安い。本当にこんな値段なの。と思ってしまうほど安い。まあこちらとしては大助かりだが。娘を連れてクリスマスのデートを楽しんだ。

夜は、お世話になっている方からお歳暮で頂いた肉で家族揃って「すき焼き」をした。「甕雫」の封を切った。思わずニヤリとする。至福の時だ。酒を飲みつつウトウトしていると子供たちが「またこんな所で寝ている。風邪ひくから布団で寝てね」。
吉井勇の歌を思い出した。

  少女云うこの人なりき酒甕(かめ)に凭りて眠るを常なりしひと

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