白雲去来

蜷川正大の日々是口実

機関誌を発送しました。

2009-04-29 17:24:49 | インポート

四月二十八日(火)晴れ。

 朝食後に、すぐ事務所に行き、機関誌の製本の最終作業「余白切り」を行った。同じマンションに住む社友の古谷喜久男氏がお孫さんを抱いて来訪。近所の公園に行くところとか。そういえば我々の世代も孫がいるのが普通になった。先輩の犬塚哲爾さんもお孫さんと、動物園に行くのが楽しみとの事。残念ながら私にはまだ孫はいないが、孫のような年頃の子供が二人、子供達が小さい頃には、良く「おじいさんと一緒でいいね」と言われて頭に来た。そういえば、森田忠明氏や木村三浩氏にも孫のような幼子がいる。考えてみれば、我々の世代は、まだまだ元気だ。

 一水会の木村代表との話し合いで、五月一日に新潮社からの「謝罪文」を公表する。なぜ一日かと言えば、一水会の機関紙の発行が一日だからである。私の方は、今日の夕方に、その謝罪文を掲載した、遅れ遅れの「燃えよ祖国」十一、十二月合併号を発送した。皆さんの所に届くのは一日になると思います。しんどい戦いだったが、犠牲者を出さなくてつくづく良かったと思っている。昨日、「SPA!」での福田和也氏のコメントを紹介したが、週刊新潮は、児玉、野村両先生の「虎の尾」を踏んだ結果、我々に追い詰められたと言っても、決して過言ではない。もし、あの記事の中で、児玉、野村両先生や、民族派に触れなければ、我々としても、相手にしなかったに違いあるまい。ケンカを売ってきたのは、新潮社との認識があればこそ、全てをここに書くことは出来ないが、正々堂々と戦った。その結果、多くの人たちの支援を得ることが出来た。我々も良い教訓となった。励ましと、慰労の電話が連日入る。最近、ご指導を賜っている作家の大下英治さんからも、「良かったね」との電話を頂き、感激した。

 いかに野村先生の存在が偉大であったかを、あらためて認識した。なによりも野村先生のご加護である。先生の門下生であることを誇りに思う今日この頃である。

 夜は、恒例の「ヨンドン会」を藤巻氏のお店「ニューシフォン」で開催した。欠席者が多かったが、気心の知れた人たちばかりの酒席は楽しい。


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まだ週刊新潮のスクープ記事の波紋がやまない。

2009-04-29 13:41:28 | インポート

四月二十七日(月)晴れ。

 週刊新潮のガセスクープ記事の波紋が広がっている。「AER」の四月二十七日号には、週刊新潮の記事を補足するようなコメントを出した、佐藤優氏が「私も軽率だった」と、そのいきさつを書いている。そして「サンデー毎日」の五月三日号に、「週刊新潮・斉藤天皇が泣いてるぞ」という特集記事。同じ週に発売された「SPA!」にも、連載されている福田和也氏と坪内祐三氏の「文壇アウトロー世相放談」に、「週刊新潮の誤報で考える故・野村秋介と右翼の現在」というタイトルで四頁もスペースを割いている。

 サンデー毎日の記事は、かつて週刊新潮に数十年にわたり同社最大の実力者として君臨した伝説の人物、斉藤十一氏が、いかに素晴らしい人物であったか、ということが書かれている。「新聞社系が独占していた週刊誌業界に出版社初の週刊誌として『週刊新潮』が乗り込んだ時の功労者。凄腕編集者として名をとどろかす一方、写真誌「FOCUS」を立ち上げ、新潮社の『天皇』とまで呼ばれた人」。その斉藤十一氏の「新潮」を知っている人には、今回の一件が不可解に思える。作家の大下英治氏は「斎藤十一氏のような人が睨みを利かせていれば、こうはならなかったのでは・・・・」と発言している。早い話、現在の週刊新潮が「売らんかな主義」で、弛んでいる。と言う話である。

 「SPA!」の方は、福田氏が、「あれ結局ね、最大のポイントは、野村秋介ですよ。告白手記によると、『野村秋介に頼んで犯行声明文を書いてもらった』と。野村さんは『反米右翼』でやってきたわけでしょ。それが、新潮の告白記事では、『アメリカ大使館の職員からカネをもらってやった朝日襲撃に、野村さんが協力した』ことになってるんだから。野村さんにはお弟子さんが今でもたくさんいて、彼らにとって反米右翼の野村秋介がアメリカにカネもらったヤツに協力した、っていうのはなにより侮辱なの」

 「だから、新潮にまず抗議したのは右翼の人たちでしょう。もし野村秋介という個人名を出さなければ、ここまで大騒ぎになってなかったと思う」とも発言している。更に、野村、三島両烈士の比較論も面白い。福田氏の承諾を得られるのならば、その全文を公開してみたい。

 「AERA」に掲載された、佐藤優氏の発言は、とても勇気のいるものだ。一面識も無いが、こうした文章に、佐藤氏の誠実さや人柄が想像つく。「私の判断は間違っていました。牟朝日新聞阪神支局襲撃を巡る『週刊新潮』の連載が、誤報となった以上私のコメントが国民の知る権利侵害してしまった。心の底から謝ります」と。まあここまで低姿勢にならなくとも良いと思うが、中々出来ることではない。新潮社も見習って欲しいものだ。

 夜はおとなしく自宅にいた。音楽が好きである。原稿を書く時には、MJQなどの耳障りの良いJAZZを。原稿を書き終えたり、機関誌の発送が終えたときのように、気持ちが高揚している時は、リズム&ブルースか、オーティス・スパンやBBキングといった本場物のブルースを聞く。写真が好きなので、沢山あるアルバムをめくる時は、オールディズときめている。一番最近手に入れたのは、エリック・クラプトンとBBキングのCDで「RIDING WITH THE KING」というもの。結構いいっすよ。


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西郷南州会とBBQ

2009-04-28 08:37:35 | インポート

四月二十六日(日)晴れ。

 朝食後は東京行き。午前十一時から上野公園の西郷南州の銅像の洗浄式が行われるので出席。季刊「大吼」用のグラビア撮影のため、今日はカメラマンに徹した。良い天気で、上野公園には人で溢れていた。

 午前十一時から、神官の神事で始まり、「上和太鼓」の皆さんの太鼓の演奏や、「居合い抜き」の演舞などが行われた。場所柄、外国人の観光客も多く、皆、カメラでその模様を写していた。国民儀礼の後に、「西郷南州会」の早瀬内海氏が挨拶。来賓として、藤元正義、四宮正貴の両先生の挨拶が終了する頃には、西郷南州の銅像に、京都ハクビ着物学園の方々によって羽織袴の正装が完成する。参加者が三々五々記念写真を撮っていた。

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 一時近くに終了。終了後は、社友会の大熊雄次氏と一緒に千葉の隠岐康邸へ向かう。隠岐氏の自宅でBBQパーティーが行われるので、大熊氏と共に伺う。実は、家族やサリーとサリーパパ達は一足先に行っており、私達は西郷さんの行事が終了してからの参加となった。

 隠岐氏の自宅で、久し振りに一杯やった。酒も「魔王」や「泡波」といった、普段では中々手に入らない酒と、上等な牛肉に舌鼓を打つ。途中で眠くなってしまい中座して寝てしまった。横須賀線で帰宅。いい一日だった。


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「新潮との戦い」特集号が完成いたしました。

2009-04-27 10:10:37 | インポート

四月二十五日(土)雨。

 折角の土曜日だというのに雨か・・・。朝食後は事務所で機関誌の作成。印刷が終わったので、後は、製本の作業。愚痴をこぼすわけではないが、この製本作業というのが、かなり大変だ。ページを揃える(丁合)作業は、機械を導入したので随分と楽になったが、中綴じ、中折り、余白切り、という作業が残っている。この作業も機械で全て出来るのだが、その機械は百万円もするので、高嶺の花である。とにかく、六時過ぎにはようやく作業が終了し、後は、発送するだけとなった。

 今回の機関誌「燃えよ祖国」は、「新潮社」の例の実名報道の虚報に対する「勝利の記録」である。新潮社に抗議に行った方々との話し合いで、五月一日に同時発表しようとの事で、発送は二十九日となる。

 弊社では、機関誌の定期購読料が収入のほとんどを占めている。印刷をすればするほど赤字になる、というジレンマがあるが、大切な情報発信の機会を失うわけには行かない。「週刊文春」や「新潮」よりも随分と高いが、カンパ込みで浄財を頂いている。年間購読料は、一万五千円です。何卒、ご購読の程を宜しくお願い致します。

 遅れ遅れなのだが、機関誌が出来上がると、嬉しい。大袈裟だが、子供が生まれたような気持ちになる。そう思って、夜は、久し振りに我が家で一杯やった。

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「WiLL」の六月号を是非ご一読下さい。

2009-04-25 10:58:30 | インポート

四月二十四日(金)曇り。

 昨夜、珍しくシラフの展転社の藤本隆之氏から電話が入った。先日、「財布に千円も入っていない」との事をブログに書いて、「告訴する」と言われ、中華街の「安記」に接待する事で和解した。しかし、忙しいのに加えて、こちらの懐が不如意で、中々実現しない。その抗議の電話かと思ったら、何のことはない、私の原稿が掲載されている「Will」を読んだ感想の電話だった。ああ良かった。酔った時の藤本氏は、スマップの草彅剛なんて言うものではない。冗談はさて置いて、一応、及第点を頂いた。お気遣いを感謝いたします。自分で、「WiLL」のダイレクトメールを作って親しい人達に送った。

 朝から事務所で機関誌の印刷である。花冷えか・・・。事務所は山手にあり、日当たりが良くないので、風が強い日などは、まるで冷蔵庫のようになる。午後になって、「WiLL」が届いた。表紙に自分の名前があったので少々気恥ずかしい。それでも、編集長のご好意で、十六頁も誌面を提供して頂いたので、「新潮社との戦い」の真意は伝わるのではないかと思っている。

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 夜は、友人から誘いがあったが、体調が良くないので、心を鬼にしてお断りした。夕食後は、体がだるくて早目に布団に入った。

コメント (1)
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