tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

またまた病気が?出ました、オークション落札。

2009年11月29日 | オークション余話
オークションでは、売る経験もしましたが、
買うほうが安心。

ここのところ、絵画のジャンルに関係なく、
ハッッそして、ほしい~ぃです。
そんなに高価な原画は買えませんが、20色刷りくらいのリトグラフが、
私のねらい目です。


今回のものは「山口蓬春」画伯の「菊」。
この絵、明治神宮によく似たものが有るのを見たことがあります。


「山口蓬春」画伯は、日本画壇では、巨星と言われた人、文化勲章受賞者、
1971年77歳で死去。神奈川県三浦町葉山に記念館が公開されています。
皇居新宮殿の杉戸絵《楓》も制作した人。

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「晩秋の平泉寺」旧参道。

2009年11月28日 | 季節の便り(北陸、福井)
平泉寺の境内の中は、一応報告できましたので、
一の鳥居までの旧参道と入り口周辺もご覧ください。

参道入り口の菩提林

この神社は、「日本の道100選(1986年)」・「かおり風景100選(2001年)」
・「歴史の道100選(1996年)」に指定を受けた名所です。
9月指定を受けた「日本ジォパーク」認証の中にも入れられています。

旧参道は「日本の道100選」の道であり、入り口の菩提林から2km、
ずっと九頭竜川から運んで敷設された河川石の道路で、
あの時代の人力による労力を考えてみても
その繁栄が忍ばれます。




そのあとは、お地蔵さんが両脇に祭られた山道?が今も残っています。



参道までの周辺には、勝山市の北東部の山裾に「越前大仏殿」。
勝山出身の立志伝者、現存の相互タクシーの創始者多田氏の蓄財で作られた建物で、
残念ながら、今は2代目となり、この建物、市民税滞納により差し押さえ
市の管理化、「オークションで売却出品」て話題を呼びました。
40億円から始まり3度の入札機会、今は28億円までディスカウントしても、
応札が1件も無いという有様です。


創始者多田氏は、当市の名誉市民に選ばれ、教育会館前には大きな立像が立っていますが、市民から見れば、今は30億円以上の債務者、名誉市民では無いでしょう。
当時のの市長さん、責任取れ!です。

いまひとつの「勝山城」は、これも同氏の建設によるものですが、
日本歴史の中の勝山藩の城とはまったく関係ない、位置と姿です。
両方ともそれなりに立派なものですから、
300年くらい経てば、史跡?になるのでしょうか。


カリンの木(お金、始まり借りん借りん)の実がたわわ、皮肉。

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隠れた苔の名所、「晩秋の平泉寺」

2009年11月27日 | 福井のPR大使?
京都の苔寺の比で無いと豪語した
「平泉寺」のこけ。
ご覧ください。
本当は梅雨のころが一番綺麗ですが、
晩秋の苔も捨てたものではありません。





苔の種類は約200種類。
セン類と呼ばれる「こすぎ苔」「おおすぎ苔」「ひのきごけ」などが多く、
また、タイ類と呼ばれる「ぜに苔」「じゃ苔」などがあります。



多くの大杉から落花する枯れ葉は、有志の人たちにより、
綺麗に掃除されてもいます。

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福井県の隠れた「苔の名所平泉寺」

2009年11月26日 | 福井のPR大使?
このお寺(勝山市)実は神社なのです。
明治元年、廃仏毀釈により神仏習合であったお寺が、別の場所に移され(現存する)
今は俗称「平泉寺
と呼ばれていますが、正しくは「白山神社」なのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B3%89%E5%AF%BA%E7%99%BD%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE





創建は養老元年(717年)、古代から中世後期、白山信仰の拠点として一大勢力。
最盛期には、48社・36堂・6000坊院そして、寺領地9万石・9万貫であった、
この規模は現在の勝山市の3倍もの区域。

この中に3000もの僧兵がいて、比叡山の僧兵と戦いを続けていたものです。
1574年、この地に多かった一向宗の一揆に破れ、全山焼滅。

平成元年から発掘調査が続けられた結果、寺院境内は、東西1.2km・南北1.0km
もあり、その勢力と繁栄がうかがい知れます。
1300年も昔の話とはいえ、今のこの地とし想像もつかないものであったと思われるロマン。

今の境内も結構広いものですが、なんと言っても「自然の苔」の
広大さと美しさは、京都の苔寺の比ではありません。



一の鳥居を過ぎ、二の鳥居、そして拝殿、この拝殿には幕藩時代に刀とその藩士の名が書かれた奉納額が現在も有り我家のご先祖の名もありますが、
もう氏名も読み辛くなっています。その奥に本殿、またその奥に三の宮、
そして白山頂上への信仰道。
境内には、小さな祠が10社前後現存します。









社務所には、荘厳な建物と枯山水の庭園、大きな沙羅の木が毎年(7月)花を咲かせます。
一の鳥居までの参道の両端には10mを越える沙羅の木が並んでいるのも珍しいのでは。



ぜひ、参拝されることをお勧めします。
晩秋の今も、苔は綺麗です

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「猪なべ」のふるまい「平泉寺」周辺。

2009年11月25日 | 季節の便り(北陸、福井)
平泉寺(福井県勝山市)」は、
泰澄大使の開山といわれています。
また、白山信仰の開発に伴い、同時に3つの馬場から
白山頂上を目指す福井県側の登山口(馬場と称した)に、
開かれたのが「平泉寺」です。



今、少し苔は少ないですが、梅雨のころの苔の様子は、
代表される京都の苔寺をはるかにしのぐ
規模と美しさが有る、
と私は思っています。

今朝はこの時期、この周辺で行われている「門前朝市」。
いのしし鍋の振る舞いを受けて、暖めてくれました。



門前までの道路は、中世代の僧兵が運び引きつめた、
といわれる石畳道、「日本の道路百選」にも選ばれています。


周辺には「東尋坊」といわれる悪徳僧が
住まいした館跡もありました。



山野草の販売も。


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