ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

中辺路

2012-12-10 05:00:00 | 

10時半に本宮大社を後にして、国道311号線を田辺方面へとほぼ西に向かって走ります。田辺から高速で大阪まで2時間ぐらいですから、1時ごろまでに田辺に着けば3時には大阪に到着しますが、私が降りる湾岸線の大浜から梅田までどれ位かかるのか、自分の家より梅田方面へは滅多に車で行かないので不安でしたが、湾岸線に乗ると梅田の中心街からどんどん離れていくし、近畿道を通ってどう阪神高速で梅田方面へ行くのかもよく分かっていません。どうしようかと思いながら、どんどん車は西へ進みます。

             

30分程度で近露へ、そこにも以前には無かった『古道歩きの里ちかつゆ』が建っていました。観光バスも来ていて、ここで昼食をとっています。私たちもそこでしばし休憩、確かこの辺りに近露王子があったはす、一度訪れているのですが、何処だったか思い出せません。この橋を渡って、そう遠くは無かったと思うのですが・・・

             

橋の下を流れるのは日置川、方向で言うと西の方が海なので日置川の河口になります。でも流れはその西の方から流れてきています。海の方から山の方へ流れてるやんと一瞬頭がこんがらがります。実際にはこの場所では西から東へ流れているものの、大筋では北から南へ流れているのです。旧の日置川町(今は白浜町に編入)は田辺よりずっと南にあるのです。この道路(県道217号線)を反対方向へ走ると国道317号線と合流、合川ダムを経て日置川河口へと辿り着くのです。

                        

福定の大イチョウをバックに眺めながら車を進めます。また30分ほど走って中辺路の出発点と言われる滝尻へ、ここには熊野古道館があり、以前来た時よりはずっと整備されていて、熊野古道のことがよく分かるようになっていました。

             

そして道を挟んである滝尻王子社へ、以前は胎内くぐりというようなところまで歩いたような記憶があります。でもこの日はそのようにゆっくりしている時間も無いのです。時間はもう12時、この日のうちに福岡へ帰らなければならないN田君の奥さん、夕方は娘さんと夕食を共にするとか言ってたけど、なるべく早く梅田に着いておかないとね。

             

当初は奥さんの方が長く居れるようなことを言っていましたが、来てみれば逆、N田君は次の日は同じ福岡からやってきた尼崎センタのH田君と合って飲むのだと豪語していて、結局帰ったのは次の日曜日だったとか、そりゃそうでしょ、私たちの最終日は21日、次の日年休を取れば23日からまた3連休だったんですものね。

熊野古道を歩くのに車で行くのは少し無謀なような気がします。運転手は歩けないからなのですが、一旦歩いて行った道を車まで戻ってくるのは時間が勿体ないですもの、それだけの時間があればもっと先に進めます。熊野古道を歩くなら、今度は電車やバスを使って、もちろん装備もトレッキングスタイルで、語り部を雇って歩きたいものですね。

                       

今回の旅の話はこれで終わり、普段は第3日曜は(この月は18日だった)ソフトボールの試合も練習も無かったのに、急遽試合が入ってしまい、最初の予定からすれば日程は1日減ってしまいました。そのお蔭で熊野三山の内の一つである那智大社には行けなくて、その辺りにある青岸渡寺補陀落山寺には行けませんでした。姫の家に一泊してもらえれば、追加料金もたいしてかからなかったのですから、N田君夫妻にはいつか再度那智大社近辺をゆっくりと楽しんでいただきたいと思っています。

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