ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

島根ワイナリー

2012-12-12 05:00:00 | 

ブログを綴り出してからというもの、沢山の寺社仏閣を巡り歩いているつもりの私ですが、別段仏や神に対して敬ってるとか、仏像や神像を崇拝しているとか、私と同じ人間が造り出した神や仏に対して頭を下げようという気持ちは全くありません。弥生時代のアニミズムでもあるまいし、拝殿の前で祈っている人も本当に神様が願いを聞き届けてくれるとは思ってないでしょう。自分の願い事を叶えるのは自分の努力でしかありません、自分が何もしないで神にのみ頼っている人なんていないと思うのです。なのに何故皆さんは神社やお寺へと行ってお金まで払って、お願いをするのでしょうか。自己満足ですかね。

             

これは西の末社十九社、東側にも同じように十九社あり、私たちが行った時期には全国の神々が出雲大社に集い、この東西の十九社に泊まるのだそうです。面白い考え方ですが、こんなことをされたら、全国どこの神社に行っても願いを聞いてくれる神さんは居ないということです。まぁ元から神が願い事を聞いてくれるなどと思って参っているのではないのですから、困ったことにはならないんですがね。

             

19の末社より奥にあった素鵞社、スサノオを祀ってあるとか、スサノオがやっつけたというヤマタノオロチの話も出雲の神話でした。まぁ、侵略を正当化する話なんでしょうけどね。右の舎では砂を入れてある桶が二つあって、右の桶の砂を左の桶に移している参拝者がいましたが、いったい何を意味しているのか未だに分かりません。

                       

一旦本殿のある境内の雑踏から逃れるように外へと出ると、今日の最初の写真の神楽殿があり、これまた立派な建物に立派な注連縄です。来た時から見えていた大きな国旗は、神楽殿の前にありました。

             

もっと外へ出てみると、出雲大社と彫られた碑がある門があり、入り口はここかいなと思ったのですが、そんなわけないですよね。でも文化財云々の立札も立っています。

             

本殿を囲むように水路があり、その周辺を彩るモミジ、もうそろそろ終わりの感があります。

                       

水路脇にあった『勤王士 松本巌遺跡』との彫り込み、神=天皇だと考えると勤王の志士の碑が神社内にあっても不思議はないのですが、松本巌って誰ですか?

             

先日、漫画展に行った折に梅田の地下街で出逢った昔の職場の知人がいましたが、その娘さんが出雲大社で結婚式を挙げると言っていました。ここが出雲大社の結婚式場らしい、その家の名前が出てるかな?たまたま私が出雲大社に来た日がその娘さんの挙式の日なら、凄い縁を感じるのですが、その人の名前はありませんでした。

             

もうそろそろ1時前にもなっていて、夕食のことを考えると早く昼食をとりたいのですが、そば屋(別に蕎麦でもいいのですが)ばっかりで、しかも混んでそうなので、なかなか店に入ろうという気がしなくて、いっそ次に行く予定の島根ワイナリーで食べようということになりました。

島根ワイナリーまではそんなに遠くはなかったけれど、試飲ばかりしていると結構時間がかかって、昼食を終えたのが2時前になってしまいました。このことが後々応えたかも知れません。

             

九州の田主丸のワイナリーで試飲した時は、N田君も私も飲みました、後は奥さんに運転を任せられたから。でも今回は奥さんが免許を持っていませんから、S木さんにはジュースを試飲しておいていただきました。その代り奥さんが私と一緒にたくさん試飲していました。

                       

田主丸のワイナリーでは巨峰のワインなど試飲しましたが、巨峰の味など感じなかったし、私の車で来たのではなかったのでお土産には買わなかったのですが、今回は車ですし、結構美味しかったのでお土産に買って帰りました。『ENMUSUBI』などと出雲大社に因んだ名前がダサいのですが、味は結構いけますよ。

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