ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

有田貝岡

2013-02-06 05:00:00 | 田舎

桜宮高校のバスケット部の体罰問題が発覚以降、あちらこちらと体罰のあったことが報道され、遂には全日本の柔道連盟の監督が辞任になるという事態にまで発展しています。勝利至上主義が根底にあるのでしょうが、勝つ者があれば必ず負ける者が居るのがスポーツの世界、いつまでも勝ち続けるわけにはいかないということが理解されていないのではないかと思うのです。体罰=暴力という認識は間違ってないと思うのですが、体罰とはいったい何なのか、体に受ける罰という解釈からすると、罰を受けるようなことを選手がしでかしたのかと言うと、どうもそうではないようです。監督なりコーチがあぁせよ、こうせよと指導(命令)することに対して選手が敢えてその指導に従わなかった、或いは能力的に従えなかったから罰を下したという構図が見えてくるのですが、一人の指導者が自分の指導(命令)に従わなかったから罰を下すというのは、あまりにも専制過ぎる、軍隊的な思考を感じてしまうのは私だけでしょうか。今になって体罰問題が持ち上がっていますが、先の大戦後に民主主義的国家・日本国になって以降も、日本国中で従来からずっと体罰は行われてきたのであり、許されてきました。私はその原因が、日本国の国民(全てとは言いませんが)が民主主義というものを理解していない、させられていない、しようと思っていないからだと考えるのです。今更ながらジャーナリズムは、こぞって体罰問題を取り上げて、体罰はいけないとか言ってるけど、根本的に民主主義が理解されない限り、一時のデモンストレーションに過ぎません。スポーツという範疇では体罰はいけないと考え方を変えた橋下大阪市長は、依然として他の分野では体罰容認なのであり、そんな人を見抜けなくて市長に当選させた市民の民主主義感覚が信じられません。

                       

さて、大阪方面から行くと有田の信号を越えると逢坂山トンネルがあり、そのトンネルの入り口に『有田貝岡』と左への矢印が書かれた道標があり、以前から気になっていました。海にも近いし、きっと太古からこの有田地域には人が住んでいて、この矢印のある方へ行けば、貝塚ならぬ貝岡があるのだろうと思っていたのです。

車でも上がって行ける広さの入り口でしたが何処がどうなっているのか一切分かりませんから、姫からの車でトンネルを越えてすぐの集落の入り口付近右側に駐車スペースを見つけてあったので、そこに車を停めました。車を停めたところには徳本上人のものと思われる碑が建っていました。右側面には“告文政八年歳次乙酉五月造”と鮮明に彫られています。徳本上人の碑は和深にあった大辺路の地図に田子川の近くにもあり、未だそちらには行っていないのでおいおい綴ることにしましょう。

             

有田港を後ろに見ながら42号線沿いの歩道を上ります。

             

2分ほど歩いてこのお地蔵さん、正確にはトンネル前の標識には三行で『← 有田貝岡 北向地蔵尊』と書かれてあったのを運転中は矢印と有田貝岡の字だけ読んでいたのでした。

                       

5分も歩かないうちに道は下り始め、下まで降り切らないうちにトンネルの向こう側、再度42号線と交わってるのを見て、貝岡なんか無いと思い、道の頂上付近で見上げると橋が架かっていたので、何処かに道があるのだと思い、登り道がないか探しました。

             

登り道はすぐに見つかり、上がって行くことに・・・最初は車でも登れると思っていたほどの道幅でしたが、だんだん狭くなってきます。

             

ここで右側に登りの階段、まっすぐはそのままの道、左は下り坂になったところに出くわし、降りる道は選択の余地がありませんが、階段は選ばずにまっすぐ登って行きました。もうこの辺りでは軽トラでも通れる道幅はありません。

             

登り詰めたところは平坦、道は曲がりくねっていますが、土地は区画され、畑に利用されたり、雑草が生い茂っていたり様々です。結構広い、和深の近くは平見と付く地域が多いのですが、ここも有田平見と名付けてもいいほどの平地です。

             

こんな所にフェニックス(カナリーヤシ)が植えられています。海の傍とは言え、山の上ですから違和感を感じます。ここは逢坂山トンネルの上ですから、私が登ったこの山は逢坂山と呼ばれているのでしょうね。

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