ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

御霊神社

2013-02-22 05:00:00 | 大阪にて

この日、朝食を食べずに長男の家を出てきたので、そろそろお腹も減ってきて、東の方を見ると少しは賑やかそうなので奈良駅の方かと思い、駐車場が無料だったので車はそのまま放置して、歩いて溜め池に沿って賑やかそうな方向へ歩いて行きました。賑やかそうと思った大きな建物はパチンコ屋だったのでがっかり、個人がやってるような小さな食堂は無いかと見渡したけど、あるのは吉野家とか餃子の王将とかチェーン店ばかり、もうモーニングの時間は終わっており、早い昼食をとって北へと奈良駅方面へ歩いて行きました。前に長男と正倉院展を観に行った時は東大寺を抜けて転害門を見つけ、その後その近くにテレビで紹介された手作りの飴屋があるのを知って、その店を目指したのですが、いつまで歩いても奈良駅には届きません。奈良駅より随分北にある筈の転害門ですから、あまり遠くまで行くと再び大安寺まで戻らなければならないので、諦めて大安寺まで戻ることにしました。

             

戻る途中で大安寺という交差点があったので元来た道ではありませんがそこを右折、西に向かって歩くと大安寺参道の案内板があったので、その案内に沿って左折し、暫く歩くと左側に御霊神社という石碑があったので、「もう大安寺も近い筈、ようけ(たくさん)小さい神社があるなぁ」と思いながら、中に入ってみました。

そこに有った立て札には、“本神社は元石清水八幡宮と称す・・・”と書き出してあり、「おいおい、ややこしいことを書くなよ、もう元石清水八幡宮は観て来たぞ」と言う気にさせます。そして同じような行教和尚の話が続き、要約すれば、閼伽井の水を求めて和尚が託宣を受けてここに穴を掘れば清水が湧き出て、石清水と号したとありました。

             

その井戸は原型は留めないけど今もここにあるというのが、この水溜りみたいな池でしょうか、何とも訝しい話だと思いながら神社を出ると、目の前に柵で囲まれた広場があります。歩いて来た時は気にも留めなかったけど、案内板もあるようで興味をそそられました。

             

柵で囲まれていて、入る所がありませんが、入ってはいけないとも書かれていませんし、入らなければ案内板も読めません。適当に柵を越えて中に入ってみました。右側の木が茂っているところが御霊神社です。左の鉄筋の建物は大安寺小学校。

             

柵の中にもコンクリートで区画されたところがあります。
             
             

『史跡 大安寺旧境内』と書かれた石碑、その右に案内板があり、案内板の中には地図もありました。地図によると大安寺横の溜め池は芝池とあり、今しがた歩いてきた東西の道の右には古墳があったようです。

             

昭和29年から発掘調査が始まり、全容が明らかになってき、歴史的、学術的重要性から昭和43年に国の史跡に指定されたようです。そしてここのコンクリートで区画されている所は旧大安寺境内の一画で、経楼があった場所だとか。

             

地図をじっくり見ると(行った時では無く、写真に撮ったもの)元石清水八幡宮より未だ南側に東塔や西塔があり、境内は芝池までにも繋っていることから、芝池は平城京が出来た当時は無かったものなのでしょう。

大安寺の横(推古天皇社)まで戻ってきて、経楼後への道を撮りました。よく見ると突き当たりに白く案内板が見えますが、最初は全く気付きませんでした。帰って来たコースが良かったのだと思っています。

             

少し晴れてきたので、もう一度大安寺の本堂を撮っておきました。

大安寺関連のお話はこれでお仕舞い、2月8日(金)の午前中の話だけで7回分のネタを拾い、大変貴重な時間を費やしたものだと我ながら感心しています。

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