ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

有田貝岡 Ⅱ

2013-02-07 05:00:00 | 田舎

体罰問題を指導者と被指導者の間で罰を受けるほどの罪があったのかという観点で考えてみたのですが、指導者の要請に応えられなかったとしても競技者側には罰を受けるような罪などはなく、指導者側からの一方的な冤罪とでもいうべき思考によって罰を与えられたもの、殴った方にこそ罪があり罰を受けなければならないのは逆なので、それは理不尽という言葉に尽きるのだと思っているのです。殴る、蹴る、小突くなどの行為は客観的に見る限り暴力であり、体罰=暴力ならば、体罰を与えること自体は傷害罪であり、告訴されれば犯罪者にもなるほどの行為なのです。体罰とは暴力を包み隠す言葉のあや、そういうことが平気で罷り通っている社会が怖いですね。

             

逢坂山の山頂はこの通り平らな地形で、国土地理院の地図を見ると等高線は殆どありません。天気が良いので枯草の中にいても気分が良い。

             

農作業用に水を貯めておくにも面白いものが見かけられました。この船の横を通ると舗装道路に出くわしました。この道路を歩くと先に見えていた橋に至るのだと想像できます。

             

取り敢えず左の方へ歩いていくと、門は閉ざされていますが大きな建物があり『稲村環境管理センター』と書かれていました。そういえば、有田漁港から串本海中公園までの半島を稲村崎と名付けているのですね。湘南と同じネーミングですが、こちらはちっともオシャレな所はありません。この平地をずっと南へ進めば断崖になっています。この環境管理センターがあるのは稲村崎の西側でここより先へは進めませんが、この建物の先も断崖です。航空写真を見ていると、これより南へと向かう地道の途中から海へと降りれる道があるかも知れません。

             

環境管理センターで行き止まりだったので引き返して歩いていたら、やはり橋がありました。『いなむらばし』の刻印があります。こちらの方角に風吹山が無いだろうかと探したのですが・・・

             

こちらは東側、潮岬の台地が少しだけ見えています。

             

風吹山は何処かいな?と探したのが最初の写真ですが、その写真では有田の集落が写っていますから、西に向き過ぎです。もう少し北側を見るとこの写真になるのですが、右の方に白く蛇行した道が見えるのでしょ、その先が風吹山ではないかと思われます。風吹山へのハイキングでは山の斜面であのような道を歩いたのを覚えています。

             

橋を渡って舗装道路を歩いても仕方がないのでまた逆戻り、元来た道を帰ろうとしますが、こんな建物あったかなという見覚えの無い建物が現れました。近寄っても誰も住んでないみたいです。何のためのものかも不明です。

            

元来た道は船を利用した水溜があったので、すぐに分かりました。フェニックスの横も通り過ぎて、こんな水溜場も・・・橋が無ければ危なそうですが、この橋は明らかに電柱を利用して造られています。その先には降りれる道があったので、そこからは元の道を辿らず、降りることにしました。するとあっと言う間に三叉路の階段に出て、凄い時間短縮でした。

             

元来た道を選ばなかったついでに三叉路では、下へと降りる小道を選びました。少々急な坂道でしたが、出てきたところは北向地蔵尊の手前になりました。上がって来る時はこの道に気が付かなかったなぁ。

結果として貝岡は太古の時代から、有田地区に住人が居て、貝や魚を食べ、貝殻や骨を捨てた貝塚のようなところではありませんでした。目論見が外れて残念ですが、それが違っていたなら違っていることが解っただけでも成果はあると思うのです。

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