このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

政府、マスコミの見通しの甘さとお人好しぶり

2018年09月12日 | 政治・経済

問題の根は、もっと遡(さかのぼ)ることができる。そもそも中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは、1968年(昭和43年)の国連アジア極東経済委員会ECAFE)の海洋調査で、同諸島に豊富な海底資源の存在が明らかになって以後である。

 

その後、1978年(昭和53年)10月に、日中平和友好条約の相互批准書交換のため来日した鄧小平副首相(当時)が「尖閣の問題は十年、またはそれ以上棚上げしてもかまわない」と次世代に解決をゆだねる発言をしたことで、摩擦回避ができるとばかりに我が国の政府もマスコミも「さすがは鄧小平、物分かりがいい」と大歓迎した見通しの甘さ、中国に対するお人好しが今日の状況を招いたといえる。

 

しかも中国は、“棚上げ”という日本側の受け止め方に関係なく、19922月、全国人民代表大会の常務委員会で「中華人民共和国領海および毘連(びれん:隣接する)区法」を制定発布し、尖閣諸島は中国の領土だと勝手に決めたのである。

 

同法第二条は「中華人民共和国の領海は中華人民共和国の陸地領土と内海に隣接する一帯の海域とする。中華人民共和国の陸地領土は中華人民共和国の大陸とその沿海の島嶼(とうしょ)、台湾及びそこに含まれる釣魚島とその付属の各島、澎湖(ほうこ)列島、東沙群島、西沙群島、中沙群島、南沙群島及びその他一切の中華人民共和国に属する島嶼を包括する」と規定している。

 

この条文に書いてある島嶼をつないだものが、「中国の赤い舌」と呼ばれる地域である。中国内部では尖閣諸島を含む台湾や澎湖諸島はもちろん、ベトナムやフィリピンなどと係争中の南シナ海の西沙、南沙両諸島まで中国の領土だという一方的な領有意識が法的根拠を持った。

 

しかし当時の日本政府(自民党政権)は、尖閣諸島が「中国の領土」として法的に定められたことに対し、厳しく抗議しなければならなかったにもかかわらず――何の対抗措置もとらなかった。事態の重要性にも気づいていなかった。

 

領海法制定の二カ月後の江沢民総書記の来日、その年秋の天皇、皇后両陛下の訪中という「日中友好」推進外交を国内の異論を抑え込んでまで進めた。時の首相は宮沢喜一氏、駐中国大使は橋本恕(ひろし)氏という「親中派」で、彼らは両殿下のご訪中は積極的に進めても、尖閣諸島という日本の領土を守る問題には熱意がなく、無関心同然だった。多くのマスメディアも同様である。

 

---owari---

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「尖閣諸島国有化以後に悪化... | トップ | 中国の「国防動員法」につい... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治・経済」カテゴリの最新記事