「新しい日本人」による「新しい日本」の時代の到来について述べてきた。新しい日本人は、グローバリズムや競争原理を持てはやす人たちではない。力の源泉は心の在り方に帰結する。何を大切と思い、何を守りたいと思うか。それが日本人の「暗黙知」となる。
「暗黙知」による生き方は、けっして複雑ではない。
たとえば二宮尊徳(そんとく)である。小田原藩に登用された尊徳は、我が国が開闢(かいびゃく)以来、外国から資本を借りて発展させたことはなく、「皇国(こうこく)は皇国の徳沢(とくたく)」で発展させてきたことに気づくと、「自分が神代(かみよ)の昔に豊葦原(とよあしはら)へ天から降り立ったと決心をし、皇国は皇国の恩恵で発展させてこそ、天照大神(あまてらすおおみかみ)の足跡だと思い定め」(『二宮翁夜話』巻之四)、「農」を通じて“心田”開発、すなわち立派な日本人をつくりあげていく。
私たちの歴史には、こうした人物が大勢いる。
尊徳は「世間で困窮(こんきゅう)を救おうという者が、みだりに金銭や米穀を施(ほどこす)すのは、甚(はなは)だよろしくない。なぜなら、人民を怠惰(たいだ)に導くからである。これは恵んで費(つい)える」ことで、指導者は人々を「奮発・努力させるようにすることが肝要」という。この故事(こじ)は東日本大震災の復興の在り方や現代の社会福祉にも通じる。
日本人はずっと勤勉、倹約、謙譲の精神で自立してきた。尊徳の生涯はそのことを思い起こさせるものだが、かつては小・中学校の敷地の一隅に、当たり前のように建っていた、その銅像は消える一方だという。日本人は何を大切と思い、何を守りたいと思ってきたか。
「勤勉と努力がいちばんの美徳である」。それは和(わ)の精神や日本人の美意識を育(はぐく)んできた。「そこには人間本来の普遍性がある」などという必要はない。世界が勝手に真似をはじめるような、“美しく強い日本”を示せばよい。
日本がめざす美しく強い国は他国を脅(おびや)かさない。相手が理不尽なことを仕掛けつづけてくれば、日本はそれに、しかるべきレベルで対応するが、そうでないかぎりはきわめて安心な国である。帝国主義の時代ですら日本はそうだった(少なくとも他の帝国主義国家よりは、と控えめに言っておこう)。
こうした歴史をどうやって未来の日本の力に結びつけてゆくか。「日本人はこうやってきた。それが日本人の心です」と言ったとき、それを理解し、共感する国と付き合っていけばよいのである。
TPPがどうなるか。安倍首相はTPP合意を受けて、こう語った。
「TPPは、価値観を共有する国々が自由で公正な経済圏をつくっていく国家百年の計だ。粘り強い交渉を続けた結果、妥結に至ったことは、日本のみならずアジア太平洋の未来にとって大きな成果だ。交渉の結果、農業分野でコメ、牛肉・豚肉、乳製品といった主要品目を中心に、関税撤廃の例外をしっかり確保できた。農業は国の基(もとい)であり、美しい田園風景を守っていくことは政治の責任だ」
米国のトランプ大統領はTPPに反対の立場である。米議会の批准(ひじゅん)承認を得ることはあるまい。そもそも、我が国の「美しい田園風景を守っていく」ことを第一にするなら、TPPの矛盾に気づいていなければならない。TPPには、戦後秩序と自由貿易に対する幻想がある。日本人は、国家主権の重みをいま一度噛み締めてみるべきである。
ペリー来航によって開国を余儀なくされた徳川幕府は、安政五年(1858年)に米英仏露蘭の五ヵ国とそれぞれ修好通商条約を結んだ。それらの条約は「関税自主権の放棄」と「領事裁判権」を認めた不平等な内容だった。日本にとってそれは屈辱だったが、黒船の砲艦外交の前に臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を決めた。明治維新後、「富国強兵」「殖産興業(しょくさんこうぎょう)」政策を採り、国家として当然の主権を取り戻すために努力を重ねた。
ようやく日露戦争後の明治四十年(1907年)に日露新通商航海条約を結び、関税自主権を回復した。そして明治四十四年(1911年)、アメリカをはじめとする他の列強とも不平等条約の解消ができたのである。これが我が父祖たちの苦難の物語である。現在の日本人もこれに繋がっている。
---owari---
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