(© SAUL LOEB / AFP 米首都ワシントンにある聖書博物館に展示されている「死海文書」の断片(2017年11月14日撮影))
((© SAUL LOEB / AFP 米首都ワシントンにある聖書博物館で、「死海文書」の断片を鑑賞する人(2017年11月14日撮影)。 )
(© SAUL LOEB / AFP 米首都ワシントンにある聖書博物館で、「死海文書」の断片を鑑賞する人(2017年11月14日撮影)。)
① ""死海文書」の断片5点、偽物と判明 米首都の聖書博物館""
2018/10/23 11:17
【AFP =時事】米首都ワシントンにある聖書博物館(Museum of the Bible)は22日、所有する最古級の聖書写本群「死海文書(Dead Sea Scrolls)」の断片のうち、5点について偽物だったことが判明したため、展示から取り下げると発表した。
同博物館は死海文書の断片16点を所有。うち5点について調査で真正性が疑われたことから、昨年4月にドイツの連邦材料試験研究所(BAM)に送って詳しい調査を依頼していた。
5点は2017年11月の開館時から展示されていたが、本物かどうかについて調査中という説明が付されていた。
博物館の発表によると、BAMが5点は成立年代が新しすぎると結論づけたという。
死海文書は紀元前3世紀から紀元後1世紀に成立し、ヘブライ語で書かれた最古の聖書写本が含まれる。1947年から1956年にかけておよそ900点の羊皮紙片が死海(Dead Sea)周辺に点在するクムラン(Qumran)の洞窟群内で発見された。
聖書博物館は、キリスト教福音派の富豪から財政支援を受けたことでも物議を醸していた。
【翻訳編集】AFPBB News
② 死海文書、wikipedia
(第一洞窟から見つかったイザヤ書の第二の写本 (1QIsab))
第一洞窟から見つかったイザヤ書の第二の写本 (1QIsab)
死海文書(しかいもんじょ、しかいぶんしょ、英語: Dead Sea Scrolls)あるいは死海写本(しかいしゃほん)は、1947年以降、死海の北西(ヨルダン川西岸地区)にある遺跡ヒルベト・クムラン(英語版) (Khirbet Qumran) 周辺で発見された972の写本群の総称。主にヘブライ語聖書(旧約聖書)と聖書関連の文書からなっている。死海文書の発見場所は1947年当時イギリス委任統治領であったが、現在ではヨルダン川西岸地区に属している。「二十世紀最大の考古学的発見」[1]ともいわれる。なお、広義に死海文書という場合、クムランだけでなく20世紀後半の調査によってマサダやエン・ゲディ近くのナハル・ヘベルの洞窟から見つかった文書断片なども含むので、文書数には幅が生じる。
(発見時の巻物の様子の再現)
③ 概要[編集]
死海文書はヘブライ語聖書の最古の写本を含んでいて、宗教的にも歴史的にも大きな意味を持ち、第二神殿時代後期のユダヤ教の実情をうかがわせるものでもある。文書は大部分がヘブライ語で書かれており、2割ほどのアラム語文書と、ごくわずかなギリシア語文書およびアラム語の方言であるナバテア語の文書を含んでいる。多くは羊皮紙であるが、一部パピルスもある。
文書の成立は内容および書体の分析と放射性炭素年代測定、質量分析法などから紀元前250年ごろから紀元70年の間と考えられている[2]。死海文書を記したグループ(以後、クムラン教団と呼ぶ)については、伝統的にエッセネ派と同定する意見が主流であるが、エルサレムのサドカイ派の祭司たちが書いた、あるいは未知のユダヤ教内グループによって書かれたとする意見もある。
死海文書の内容は大きく分けて3つに分類することができる。第1は「ヘブライ語聖書(旧約聖書)正典本文」(全体の4割)、第2は「旧約聖書外典」と「偽典」とよばれる文書群(エノク書、ヨベル書、トビト記、シラ書などでユダヤ教の聖書正典としては受け入れられなかったもの、全体の3割)、第3に「宗団文書」と呼ばれるもので、クムラン教団の規則や儀式書、『戦いの書(英語版)』(1QM(オランダ語版)、1Q33、4Q285(オランダ語版)、11QSM)と呼ばれる書など(全体の3割)である。