じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ピサンピーク アタック No.13

2013-12-23 10:35:08 | ネパール旅日記 2013
 ドルジががさごそと起き出した。
もうそんな時間かと時計を見るとまだ0時30分だった。
寝袋の顔の回りとテントの内側もバリバリに凍っていて寝袋から出るのが躊躇われた。

 寝る時の服装は、厚手のウールの下着上下、登山用の厚手のシャツ、厚手のフリース、分厚いダウンジャケット、裏フリースのクライミングパンツ、ダウンパンツ、厚手の毛の靴下、ダウンシューズ、毛糸の帽子、毛糸の手袋を着用して寝ていた。
だから寒くは無いのだが、寝袋から出てクライミング用に少し薄着にならなければならないのが億劫だった。

 自分は起きたと言うよりも寝ていなかったと言う方が正しいくて、頭痛で眠れずに朝を迎えていたのだった。
寝ている間に悪化する典型的な高山病の症状で、拙いなと思ったがまだ薬も飲まずにいられる状態なので初期段階だと判断してアタックは、行ける所まで行ってみる事にしてドルジに「頭が痛いけど行くからな」と声を掛けた。
「OK2時に出発だ」とドルジが言った。

 起きては見たものの全身が怠く少し吐き気もして来た。
吐き気は良く無い症状で、食べたものを吐くようだと高山病も中程度と判断しなければならず、対処方法は「下山」しかなく、アタックは中止だ。

 ドルジがミルクコーヒーと別のカップにお湯をくれた。
フリーズドライのお粥の袋にお湯を注ぎ寝袋の中に入れて待った。
ビスケットを一口かじりミルクコーヒーで流し込んでみたが、吐き気は強くならず呑込めた。
よし、お粥が食べられたらアミノ酸のサプリを飲んで出掛けようと、少しやる気も起きた。

 お粥は半分しか食べられなかった。
幾度が呑込んでいくうちに吐き気が強くなりそれ以上食べられなくなった。
行ける所まで言ってみよう・・・ヒマラヤの氷の感触を確かめたら降りよう、と、登頂の意識は無くなっていて、身体の怠さが弱気を誘っていた。

 吐く息が凍り付いたテントの中でコンロを二台も炊いたのでそれが溶けて水滴が落ちて寝袋を濡らした。
ドルジに、戻ってからパッキングするから乾かしていこうと言うと「どんな状態で戻って来るか分かっているのか?パッキングなんかする気力は残っていない」と言われ、のろのろとした動作で嫌々ながら、寝袋を畳み始めた。
見かねたドルジが、どれ、と言ってわさわさと寝袋を袋に詰め、その他の散らばっている小物を集めてくれた。
ドルジは一通りパッキングをすると自分のザックに水や少しの食料を入れ、予備のスリングやカラビナなどを確認していた。
そして、ナッツのチョコレートを二枚手渡しながら「これをポケットに入れて時々食べると良い」と言った。

 1時30分過ぎ、ハーネスを着けヘッドランプの明かりを頼りに歩き出した。
月が出ているので明るく感じるが足場が良く無く、小さなデコボコにも注意したい所なのでヘッドライトは欠かせなかった。
ドルジのはとても強力で眩しい程だったが、自分は電池を新品に替えるのを忘れていた。

 大岩まではガレた岩場で傾斜も緩かったが既に呼吸は苦しく、歩き出してすぐから喘いでいた。

 大岩を回り込むようにして左側が落ちているリッジに出る。
ドルジがここでロープが欲しいかどうかを訊いて来た。

 まだだいぶ岩だらけの所でアイゼンを着けた・・・いや,着けてもらった。
大した風ではないのだがそれでも風が体温を奪うのか、指先と足先は冷たかった。


 岩と氷のミックスで足下が覚束なくなっていたのだろうか、確かに左側に落ちればアウトだが、フイックスを張る程でもなく下りで転んでも転がり落ちるとは思えなかったのでコンティニュアスで行った。
ドルジの張り気味のロープが時折自分を引っ張ってくれていた。

 ドルジは岩を避けなるべく雪氷だけの所を選んでいるようでやがて岩が無くなった。
それと同時に傾斜も増してきた。
自分の歩みが止まるとドルジはロープが伸びるまで登っていき、ピッケルを刺してアックスビレイをとって自分も休んでいた。

 ドルジも余計なことを言わなくなり二人とも無言で歩いた。

 少しして、ここで休んでいてくれとドルジが言った。
フィックスを張りながら行くのでスノーバーを打ってビレイが出来るまで待てとの事だった。
ユマールをセットして待ち、張り終えたらロープを引くから登って来いと言ってドルジが雪面にステップを刻んでいった。

 水を飲みたかったが持って行かれてしまった。
ポケットにあったゼリー状のアミノバイタルを飲んだ。

 休むと頭痛が激しくなるようだったが吐き気は治まっていた。
自分は頭をを抱え込むようにして風を避け目を瞑って半ば眠るようにして休んでいた。
どれほどの時間が経ったのか分からなかったが寒さを感じて来た頃にロープにテンションが掛かった。

 ロープが張られ転んでもピッケルを使う必要がなくなったのでカラビナに挿して腰にぶら下げたのだが、それが微妙に足に当たり不快だった。
痛いとか、歩き難いと言う事では無いのだが、ピッケルの先が右脚のふくらはぎに当るのが気になって嫌だった。

 右手でユマールを手繰って登っていたが傾斜が急だとユマールに頼ってしまい腕が棒のようになって来た。
握力が無くて使えない左手が恨めしかった。

 涎も鼻水も垂れ流しで登った。
多分、一歩と呼べる歩幅は無く、アイゼンを打ち込もうにも足が上がらず、数センチか多くても数十センチずつの登攀であったと思う。

 風に晒された雪面は完全な氷になっていてアイゼンの爪が刺さらない。
出来れば左手でユマールを引き右手でピッケルを刺したかったのだが、ここでも左手が使えない事が仇となった。

 一度転んでロープに助けられた。
この時右脚のふくらはぎを左のアイゼンで刺したらしいのだが痛みは感じていなかった。
穴が開いて血が出ているのを見つけたのはピサンの村で着替えた時だった。

 傾斜が急になるとユマール頼りでないと身体が支えられず、また登ろうにも足では登れずユマールを引くしか手は無く、腕力はいよいよ限界を感じていた。

 ドルジは二本目のロープを張って登っていた。
今回持って来たロープは650mと言っていたが、下の方で使わなかったので殆ど頂上まで大丈夫だろうとドルジは言っていた。

 登るのを止め、休みの体制の時はユマールに全体重を掛けるので腕は解放されるが足は狭いステップに置いたままでふくらはぎに力が掛かって歩くよりもきつい場面が有る。

 ユマールに身体を預けて横になりたい衝動に駆られた。

 上を見なかった。
見ても山頂は見えないし、どうせ残の距離を見てうんざりするのが落ちだから上は見なかった。
まだ明けていない空の下でも自分の居る位置の高度感がひしひしと伝わって来て肝が冷える。
落ちたら終わりだな、と思う反面、落ちたら楽になれるなと妙な事も思い浮かんだ。

 日本の冬山の経験はそれなりに積んで来たつもりだったが甘かった。
アイゼンが刺さらない固い氷の上は歩いた経験が無かった。
しかも、この傾斜で前爪を蹴り込む場面など想像もして来なかったのは甘かった。
それでもドルジの踏んだステップが有るから登れたが、自分がトップだったら尻込みして諦めていた。

 ここに色々書いているが、実際に登っていた時には何も考えていなかったと言って良い。
これは回想であり、半ば想像に近いかも知れない。
あの時の自分は鼻水と涎でぐしゃぐしゃの顔をして、手袋で拭った鼻水と涎が凍り付いたまま、機械的にユマールを引き無意識に足を上げていたのだ。

 もう限界だなと思っていた時、ドルジがフィックスを伝って降りて来て「サミット」と言った。
そして「どうする、行くか?」と問いかけて来た。
自分は返事をする気力も無く、ただ足をワンステップ上に運んだ。
ドルジが戻って来たと言う事は殆ど終わりだと言う事は頭で理解していた。

 夜明けが近かった。
少し空が白み始めると逆に周囲は暗く感じて見え難くなる事が有るが足下はよく見えていた。
出来れば夜明け前に登り切り、眩しくなる前に岩場まで降りたいと思っていたが予定より相当時間を食っていてそれは無理だった。
サングラスを紛失したのでカトマンズでゴーグルを買ったのだがこれが安物で曇って使い物にならないのだ。
だから雪面で太陽は浴びたく無かった。

 ドルジが自分に言ったアタックの時間は5時間だった。
頂上から2~3時間で10時にはハイキャンプに戻り、そこから2~3時間でベースキャンプに戻る予定だった。
ドルジ曰く、アタックの後の下山は足が笑って思うようなスピードで下れないから余裕を見なくちゃならないのだと。

 少し傾斜が緩んだと思ったら両側が抜けて見え、稜線に出た。

 風が強かった。

 そこから緩い傾斜を登って「ここがサミットだ」と言って握手を求めて来た。
後で考えた事だが、どうやら尾根からまっすぐ来るルートではなく脇の雪面から登ってクロスして稜線に出たようだが、その時はそんな事はどうでも良かった。
そして、正直に言えば、尾根の先にもう少し高い所が有ると見えるのだが、それも見なかった事にしてドルジの手を握った。

 ドルジは預けていたカメラを取り出し鼻水と涎が凍る自分の写真を撮った。
そして感激に浸る間もなく「降りよう」と言ってドルジが急かす。
言われなくても一刻も早く降りたかった。
頭痛はとっくに限界を超え、脳味噌が波打っているのじゃないかと思う程心臓の鼓動に呼応して痛んでいた。

 ドルジが言った「さっさと降りないと氷が緩んで今の斜面から降りられなくなる」と。
下降点に戻ったところで半端に打ち込んであったスノーバーをきっちりと打ち込み、ドルジがエイトカンを掛けた。
自分はクライミング用のバケツにロープを通したいのだが手袋をしたままではそれが出来ずドルジにやってもらった。
動きが緩慢でドルジに手伝ってもらわないと何も出来ない自分が情けなかった。

 下降は早かった。
しかし、足がもつれるのも下降の時で、何度かロープにぶら下がった。

 下降の途中の雪面で朝日を浴びた。
実際はアンナプルナの方が2000mも高いのだが、それぞれの峰は自分の目の高さに有った。
しかし、景色を楽しむ余裕は無く、もつれる足が自分のアイゼンで足払いを掛けない事に神経を使った。
しかも、下降中はずっと下を見ていないと危ないので登りよりも気が張るのだった。

 ドルジがスノーバーの最後の一本の所でそれを引き抜きフィックスロープから外してザックに括り着けた。
スノーバーを一本土産に持って帰るから確保してくれと言ってあったのを覚えていたらしい。

 ここでやっと「水をくれ」と言えた。
ドルジのザックには自分のテルモスが有って、それにはミルクコーヒーがほど良い熱さのまま入っていた。
最初の一杯を飲み干してドルジに回すと奴は立て続けに二杯飲んだ。
こう言う奴なのだ。
この神経が嫌なのだが、クライマーとして、ガイドとしての腕は超一級なのは認めざるを得ない。
悪気は無いのかも知れないが、時に考えられない程の無神経さを見せるのが堪らない。
残のミルクコーヒーを全部飲み干しチョコレートも一つ齧って岩の混じるミックスの稜線に出てショートロープを結びドルジが後ろに回った。

 猿回しで暫く歩いた。
いや,歩いたと言うよりも転がり降りたと言う方が正しい。
足がもつれまともに歩けないし、なによりも頭が割れそうに痛くて死にそうだった。
標高を下げたら良くなると言われる高山病だが5000mよりもっと下まで降りないと効果は無いのかも知れない。

 ここで死んだら楽になれるな、と本気で何度も思った程に辛かった。
しかし、その辛さと極限の中で耐えている「カッコイイ自分」に酔うのも自分なのだ。
死ぬ程辛いと言っておきながら何故に山に登るのか?と言う問いの答えは、自分に関しては「辛さに耐えている自分に会って酔いたいから」と言うのが正解のような気がする。

 ドルジが後ろからロープを引いてくれていなかったらたぶん膝が折れてまともに歩けなかっただろうと思う。
自分よりも重い荷物を背負い、高所の雪面にフィックスロープを張る仕事をし、疲れ果てた客をロープで支えて降ろすドルジの体力は底知れないものだと思った。
そして、余りにも不甲斐ない自分の姿に涙さえ溢れるのだった。

 「ドルジー水くれ、水」と言ってペットボトルに入っている甘過ぎるジュースを飲んでは立ったまま暫く休むを繰り返し、大岩に続く緩いリッジを通過した。

 大岩を回ったらテントが見えるはずなのに見えなかった。
「ドルジ、テントは?」と問うと「ナラバードルが背負って降りた」との事だった。
「なんだとぉ、テントで一休みするんじゃなかったのか?」と落胆と怒りを込めて言うと「昼飯はベースキャンプだって言っただろう」となんでも無い事のように言う。

 自分はハイキャンプで一休みできるものと決めて気持ちを持たせて来たので休めないとなったら一気に萎え、歩く気力は完全に失せてしまった。

 ハイキャンプは何も無く、自分の荷物もナラバードルが背負って降りた様子だった。
ビニール袋に入った水が少し置いてあったのは彼の気遣いだったのだろう。

 ドルジに「ハーネスを脱いで座って小休止をさせてくれ」と言うと「全部外して身軽になって降りろ」とクライミングの道具を全部ザックに入れた。

 登りも遅々として進まなかった急斜面のザレ場とガレ場もドルジの猿回しを受け、後ろからロープで引いてもらって降りた。
誰かに見られたら恥ずかしい、クライマーとしては誠に不甲斐ない姿態であったが、しかし、転がり落ちたら1000mは行くなと言う斜面なのでそうせざるを得なかった。

 陽が昇り風が止み暑くなっていた。
クライミングジャケットとフリースを脱いだがそれでも暑かった。
しかし、もう身体に水分が無いのか汗は全く出なかった。

 這々の体でベースキャンプに辿り着いた。
口を利く気力も無く、張られていたテントに倒れ込むとテントの中には自分の寝床が拵えてあり、マットの上に乾いた寝袋が広げてあった。
クライミングシューズを脱いで横になると、ナーランが熱いミルクコーヒーとビスケットを持って来た。
「スープヌードルを食べるか?」と問うのだが「今は兎に角眠りたい」と言うと、高山病で昼間寝ると悪化する事が多いから少し我慢した方が良いと言った。
寝るなと言われても身体が自然に寝てしまうよと言いかけてはたと気が付くと頭痛が消えていた。
4200mまで降りた効果は覿面で、高山病は消えてしまったようだ。

 大した時間も眠らずに起きた。
キッチンテントに行くと「登頂おめでとう」とドルジとナーランが言って皿にいっぱいのポップコーンをくれた。
そしてテントの中には大きな石油コンロが置かれていた。
ガスを買って来ようとしたがピサンの村には売っていないので宿から石油コンロを借りて来たのだと言う。
空気タンクの付いた高所でも使える加圧式で火力が強く、ご飯を炊くので乗せられていた圧力鍋がしゅーしゅーと唸っていた。

 ドルジが夕食は何が良いかと尋ねるので、スープヌードルとライス、と言うと、卵が2個有るからフライドエッグはどうだと言う。
頭痛が治まってから猛烈に腹が減りご飯が食べたくて堪らなかった。
明日は下山なんだからあるだけ食べてしまおうと言うので缶詰を広げたら、あの美味いイワシが有った。
「これ俺のだからな、誰も食べるなよ」と全員に言い渡して飯の炊けるのを待った。

 ご飯が炊ける間に日記を書こうと寝袋に寝転んでいるとナラバードルがテントの中に入って来て自分の寝袋に潜り込んだ。
最初は何をやっているんだろうと訝しく思ったが、ああ、成る程と合点がいった。
ナラバードルは明日ピサンの村に泊まった後は自分らと別れて一人だけ登山道具を背負ってベシサハールからカトマンズに戻るのだった。
それで明後日の朝も早立ちするのでチップを貰いたいのだが言葉も出来無いので態度で示しているのだなと思った。
ナラバードルに2週間分のボーナスとして5000ルピーを手渡した。
嬉しいのか、不満なのか、何れにしろあまり反応はなかった。

 日暮れ前にフライドエッグと缶詰の豪華な食事をして日没とともに眠った。






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