じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

バフンダンダヘ No.5

2013-12-11 09:24:57 | ネパール旅日記 2013

 11月9日 土曜日 快晴 

 今日はBAHUNDANDA(標高1310m)へ向かって歩く。

 PM8時に寝床に入り、AM1:15分に目が覚めてしまった。
そこから5時までうとうとしたが快眠とは言えず、頭が重かった。

 今回の旅は体調が今一のまま始まったが、本日、ただ今現在も好調とは言い難かった。

 AM5:30、外からはトラックの走る音や人の声が聞こえ街は既に起きている事が分かる。
寝袋から這い出し部屋の外へ出てみるとホテルの人がシャッターを開ける所だった。
ダイニングの椅子に座り扉が開くのを待って外に出ると既に数人のトレッカーが歩き出していた。
自分はホテルの従業員らしき若者を捉まえてコーヒーが飲みたいのだが、と、言って、ミルクコーヒーを作ってもらった。

 アジアで一番英語が通じる国はフィリピンだと思うし、間違いないのだが、しかし、観光客が歩く範囲で出会うネパール人も英語は堪能だ。
この先、どんな山奥へ行っても英語が浸透している事に驚くのだが、そこに、観光でしか喰って行けない国の現実と悲哀を感じつつ、英語って学ぶ物じゃないよな、慣れだよな、とつくづく思った。

 ネパールの感想 

 カトマンズの街は平地が少ないからか、幹線道路を外れるとどこも道が狭い。
舗装は剥がれ、穴だらけで道路の維持管理など手が回らない様子で剥き出しの地面からの土埃は凄まじい。
自分が訪れた11月は乾季の真っ直中で殆ど雨が降らず乾き切っていた。
だから、小麦粉のように粒子の細かい土埃は車が走っても人が歩いても風が吹いても簡単に舞い上がる。
ネパールを訪れるのに日本からマスクを持参した方が良いとのアドバイスは時期によっては正しいと思う。
ネパールで売っているマスクは60円~100円程度で安くて丈夫でファッショナブルなのだが、フィルターと言う点では疑問が残るし、何よりも耳掛けの紐が短く少し顔の大きい人では窮屈になる。
更に都市部では、ガソリンが粗悪なのか車が悪いのか、たぶん両方だと思うのだが排気ガスの悪臭も凄いので厚手のガーゼマスクが良いかも知れない。

 この国には扇情的でセクシーな看板や派手に消費を煽る、アジアの新興国にありがちな看板は殆ど見られなかった。
そして、カトマンズなどは11月と言っても十分半袖で居られそうなのだが、ネパール人の、それも女性の半袖姿は見た記憶が無い。
ヒンドゥー教が市民の6割りと言っていたから、宗教的に何か有るのかも知れないが、ジーパンにTシャツ姿の、熱帯や亜熱帯の国の定番ファッションは見られず、逆に若い世代でも民族衣装の若い娘なら普通に見られた。
簡単に言うと、肌を露出している女性は皆無だった、と言う事だ。
アジア人的ではないエキゾチックな美人が多いのに、と、少し残念な気もしたが。

 ベシサハールを7時40分に出て、昼食などで1時間程の休憩をとり2時40分にバウンダンダに着いた。
距離の割りには時間が掛かっているのは、地図で見た標高差の二倍は有に登ったであろうと思えるアップダウンの繰り返しがあったからだ。
特に、宿の手前の最後の石段の登りはキツかった。
 
 道の途中にとてつもなく高く白い山が見え、あれがマナスルだ、とドルジが教えてくれた。
自分は一目見て「絶対に俺には登れない」と確信するとともに、酸素を貰い、万全の体制でバックアップされているとは言え、イモトは自分の足でアレに登ったのかと思うと、テレビの画面で見て馬鹿にしていた気持ちは吹っ飛び、クライマーとして認めて良いなと思った。

 今日、初めて四人で荷物を背負って歩き出したのだが、自分はナラバードルとナーランが背負った荷物を見て胸が詰まり涙さえ出てしまった。
特にナラバードルはクライミング道具の金物やらロープ、テントと鍋釜一式の入った二つのダッフルバッグで、総計が40キロにもなる荷物を背負っていた。
自分はその姿を見て、俺の遊びの為にこんな事を他人にさせて良いのか、と疑問に駆られた。
ネパールに生まれた人と、日本に生まれた人と言う、たんなる偶然による差を思うと、涙せずにはいられなかった。

 少し重たい気持ちで歩き出したのだが、ほんの少し、わずか10分程も歩くと、前にも後にもナラバードル並みの荷物を背負ったポーターが幾人も歩いており、欧米人はそんなポーターを意にも介さぬ様子で陽気に仲間同士で会話をしながら歩いて行くのが目に入った。
それを見た時に、植民地主義や奴隷制度を経験している欧米人の精神と、八百万の神や仏様のもとで、お互い様や御陰様と言う気持ちをどこかに持つ日本人の精神的な違いを感じた。

 しかし、担いでいる方のナラバードルもナーランもそんな事は意に介していないくて、これから一ヶ月近くを歩く旅の門出でハイになっているのか、お喋りをしながらハイペースで歩く。
40キロを背負っても平地なら自分よりも早く歩くのだから驚異的だ。
ちなみに、ナラバードルの身長は160センチで、体重は50キロ程度。
ナーランも160センチで体重は50キロと言うし、ガイドのドルジも身長は160センチで体重は50キロなのだそうだが、並べてみると身長は明らかに違うのだが、そんな事はどうでも良いのだろう。

 ナーランがわかり易い英語で土地の事や見えている山の事を説明してくれる。
マルシャンディと言う、これから向かうトロンパスに水源を発する河に沿って道があるのだが、凄い水量だなと思って見ていたら、案の定水力発電のプラント工事が大々的に進められていた。
看板には五星紅旗と、パンダのマークが記されており、中国の援助である事がうかがえる。

 宿に入りミルクティーを飲んで一休みした。
自分の部屋から共同の水場が見えたので昨日と今日の二日間着たシャツとパンツを洗いに行った。
水は止めると凍るので常に垂れ流しだった。
どうせ山からの沢水で水道代も無いだろうから旅行者が少しくらい使っても咎められる事もあるまいと踏んで洗濯していたが、村に一つきりの水道なのか引っ切り無しに水汲みの人が来る。
挙げ句の果てには、こんな時間に歯磨きをしなくてもと思う人までやって来て、水場を占領しているのに気が引けた。
陽が出ていて温かかったので序でに身体も濡れタオルで拭こうと思ったが、こうも人出が多くては裸になるのも憚られ止めた。

 4時頃、洗濯物を干し終わった途端に雹をともなって強い雨が降って来た。
嘘だろう? 乾季のこの季節の降水量は月間20ミリ程度となっているのに、激しい降りなので20ミリなど簡単に越えそうな気配なのだ。

 雨に降り込められてか、欧米人のペアが宿に駆け込んで来た。
彼らは部屋をチェックするのは当然だが、トイレと、食事のメニューもチェックする。
基準がどうなっているのかは不明なのだが、たぶん、食事のメニューに一番重きを置いているような気がした。
そのペアは幾分雨脚が弱くなった夕暮れの中、他の宿を求めて出て行った。

 その夜のディナーは、ミックスピザを食べた。
この宿を選ばなかった欧米人のペアが何故ここの食事はいただけないと分かったのか、その理由は不明だが、選択は正しかったと思う。
たぶん、普通のピザを知っている人達の全員がこれはピザじゃないと言うであろう食べ物だった。
敢えて説明すると、お好み焼き風の土台にピザソースを塗り、人参も含めた野菜を散らし、その上にチーズを乗せているような物だ。
そして、チーズは少しも溶けていず、人参はほとんど生であった。
しかし、これを喰わない事には我が身の燃料補給が滞るので無我の境地になり、喰った。

 この日は初日で緊張もし、身体も疲れている事も有りPM7時に寝袋に入った。
 

コメント
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