じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ハイキャンプ へ No.12

2013-12-18 15:10:29 | ネパール旅日記 2013

 11月16日 土曜日 快晴 強風

 なんだコイツらは、と言う時間に寝袋から起き出した。
とっくに目覚めていたのだが、夜明け前に何度もトイレには出たがその度に寝袋に潜り込み、また寝るのだった。
結局寝袋から出たのは8時頃で、完全に陽が昇ってテント内が暖まってからだった。
キッチンテントのナーランも様子を見計らっていたのか同じタイミングで起きた。
上に持って行くのはこのテントだけなのだからここが片付かなければパッキングも出来ないと言うのに、今日は標高差1100~1200mを登る事を考えれば楽なはずは無いのだが。

 昨夜、撮りたいと思っていた雪山の背景に星空を置いた写真に挑戦したが満足の行く写真は撮れなかった。
折り悪く満月だったのだ。
新聞が読めるのじゃないかと言う満月の明かりで星が消えてしまい夜空に見えないのだ。
時間をおいて月の位置が変わってからもやって見たが冴えない写真にしかならず落胆した。
まだ日にちは有るし、チャンスは有るだろうと早々に諦めた。
深夜に何度も外に出たが風が収まって寒くは無かった。
寒さを感じるのは実際の気温よりも風だなとつくづく思った。

 ドルジがパンケーキの朝飯を用意してくれた。
ただ赤くて甘いだけのネパールのイチゴジャムは好きではなかったが、素焼きのお好み焼きのようなパンケーキはジャムを付けないと食べられなかった。
無いのを承知でブラックティーをくれと言うと、はいよ、と、ブラックコーヒーをドルジが手渡した。
ドルジが居なければ1ミリだってピサンピークの頂上に近づけない事は承知しているが、しかし、時々殴り掛かってやろうかと思う程に腹がたつのも事実だった。

 キッチンテント中の入り口に20リットル程の水を入れた大きなポリ袋を置いたのだが、それが半分凍っていた。
ナーランが地面からの冷気が冷たくて眠れなかったと言っていた。

 相変わらず景気良くガスを炊き続けるドルジだったが、ナーランに「ガスカートリッジはハイキャンプで使い切るだろうからピサンの村に下りてガスを買って来てくれ」と言っていた。
そして、その料金を自分に負担しろと言って来た。
それは話しが違うだろう、キャンプ道具の見積もりはお前のボスがやった事で、登山中に必要なもののレンタルと購入経費として既に支払ってあるのだから、足りなくなったのは見積もりのミスか、使い方が悪いか、兎に角俺の負担はおかしいと主張した。
ドルジが「ヤクの糞をテント内で燃やすのは構わないが、それでのクッキングには時間が掛かるぞ、大変だぞ、少しの金をセーブして苦労する方を選ぶか?」と、半ば脅迫のように言って来た。
結局2000RPをナーランに持たせて、自分らがハイキャンプに行っている間にピサンの村で買って来る事になった。
序でにナーランは、今夜は宿に泊まって明日の昼前に戻っている事になった。

 飯を食い終わりパッキングを始めたが、ナラバードルが籠に20リットルの水を入れたらロープやクライミング器材の一部がが入らなくなった。
何が入らなくても絶対に自分が背負うつもりは無いと知らん振りをしていたが、テントのフライシートだけがどうしても余ってしまい、仕方が無いから自分のザックの雨蓋に挟み込んだ。
大した重さの物では無いのだが1グラムでも軽くしたい自分の心には、とんでもない重さに感じるのだった。
そもそも、俺が楽する為にポーターは居るんじゃなかったか?と大きな疑問が浮かぶのだが、自分のザックの中には相当のクライミングの金物も納まっていた。

 出発前にドルジが空になった自分のテルモスに熱いオレンジジュースを入れてくれた。
自分が一度沸騰した水しか飲まないのを心得ていて少し冷めたものをペットボトルにも入れてくれた。
こう言うのを見ると、ドルジって凄く細やかな気遣いの良い奴なんだと思ってしまうが、これが小銭が絡むと殴りつけたくなる奴に豹変するからネパール人は良く分からない。

 出発は10時過ぎになった。
ドルジがランチはハイキャンプで食べると言うのだが、この高地で1200mを2~3時間で登れるはずが無いだろうと言うと、少し遅くなってもハイキャンプでテントを張らないと飯は食べられないからと言った。
言っても何の役にも立たない事を承知で「だったらこ何でこんな時間の出発にしたんだ」と、声を荒げて言った。
ドルジがビスケットとチョコレートを自分に手渡しながら、腹が減ったらこれを喰っていけば良いと言った。
明日には大事な山頂アタックを控えているのに、ガイドとの信頼関係は最悪に成りつつあった。

 出来る事なら一人で荷物を背負って、お前ら全員帰れ、と言いたかったが、それは出来無いので黙って歩き出した。
ドルジが二三歩遅れて後に着いていた。

 昨日の登りは辛かったが、今日の登りは想像以上だった。
傾斜が急で、しかも足場がガレ場やザレ場な事もあって慎重に歩かなければならない箇所も多かった。
登りは良いとして、ここを下るのも緩く無いよな、と思いつつ上を見ると、延々とそんな岩場が続いている。
ピサンピークのドームは随分大きくなったが、距離感が掴めないので、近いのか遠いのか想像がつかなかった。
昨日の100歩数えて進み、10呼吸休んだら歩き出すを今日もやっていたのだが、100歩行く前に立ち止まってしまうようになり、目標を80歩にして、また70歩にしてと、殆ど休んでいる事の方が多い有様になっていた。

 今日は昨日程水を欲せず、テルモスのジュースも残っていた。
そうなるとザックのたった1リットルのペットボトルの重さが気になり、ドルジの野郎が余計なものを持たせやがって、と、八つ当たりをして自分の不甲斐なさを誤摩化していた。

 振り返ると叩き落ちそうな急な道の下にマルシャンディー川の谷を挟んで、ほとんど自分の目線の先にアンナプルナの山群が見えた。
そして、西の方にはピサンピークから続く5000m級の稜線が見え、それはチュルーイーストに伸びていた。

 しかし、景色を見た記憶が有るのもこの辺りまでで、たぶんあの岩の向うがハイキャンプだと確認できる高度から先は苦し過ぎて足下しか見ていず、また景色を見たとしても記憶にとどめる余裕は微塵も無かった。

 鼻水がやたらと垂れるのだが、拭う事もせず流れるに任せ、時々ドルジの真似をして掴み鼻をした。
しかし、余計な動作をすると途端に息苦しくなり、機械仕掛けのように、しかしそれは至極緩慢な動作で足を運ぶしか無かった。

 日本の山でも、重い荷を背負っていたり深雪のラッセルに苦しんでいる時など「何でこんな苦しい思いをしてまで山に登るんだろう?」と思うのだが、この時は、苦しいと言う思いよりも、ここでこれだけ苦しいのに明日はまだ上を目指すのかと、今よりも明日の苦しさを怖れていた気がする。

 にじり歩くとでも言うのか、一歩の歩幅が自分の足一つ分なんてとても踏み出せず、数センチなのか、十数センチなのか、と、言う感じで進んでいく。
地図で読んだ距離は2キロも有るのかどうか。
2000mで1200mを登ると言う事は、傾斜は60度になる計算だが、実際はジグを切ってあるので距離が伸びて傾斜は緩んでいる。

 自分を追い越して先に上がったドルジが荷物を置いて降りて来た。
すぐ目の前に見える大きな岩を指差し、あれの裏がハイキャンプだと言った。
そして自分のザックを引き取り、背負って登り始めた。

 何だよ、もうほとんど目の前じゃないか、もっと早く来いよな、恩着せがましく荷物なんか背負いやがって、と、声に出さない愚痴を言った。

 空身は軽くて、まさかと思う程に足が前に出る気がした。
しかし、それは気持ちの錯覚なのか、すぐ目の前に見えていた岩までも中々辿り着かなかった。

 PM1:30 ハイキャンプ到着。
テントはすっかり張られ、ドルジ岩で囲った竃にガスンロを据え、昼飯の準備を始めていた。
ヌードルスープか、パンケーキかと訊いたので「チャーシューメンの大盛り」と日本語で言うと、ドルジが、チャーチャーモンモンとか適当なことを言って、インスタントラーメンを作り始めた。
そして、別のコンロでガーリックスープを作ってくれ、高山病に効くから飲めと言った。

 自分はこれが殆ど最後の食事で、夕食は自前のフリーズドライの赤飯を少し食べたが食欲が無く食べ切れなかった。
そして、この後頭痛と吐き気に悩まされ続けるのだった。

 アタックキャンプはピサンピークの南に張り出した稜線上だと思う岩棚にあって、なだらかにガレた岩の尾根が山頂に向かって伸びていた。
崖っぷちの岩棚に張られたテントは、足の先は石で囲ってあるけれども、その先は無く、寝ぼけて落ちたら確実にお終いと言う場所だった。
手持ちの時計が示す高度は、5400mだった。
西側はカールになっていて雪がつもっていた。
ドルジが言うには、水を背負って来ない隊は雪を融かして水を作るのだそうだが、数日前に降ったから豊富に有るが枯れている時もあって判断は難しいらしい。
しかし、フムデの方からならここの雪の状態は見えるのだそうだ。
ドルジはピサンピークに25回登っていると言うのは嘘だと思っていたが、本当なのかも知れないと信じ始めていた。

 ニンニクスープを飲み、ラーメンを食べたら頭痛も幾分良くなって、ドルジがフィックスロープを張りに行くと言うので付いていく事にした。
ドルジはクライミングシューズだけでアイゼンは付けずに岩場を行くと言って登っていったが、自分は折角だからヒマラヤの雪を踏みたいと思い、アイゼンを付けスノーバーを二本と置いていった短い方のフィックスロープを持って雪面を登り始めた。
歩き始めてすぐ、あまりの息苦しさに登る気力が萎えてしまった。
ドルジがロープを担いで驚異的な早さで登っていくのを見送ってテントに戻って寝袋に潜り込んだ。

 ドルジは夕暮れ時に戻って来た。
「ドルジ、息切れしないのか?」と訊くと、8000mまでは無酸素で動けるのだそうだ。
「8000mでフィックスロープを張ったり回収したりできるのか?」との問いに、それが出来なければエベレストには選ばれないと言った。
ドルジの今回のサラリーを知っているだけに、大変な役割だな、と、またドルジが凄くて良い奴に思えて来た。

 ドルジが、岩の裏側は岩と氷のミックスになっていてブルーアイスが見事だ、あれだとアイスハーケンか、ロックハーケンのどちらかが無いとロープが張れないと言い出した。
そんなものは無いし、6ミリのロープスリングがたくさん有るから岩に巻いて固定すれば良いだろうと言うと、ここの岩は脆くてスリングの固定は出来ないと言った。
だったらロックハーケンも打てないだろうと言うと、アイススクリューが無いと駄目だと言い出した。
自分は現場を見ていないのに議論しても無駄だと思ったので、俺は登るからな、と言って話しをやめた。

 流石にこの標高では米は炊かないようで、自分達の夕食用にパンケーキを焼き始めた。
ドルジがパンケーキで良いか? ヌードルスープが良いか?と訊くので、自分の分はこれが有るから要らないと、フリーズドライの赤飯を見せた。
すると、それは美味いんだよな、ビーンズの入ったライスだ、と、尾西のフリーズドライを知っていた。

 フリーズドライはお湯でも水でも食べられるのだが、お湯で15分のものが水だと1時間掛かってしまう。
そして、熱い方が断然美味しい。
6000mの高地では理論上お湯は80度にしかならない。
そして、日が陰ったテントの中はガスを炊いていても急速に寒くなっていて、160ccのお湯はあっという間に冷めてしまいフリーズドライの米を美味しく食べるのは無理なのだ。

 食欲が落ちている時の切り札のつもりだったが、アルファー米にも苦手な状況が有る事を知ってガッカリした。
それでも、添付のごま塩の香りは食欲を幾分か盛り返し、明日の為にと無理して食べた。

 少しずつ激しくなる頭痛に眠れそうも無かったが、明日は午前1時に起きるとドルジに言われ、6自前には全員が寝袋に入った。
 
 ヘッドライトを消して5分後には二人ともニンニク臭い鼾をかいて快眠していた。




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