じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

カトマンズへ着いた No.2

2013-12-08 12:38:33 | ネパール旅日記 2013
 2013年 11月6日 水曜日

 TG319便でバンコクからカトマンズへ向かった。

 タイ航空のカウンターでチェックインしようとしたら、ネパルの滞在は何日だと言われ、一ヶ月だと言うと、タイでの空港税だか空港利用料だかで25ドル掛かると云われた。
一ヶ月だから取られるのか?と言うとYesと言うのだが、そんな話しは聞いていないし何かの間違いじゃないかと食い下がったが、この便に乗りたかったら早くオフィスに行ってレシートを貰って戻って来いと、割と美人の職員は冷たく言い放った。

 彼女が差し出した紙を持ってタイ航空のオフィスに行き25ドルを支払ってレシートを貰いカウンターに戻った。
カウンターの係員が替わっていたのでこの料金は何なのだと聞くと、ストップオーバーでタイに入国しないはずのチケットで空港利用料が含まれていなかったのに入国しているので、空港の利用料だ、との説明だった。
だったら筋は通るが、先ほどの彼女のネパール滞在が一ヶ月だからと言う説明が引っ掛かる。

 タイとネパールの間には時差が1時間15分あって、西へ向かうので巻き戻しだ。
10:30分発で12:45分着だと実質飛んでいる時間は3時間30分になる。
国際線で3時間半も飛ぶのだから当たり前と言えばそうなのだが、近頃はLCC流行で食事も飲み物も有料と言うのが飛んでいて何とも言い難い。
しかしこの便は正規のタイ航空の便でしっかりした昼食が出て、ビールも飲めた。

 ネパールの入国にはビザが必要なのだが、それは空港で入国の際に申請して貰える。
飛行機の中で配られた用紙に記入し、写真を一枚と40ドルを添えて出すと殆ど無条件で貰えるようだった。
様々なガイドブックでカトマンズでのビザの取得にはえらい時間が掛かり待たされると書かれている。
待たされると言えばそうなのだが、それは南国のイミグレーションのように処理能力に問題があったり、係官が横柄にのんびりやっているからではなかった。
ブースの中の係官は出来る限り迅速に処理しようと奮闘していた。
しかし、どう言う訳か英語の得意そうな国の人達の所で書類の不備やらで引っ掛かる。
自分は申請用紙と赤いパスポートを手に持って気長に待つつもりで並んでいたのだが、「ジャパニーズこっちへ来い」と、比較的好いているラインに呼ばれて行ってあっさり通ってしまった。

 カトマンズの空港には今回のトレッキングと登山の申請書やクライミングガイドの手配を依頼した会社の人が迎えに来てくれた。
片言の日本語はかえって分かり難く、自分は英語で話しているのに彼は無理に日本語で話そうとする。
英語で話してもらえないかと言ったら日本語を貶されたと思って傷ついたのか、とても流暢な英語を聞き取れない程の早さで話し始めた。
この瞬間、この登山は成功しないかもしれない。
少なくても、ネパール人には気を使う事になるのかもしれないと直感した。

 カトマンズの旧い市街地にはツーリストの為の繁華街が発達したタメル地区があって、旅行者の大半はこの界隈に宿を取る。
自分もタメルの中心部の宿に案内された。
部屋は4階だったがやはりエレベーターは無かった。
ホテルのボーイが登山道具の入った20キロの荷物を部屋まで運んでくれた。
ネパールのお金はまだ持っていなかったので1ドル札を一枚渡した。

 トレッキングと登山のガイドがホテルで待っていて、早速持参した登山道具を点検し、足りない物を買うか借りるかして揃えると言った。


 ドルジと名乗ったシェルパ族のガイドはオレンジ色のまだ新しいクライミングシューズを手に取って、エクセレント、と、呟いた。
自分としては5000~6000メートル峰の登山靴ではかなり当たり前の靴だと思っていたので少し驚いた。
ひょっとしたら他のクライマーはこの上のクラスを履いて来るのかと思ったが、これだって日本の厳冬期の富士山を楽にこなす靴なのだから、しかも彼が素晴らしいと言うのだから単純にスカルパを初めて見たと言う事だろうと思う事にした。

 足りない物はロープ類とスノーバーと、日本から持って行ったダウンジャケットが薄過ぎると言って、凍えたく無ければ分厚いのを買った方が良いと言われ、キッチン用品やテントを借りた店でノースフェイスのコピーのダウンジャケットを買った。

 足りない物とレンタル品で250ドル程支払った。
ネパールは外貨を稼ぐ手段に乏しく、観光客に持って来てもらうしかないので矢鱈とドルを欲しがる。
だからネパールの観光や登山の申請料の支払いはUSドルになっている。
カトマンズの土産物屋では円でも支払いは出来たがUSドルならどんな山奥へ行っても使える。

 まだネパールもカトマンズも勝手が分からないので夕食はホテルのレストランで食べた。
メニューを見ると西洋料理が一通り並んでいたが敢えてネパール人の日常の食べ物と言われる「ダルバート」を食べてみた。
チキンカレーに野菜炒め、ダルのスープにネパールの激辛漬け物など、一通りのダルバートの基本が揃っていてとても美味かった。
そうか、これが噂に聞くダルバートか、これなら喰えるなと納得した。
しかし、この認識は甘かった事を数日後には知った。
ホテルのダルバートは外国人観光客向けに相当アレンジされており、盛りつけも味も極上の物なのだった。
山間部のダルバートは塩気が薄く、総てがカレー味でホテルのそれとは似て非なる物だったのだ。
私はこの後何度と無くダルバートを食べたのだが、間食出来たのはこの時だけだった。
もっともダルバートには間食と言うのはあり得ないのだが。
ダルバートはご飯もおかずも好きなだけお替わりでき、また、ホテルでも山の茶店でも、必ずご飯やダルのお替わりを聞いて来る。
そして、シェルパやポーターはもの凄い量の米を食べる。
男ならラーメン丼一杯は普通に食べ、女性でも同じような量を平気で食べる。
5~6才の男の子でもカツ丼の丼に一杯くらいは平気で平らげる。
また、それくらい食べないと身体が持たないだろうし、食べられない身体では生きて行けないのだと思う。

 食事を終えてホテルの前の通りをブラブラしてみた。
11月はネパールの観光シーズンとしては終盤で気温の低下とともに客は急速に減っているらしかった。
しかも、一周間後にはネパール全土で選挙が有り、投票の前一週間は国民も旅行者も動きが制限されるらしく、何時もに増して人は少ないのだと暇そうに道端に座り込んでいた土産物屋の主人が教えてくれた。

 ホテルにはバスタブが有った。
物価の安いネパールで60ドルの部屋は高級なのでバスタブが有って当たり前なのだが、これが、蛇口を捻って出て来るのは水で、お湯は出ないのかと思い諦めかけた15分後くらいにやっと手で触って熱いかも、程度のお湯になる。
確かに、風呂場にはお湯が出るまで少し待てと書かれてはいたが、少しと言うのがネパールと日本ではニュアンスが違い過ぎるようだと思った。

 時差の都合で8時過ぎなのだが、自分の体内時計は11時を過ぎていてとても眠かった。

 8時30分消灯。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅にでた日 No.1

2013-12-08 10:35:21 | ネパール旅日記 2013
 2013年11月5日 

 仙台空港から成田空港を経てタイのバンコクへ行った。
朝の8時頃の飛行機に乗り、成田で乗り継いでバンコクに午後3:45に着いた。

 羽田からの深夜便で行けばバンコクで泊まらなくても良かったのだが、無職の自分に時間の制約は無い。
ならば、眠たい深夜便で体調を崩すよりものんびり行った方が得策だとの思いでバンコクで一泊した。

 空港からの送迎と朝食付きで1泊2300円の宿はWiFiも使えて快適だった。
しかし、四階の部屋まで20キロの荷物を担ぎ上げるのが難儀だった。
アジアの、近頃発展目覚ましい国のホテルでは、外見はそこそこだが4~5階建てではエレベーターが無いホテルは普通だ。
理由は建築費とメンテナンスのコストなどが主だが、もう一つ、タイのバンコクなどでは少なくなったが、新興国では未だに停電は日常的なのでエレベーターは厄介なのだった。

 ホテルは空港の側で、いわゆるバンコクの市内からはだいぶ遠く、乗り継ぎで一泊程度する客の宿だった。
だから歩いて行ける範囲に観光客の楽しめる場所は何も無かった。
其の代わり、地元の人達の生活の場なので屋台はたくさん有って、美味いタイの屋台飯は選び放題だった。

 屋台で飯を食いながら缶ビールを買いたいのだがと言うと、道の先を指差すので見たらそこにセブンイレブンの看板が見えた。

 セブンイレブンを目指して歩いて行くと「タイマッサージ」の看板が見えた。
おっ、在るじゃないか、と、タイマッサージファンの自分は嬉しくなって直ぐさま店に上がり込んだ。
 
 料金は、フットマッサージ1時間が750円で、タイマッサージが1時間900円だった。
タイマッサージの方は場所が空くのが30分後だと言うのでフットマッサージを30分とタイマッサージ1時間で幾らかと聞くと1500円との事だったが、割り算が合っていないと言って1300円に負けてもらった。

 マッサージの後缶ビールを二本とタイの激辛スルメを買ってホテルに戻った。

 缶ビールとつまみを持ってホテルに戻るべく歩いていたら、なにやら電飾の具合がとても良い感じのレストラン&バーが目に入った。
手に持っている缶ビールは無駄になるかもしれないと思いつつも躊躇無く店に入り無垢材で作られた重みのある木の椅子に座った。

 しかし、店には他に客も無く、気の利いた音楽が流れるでも無く、一人でいる事がやけに強調されてしまい、居たたまれなくなってシンハーの小瓶一本で店を出た。

 ホテルに戻り激辛スルメと缶ビールをやって寝た。



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする