じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

曇り空ですが・・・

2016-03-05 15:14:37 | 日記的雑談
いや、昼飯以後はカメラを担いで・・・と、言う程大きなカメラではないんですが、まっ、そう言うモノを持って田圃に春の走りでも探しにと思っていた訳です・・・しかし、思いっきり雲行きが怪しくなってきまして只今3時16分は鈍雲りであります。
カメラがしょぼくて腕が悪いのに光り廻りも田圃を撮るには最悪となっては出張って行く気も失せちまうと言うもんであります。
なので車を洗車場に持って行って機械でガーガーと洗って、以前使った残りかすの「車の傷消しコンパウンド」で、先日の当て逃げのダメージをいくらかでも隠そうと努力してみた訳であります。
ブロガーさんの中にプラモデルその他の塗装の名人がいらっしゃるんですけれども、アノくらいの腕が在ったら市販のパテで盛ってスプレー缶で塗っちまうんだがなぁ・・・と、思いつつ、やれる事を全力で、と、鋭意傷消しに励んだ訳です。
で、結果から申し述べますと・・・まっ、誰が見ても当ててあるな、剥げているな、と言う感じでして奇跡は起こらなかった訳であります。
まっ、いいでしょう・・・いつまで囚われていても直るモノでは無いし・・・本日一日をもってこの件は忘れる事にしたいと思います。

余談ですが、今夜の晩飯はカレーのようなんですが・・・台所でオヤァ~と言うのを見ちまいました。
女房が作っていたんですけれども、鍋の中の野菜と思しきモノらは既に煮えた感じで、そろそろカレールーの投入かと思ったら、やおら豚肉を取り出してぶちこんだ訳であります・・・おぃおぃ、それって一番最初に炒めるんじゃないの? と、思いましたが、まっ、些末な事でありましょう。


青虫が私の指の上を歩いていたんだけど

突然ですが、家の中でPCのキーボードを叩いていたら手の指の上を青虫が散歩し始める生活ってドーなんでしょうか? 普通ですかね? 
と、言いつつ心当たりは沢山在る訳ですが・・・本日は田圃に写真を撮りにいくのを諦めたんで昨日注文した山芋と生姜を植える場所を確保するべく、出来損なったキャベツを引っこ抜く作業をした次第であります。
まっ、その時に衣服の何処かにしがみついた物が彷徨っているうちに指の方へと迷い出たんじゃないかと思いますが。

たかが青虫・・・しかも昨年生まれて越冬中と思しき根性の固まりのような青虫ですが、運命とは残酷な物でして、安住の地と思われたキャベツはそうでは無かった訳です。
そして、なんとか生き延びるべくしがみついたモノの、結局は摘まみ上げられてゴミ箱へ落とされちまうと言う・・・これで生きる道を断たれちまった訳でして・・・合掌、と。

明日は日曜日か・・・まっ、言ってみただけでして何の予定も無いんですが。



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息切れした?

2016-03-05 09:08:44 | 日記的雑談
雪が少なく乗り切れない今冬のスキーシーズンではありますが、それでもナンだカンだでそこそこは滑っている訳でして・・・先週は5日、今週は4日・・・疲れた疲労も蓄積されて溜まった感じであります。

本日は好天の朝を迎えておりますが、スキー場通いはヤメてジムに行こうとしていたんですがナンだか尻が重くて結局はPCの前に座っちまいました・・・コーヒーのお湯を沸かしたのでお出かけモードは解除であります。

今年は61歳・・・正真正銘のジジイ、か? 微妙ですよね。
中年では無いと自覚しますけれども、さりとて爺様と呼ばれる程には枯れてもいず・・・少年期から青年期の境などを指す言葉としてマージナルマン、なるものを覚えましたが・・・中年と老年の端境期にも当てはめて宜しいんでしょうか?
横文字をカタカナでの表記って性に合わないんですけれども、こう言う時って他に言葉が浮かばないんで困っちまいます。

横文字の日本語、で思い出したんですが、今朝のテレビで閏年の2月29日生まれを放送していまして、そこで唄われていたハッピーバースデーの映像に小さな不思議を感じたんであります。

アレ・・・テレビではかなりな高齢者も一緒にハッピーバースデートゥーュー、とやっていましたけど、これに準ずる日本の歌はなんであるか?と、思った訳ですが、ナニも浮かびませんでした。
自分の頭の中には無いのでありますが、皆様におかれましてはナニか知っていますか?

で、勝手な解釈を色々としてみた訳なんですが・・・第一候補は、日本人は誕生日を気にしない民族であった・・・その心は、一個人の生死なんてのは眼中に無かったから・・・長男以外は厄介者の家制度が関わるんじゃないか?と。
いや、誕生とは相対する葬儀、や墓を考えると、一般平民の墓が許されたのは今から180年程前(天保の頃)からだそうでして、そもそも、個人の生死なんてかまっている余裕は一般平民にはなかった、と。
で、序でに推測すると、生まれてはきたけれども育つかドーかも判らない瞬間を祝うよりも、生存の確率が高く見込めるそれぞれの節句などで祝う方が現実的であった・・・そんだけ乳幼児の死亡率は高かったんだろうと言う勝手な推測であります。
が、節句とても武家や金持ちの社会の風習でして一般平民には無縁であったかと思う訳ですが。
アレです・・・モノの本に拠りますと戦国時代の百姓の定住性はそれほど高く無かったらしく、戦で田畑が荒らされるのもナニですが、領主が戦に勝つか負けるかで民百姓の立場も変わるので情勢を見てはサッサと勝ち目の在る方に移っていった、なんて事も書かれてましたんで、墓に関してはそう言う事も手伝って平民は山や河原に土饅頭・・・まっ、ソレを押さえるために領主は勝手な移住は禁止としていたし他藩の逃げ出した侍を登用するのも御法度としていた訳ですが、百姓の現実は逃げるが勝ちだったとか。
あとアレです・・・百姓と言った時には漫画日本昔話に出て来るような水呑百姓の事だと思って下さい。
江戸時代からですよね、過去帳とか檀家制度で家系が判る人が出て来るって。
過去帳や檀家制度の序でに宣ってみたいんですが・・・今時のニュースって、犯人を評する時に必ず出生地や住所と職業を入れますよね・・・大阪府の会社員とか秋田県の無職とか、仙台市の自称鳶職、とか。
アレって、必用なんだろうか? 何の意味が在るんだろうか? と、考えた時に・・・やっぱしお白州で金さんや黄門様や鬼平が・・・侍なら、藩の名前と役職を、町民なら長屋の名前と職業を言われた事の名残であるか? と、思う訳です。
なので、住所不定・無職・・・事件と何の関係があるのか?と、思う表記がされるのかと。

おおっと、毎度の事ですが誕生から非ぬ方向へ脱線しちまいました。

で、次なる考察なんですが・・・面倒臭くなったのでヤメたい所であります。
しかし、序でに一言だけ申し述べますと、私なんかもそうなんですが、子供の頃には正月を持ってして一歳齢をとった訳です・・・数え年ですね。
なので日本国民は正月に一斉に一つ歳をとる風習であったので正月の歌がそのままお誕生日の歌であったと言う事じゃないかと・・・誰かが宣っていました。

意味不明の駄法螺・・・無駄にお時間を取らせましてご免なさい。






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