じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

明日は異種混合戦

2019-06-28 21:40:16 | 日記的雑談
へっ・・・❓ 異種混合戦とはなんぞや、ですか❓

それは、午前中は植木屋で午後からプールのバイトを現してみた訳なんですが・・・あっそっか、二色のわらじ、が適当ですかね❓

いいやぁ~二足じゃ無ぇのでやんす・・あくまで二色のわらじなんであります。

はいっ、そこの貴方、意義は認めません!!!

しかし、明日の予報は曇り時々雨、とかで植木屋は難儀であります。

まっ、もう寒い時期では無いのでカッパを着て仕事しても平気と思いますのでやっちまう所存なんですが、ホントーはやりたく無かったんですけど、どーしてもって急かされまして止むを得ずであります。

いや、午前中で終わる予定ですけれども、見込み違いだったら目も当てられません。

まっ、そん時には謝って「また来ますんで」と逃げるしか無いですね。

でも、植木屋の仕事って時給に換算したらプールの倍くらいにはなる訳ですから、端折るんならプールなんですけどね・・・本末転倒とはこの事でありましょうか❓

さて・・・バカな事を書いている暇は無く、一刻も早く布団に入って羊を数えなくてはならないんですが、どーにもG20のニュースなどが気になってダメなんであります。

あれ・・・安倍ちゃんをテレビで見ましたが、左に習近平さんで右にトランプ様を侍らせ、満面の間笑みで映ってましたが、いずれどっちからも追い込まれて針の筵に座らぬ事を強く希望するものであります。

とんでもねぇ役を引き受けそうで・・・まっ、トランプ様には戦闘機を買わされるくらいならまだマシだと思うんでありますよ。

で、中国さんには一帯一路の後押しを懇願され、そして、ファーウェーの件も背負わされるんですぜ・・・なんちゃって。

しかし・・・マジで思いましたが、安倍ちゃん以外にここまで外交的に日本の立場を上げた総理大臣はいなかったと思うんであります。

まっ、戦後70年が過ぎアメリカのアレルギーも薄れたと言う事で、時代が後押ししているのは否めませんけど、なんと無く日本国が普通の国になれそうな気配をそこはかとなく感じさせてくれるなと思うんであります。

まっ、今夜はニュース板も見ずに寝ますので適当な事を書いて今夜の私の言葉とさせていただきます・・・では、おやすみなさい、と。





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きゅうりの漬物・・・

2019-06-28 12:43:50 | 日記的雑談
ぬか漬けなんて高級なのは作れないので朝採ったキュウリを出汁醤油に絡めてジップ袋に突っ込んで冷蔵庫へ・・・そして、昼飯は丼いっぱいの飯とそれ、でありました。

いや、名誉のために付け加えればもう一品ありました。
まっ、畑で採れた小松菜の味噌汁が添えられただけでして、和風というよりもっと庶民的な、昭和の平民の昼飯という感じですかね❓

それにしても、今時は米って食わないんですって❓

んじゃぁうどんやそばでも食うのかと思いきや専らパンやパスタに行くんだそうな・・・オノレは何人じゃぁ~と叫びたい心境ですが、日本人何ですとぉ~これが。

時代だね・・・私がサラリーマンとして初めて勤めた小さな会社の合言葉は「あったかい飯を食おう」でありました。

裏を返せば冷や飯が普通にあった訳でして三度三度湯気の立つ飯なんてのは平民は食えなかったんであります・・・かな❓ 俺が貧乏だっただけかも❓

三種の神器ってのも言われましたね・・・知ってますか❓

テレビ・洗濯機・冷蔵庫であります・・・が、テレビは白黒で洗濯機には絞り棒が付き冷蔵庫に製氷機はありましたが、中々凍らなくてねぇ~。
いや、凍ったかな?ってドアを開けて覗くし薄く張った氷を指でつつくんですから、ソリヤァ簡単には凍らないんであります。

私が後幼少の砌、寝小便をしたパンツを自発的に洗濯機で洗い、絞り機で水気を切って湿ったパンツを人肌で乾かしたのは内緒であります。

いや、うん子を漏らしたパンツは一度井戸端で洗ってから洗濯機に入れないと後が大変になるのは一度やって大騒ぎして学習しました。

あの頃の洗剤は・・・花王のザブか、金銀パールプレゼントのブルーダイヤでありましたね。

あ・・・忘れてた・・・明日の準備をしていなかった

遊んでる場合じゃなかった。



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60にして惑い狂う

2019-06-28 08:30:19 | 日記的雑談
論語に、われ四十にして惑わずという言葉がある訳です 。
序でに言うと、それには続きがありまして・・・五十にして天命を知る、と来て、六十にして耳順う、で、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず・・・と続くそうであります。

孔子さんの晩年の言葉だそうでありますが・・・我が身を振り返ると随分な落差があるなと思うんであります。

いや、孔子さんは・・・三十にして立つ、と言うんですが、そりやぁ30歳なら立つでしょ、男なら。
還暦過ぎると立つのも容易じゃない・・・足腰も弱ってますからね、と、そういう話しでは無いのであります。

なんと申しましょうか、我40で惑い、50でも惑い、やっぱし60過ぎても惑い続けている訳でして・・・こりやぁ生涯惑ったまま冥土に行くのか、なんて事を思う今日この頃な訳です。

いや、惑うからして孔子さんのように・・・七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず、の境地には近づかないんでありますね、たぶん。

で、まぁ、私流の解釈でナニしますと・・・われ四十にして惑わず、と宣った孔子さんは40歳くらいで世の中を見切ったと言うことでは無く限界を感じたんでありましょう、たぶん。

いや、われ十有五にして学に志す、とある訳ですが、これは当時の背景を鑑みれば仕官を志して・・・言ってみれば今の学歴社会そのままでして、良い学校を出て官僚にでもなろうと言う事で、さして高い志でも無いと思うのはダメでありましょうか❓

で、孔子さんの生涯をちらっと垣間見ますれば・・・孔子さん自慢の才知を持ちながら以外と不遇な時を過ごしたせいか野心満々、腹に一物背中に荷物で革命を志す、などしている訳であります。

で、それに敗れた後・・・だからこその「七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」なんだろうと思うんであります。

いや、歳も歳なんでまたもや旗を立てて革命もできない処に至り、学問として自分の思想を広める方に傾いたからこその七十にして、なんでありましょう。

と、言う事は・・・まだ頑張れば少しは立つ我が身を抱える自分は孔子ほど精神的にも老いぼれてはいないので惑うのも当然、と思うんですが・・・なにっ❓大きく的外れですとな❓

そだねぇ・・・でも、まともには読んでもいないのに語っちまうのもナニなんですが、論語ってあんまし自分とは相容れないといいますか、私の好きなお釈迦様の言葉と違って戦いとか忍耐とか・・・もっと現代的に言うと「金儲け」の匂いがするんであります。

と、言う事で・・・60超にして毎日惑っている自分なんですが、心の救いは孔子の言葉にでは無くお釈迦様や一休禅師の言葉の方にあるような気がするんであります。

いや、書き始めた時はこんな風にしようとは思ってもいなかった訳ですが、流れに乗っちまったらこうなってました。

あれです・・・今のバイト先の方針といいますか管理運営のアレコレと相性が悪く、自分の中では矛盾だらけで解釈に困っている訳であります。

で、自分は気持ちの幅が狭いので嫌なものに目を瞑ってその場をやり過ごすなんて器用なタイプでは無い訳でして、つい「具体的にはどういう指示なんですか」なんて聞いちまう訳であります

ミィーティングという名の責任のなすり合いが一番苦手でして、そんな時思う訳です。
指揮官が逃げたら兵隊はどーすりゃいいんだ、と。
最後は責任持つから派手にやってこい、とハッパを掛けずに安全策ばかりの縛りの中で求めるのは最高の成果ってか❓

と、まぁ、こんな風に不満が募って・・・もー辞めようかな、と言う事になっている訳であります。

で、唯のバイトなので言うだけ無駄・・・なのに黙って時給なりの仕事に徹しきれない自分が悲しい。

ああ、外は小雨であります・・・が、これから軽く植木屋仕事の下見に行く訳です。

まっ、気分転換には一番の薬であります。



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