いや、また奴隷の話を読んでいたんだけれども、人が売り買いされるってのは形態は変わっても現代にもしっかりと残っているんじゃ無いか、なんてことを思いつつ本の中身とかけ離れた妄想をしていた次第であります。
なんと申しましょうか、資本主義ってのは資本を出す人がいないと始まらないんですが、資本を出した人は慈善事業じゃ無いんで利益を追求して当然な訳であります。
で、荒っぽい話で恐縮ですが、投下された資本を転がして利益を上げるのが労働者の役目でして、この部分は奴隷と呼ばれようと労働者と呼ばれようと同じ事であります。
で、奴隷が許された時代と今は何が違うのかと言えば、嫌なら辞める自由であります。
しかし、労働者は食うために働く訳で、嫌な労働を辞めたとしても次の労働を得ないと食っていけないのでどーせまた働かざるを得ないという事であります。
これ、一見自由なようですが資本提供側にとってはとても好都合と思う訳です。
なんとなれば、労働市場が流動性を持つ上に、好条件を与えれば質の良い労働者が集まり、そしてよく働く訳であります。
いや、良く働く理由は単純でして、序列を上げたいからに尽きる訳で、これも資本主義のからくりの核心なんですが話が逸れるので省きます。
で、そういう好条件の労働に着けなかった労働者は下に行くほど労働環境や待遇が悪くなる訳ですが、それでも食っていくためには我慢する訳であります。
まっ、ここに格差が、なんて話も悪く無いんですが、切り口が奴隷なのでこの話も端折ります。
で、日本の戦国時代、下級の雑兵は百姓が駆り出されていたわけですが、戦場に赴いている間の収入分が保証されていた訳では無く対価は無いんだそうであります。
なので、勝ち戦ともなれば戦利品を漁って持ち帰らねば食えなくなるので略奪はもとより、人も狩って奴隷として連れ帰ったそうであります。
まっ、戦利品の奴隷の話は奥が深いのでナニなんですが、それらの中から海外に売り飛ばされた男女がいたのは間違いない話な訳であります。
で、戦利品の奴隷で何を言いたいのかというと、弱者・敗者でして、場合によっては時の運だったという事であります。
ここでの味噌は時の運であります。
戦国時代なら強い武将の軍に入れば戦利品も得られたでしょうが、罷り間違って敗戦の側になっては奴隷として売られかねない訳であります。
どーですか、現代の就職事情と何も変わらないと思いませんか。
昭和の高度成長期に持て囃された重厚長大産業はどーなりましたか。
より良い武将に取り立てて貰いたく文武に励み仕官した侍ならまだしも、戦があるからと狩り集められた末に奴隷として売り飛ばされる百姓の人生はいやはやなんともであります。
さて、ここにも深い味噌が隠されていまして、それは勝ち戦に乗らないと食っていけない現実を神世の昔から刷り込まれ、人は本当の意味で自由では無いという事であります。
まっ、奴隷話など持ち出さなくても一言で背に腹は変えられない、で終わらせても良いことなんですが、それでは暇つぶしにならないので続けます。
で、なぜに自由になれないのかはもはや明白でして、持たざる者は食うためという制約が付いて回るからであります。
もう聡明なあなた様は先が読めましたですね。
そういう事なんであります。
資本主義社会という構造そのものが奴隷を生むと言いますか、そうしないと生きられない人を作り出す仕組みなんであります。
いや、余談と言いつつ脱線するのが私の良いところなんですが、この仕組みは貨幣経済や金融と絡み合って巧妙に組み立てられ静かに進められてきた訳であります。
それを仕組んだのは資本家と時の政府でありました。
私の雑破な知識でナニなんですが、殖産興業・地租改正などは百姓を労働市場に駆り出す第一歩でして、次の大河ドラマの主人公の渋沢栄一なんて人も労働市場の拡大を進めた、私に言わせると現代の竹中平蔵と大差ない人であります。
と、いう事で、話はなんぼでも膨らむんですがちょっと言いたかったのは、次の大河ドラマの渋沢栄一ってホント〜に偉いのか、であります。
まっ、早い話が、派遣労働を推進した小泉純一郎とその一味の竹中平蔵と大差ないんじゃ無いかという事でありますが、まっ、いいでしよう。
で、そろそろ落ちに行くんですが・・・なんですとぉ、もう飽きたのでここで止めろ、ですか?
んじゃ手っ取り早く落としますんで少し堪えてください。
まず、土地の所有というインチキであります。
地球を国で分け、国の中でも所有者というインチキな仕組みを作り持てる者と持たざる者を生み出したのはとんでもないインチキなんですが、国は警察や軍隊を持っていますんで変だ、と思っても逆らえません。
まっ、日本国以外では変だと思って暴れる民もいますが、それが不思議なことに資本主義と西洋的自由を目指すんですから自分には奇異であります。
で、土地や金融その他で資本力を持った一握りが生産や販売などを支配し労働者を集めてさらに儲けている訳ですが、持たざる者はそれが不自然とはおもわず、食って行くには働くしか無いと諦めている訳であります。
核心はここであります。
何もかもが資本家側の思惑で成り立っている社会で、息抜きできる程度に与えられた時間を自由と勘違いするほどに飼いならされてしまった労働者はその昔の奴隷と比較して大差ない存在だと私ゃ思う訳ですが・・・かなり無理な論でありましょうか?
いや、だったら好きにしろと言われると時給824円で自分の余生を切り売りしている自分は困っちまうんですが、奴隷の本を読んでインプットがあったので一寸アウトプットしてみたかったと、それだけなんで無理筋論と言われるのは認めます。
なので、だからドーしたら良いという案は自分には無いし、社会主義で上手く行くなんて幻想もないのであります、なんちゃって。
いやいや、奴隷の本はもうすぐ読み終わりますんでそん時はもう一筆!!!
へっ? 要らない、ですか?
こりゃまた失礼いたしやした、と。