震災から1年いわき市の記録A4版48頁の冊子が回覧板を通じて届きました。震災当時津波を目の前で見ていますから、しばらく「半年以上」になりますか、テレビでの津波の映像はみたくありませんでした。また、地震や津波に関して話したくもありませんでした。
この冊子を見ると、わが町(いわき市四倉町)を襲った津波の高さは海岸から142mの地点で7.55mとわかりました。避難先から帰宅しても、玄関や窓ガラスの後片付け、倒れた家具や本棚から落ちた書籍の整理で、町の被害など見る気にもなれません。しかし、一か月半も過ぎると町の様子を見て歩きました。
冊子から頂いた画像はいわき市で一番犠牲者が多く出た薄磯地区の画像でひばりの歌碑の建つところです。120名の犠牲者を出した原因の一つに遠浅の海岸で津波は来ないと信じていたことです。また、四倉地区のように防波堤が高くなく、まともに津波の被害を受けていることもあります。現在私もトラウマに悩まされることもありますが生きていることに感謝しています。
この冊子を見ると、わが町(いわき市四倉町)を襲った津波の高さは海岸から142mの地点で7.55mとわかりました。避難先から帰宅しても、玄関や窓ガラスの後片付け、倒れた家具や本棚から落ちた書籍の整理で、町の被害など見る気にもなれません。しかし、一か月半も過ぎると町の様子を見て歩きました。
冊子から頂いた画像はいわき市で一番犠牲者が多く出た薄磯地区の画像でひばりの歌碑の建つところです。120名の犠牲者を出した原因の一つに遠浅の海岸で津波は来ないと信じていたことです。また、四倉地区のように防波堤が高くなく、まともに津波の被害を受けていることもあります。現在私もトラウマに悩まされることもありますが生きていることに感謝しています。