父の日は父に感謝を表す日。アメリカのドット夫人が赤いカーネーションを母の日に贈ったことにならって、父親に感謝するために白いバラを贈ったのが始まり、1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッドが、男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月である6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。
我が家でも、例年にならって娘達から毎年プレゼントとして、希望の品やポロシャツを頂いている。
今年は、やませの寒さを予想してか、娘から厚手と薄手のポロシャツ2枚頂いた。少子高齢社会の日本では、老人を嫌がる「嫌老」の風潮がある中で、大変ありがたいことである。
しかし、人に何かして頂いたなら、それなりの対価を支払うべきと曽野綾子氏は「老いの才覚」で述べている。親子の関係では違うであろうと批判する方もいようが、私は、父から「親子の中でも金は他人」と教えられてきた。やはり、親子でも、して頂いたなら、それなりの対価をするべきと、いつも実践している。
そして、親子でも他人に物を贈げるとき、余ったものや不必要であげるのでなく、自分が本当に欲しいものをあげるよう心掛けている。娘達には、食事はもちろん、必ず会津の米や買えない手作りの野菜ジュースなどをご馳走している。
我が家でも、例年にならって娘達から毎年プレゼントとして、希望の品やポロシャツを頂いている。
今年は、やませの寒さを予想してか、娘から厚手と薄手のポロシャツ2枚頂いた。少子高齢社会の日本では、老人を嫌がる「嫌老」の風潮がある中で、大変ありがたいことである。
しかし、人に何かして頂いたなら、それなりの対価を支払うべきと曽野綾子氏は「老いの才覚」で述べている。親子の関係では違うであろうと批判する方もいようが、私は、父から「親子の中でも金は他人」と教えられてきた。やはり、親子でも、して頂いたなら、それなりの対価をするべきと、いつも実践している。
そして、親子でも他人に物を贈げるとき、余ったものや不必要であげるのでなく、自分が本当に欲しいものをあげるよう心掛けている。娘達には、食事はもちろん、必ず会津の米や買えない手作りの野菜ジュースなどをご馳走している。