福島民報8月23日Time「女優樹木希林さんに聞く」を読んで、体は借り物大切に使い、劇的幕引きはしないと。
今年カンヌ国際映画祭でパルムドール賞の是枝監督「万引き家族」で円熟した演技で観客を魅了する75才東京生まれ樹木希林さんは、2004年乳がんを告知され、13年には全身転移を告知した。しかし、乳がんの1年前に右目が網膜剥離に、この方がより絶望とそして自分の不自由さを学んだと。
女優には執着も未練もないが、是枝監督との仕事は最後と思って引き受けたと。18才で役者人生を歩み始めたのもたまたまで、薬科大受験を足の骨折で断念したからで、10年前マネージャーが亡くなり、留守電で仕事の依頼を受け、がんになってから撮影終わると台本は処分し、衣類など毎日1点は捨て、暮らしがさっぱりしている。
2005年に右乳房を全摘出、病院通いで一生を終えるくらいならと、抗がん剤は使わず、劇的な幕引きはしない。女優として存在感を持っていないといけないが、できれば孤独を楽しみたい。食欲が減って、お酒も飲めなくなった。自宅で一人で死ぬと、遺体が解剖されるので、訪問医療を受けました。屋敷は地球からの借り物、肉体も借り物、大切に使うために最後に解剖されたら嫌でしょうと。聞き手・写真は共同通信記者吉川愛。
がんを経験して演技が変わったという樹木希林さん、孤独を愛し、自然にわが身をゆだね、自分の最後をしっかりと見つめる生活に感動!
今年カンヌ国際映画祭でパルムドール賞の是枝監督「万引き家族」で円熟した演技で観客を魅了する75才東京生まれ樹木希林さんは、2004年乳がんを告知され、13年には全身転移を告知した。しかし、乳がんの1年前に右目が網膜剥離に、この方がより絶望とそして自分の不自由さを学んだと。
女優には執着も未練もないが、是枝監督との仕事は最後と思って引き受けたと。18才で役者人生を歩み始めたのもたまたまで、薬科大受験を足の骨折で断念したからで、10年前マネージャーが亡くなり、留守電で仕事の依頼を受け、がんになってから撮影終わると台本は処分し、衣類など毎日1点は捨て、暮らしがさっぱりしている。
2005年に右乳房を全摘出、病院通いで一生を終えるくらいならと、抗がん剤は使わず、劇的な幕引きはしない。女優として存在感を持っていないといけないが、できれば孤独を楽しみたい。食欲が減って、お酒も飲めなくなった。自宅で一人で死ぬと、遺体が解剖されるので、訪問医療を受けました。屋敷は地球からの借り物、肉体も借り物、大切に使うために最後に解剖されたら嫌でしょうと。聞き手・写真は共同通信記者吉川愛。
がんを経験して演技が変わったという樹木希林さん、孤独を愛し、自然にわが身をゆだね、自分の最後をしっかりと見つめる生活に感動!