21日午前10時半野口雨情記念館へ、観光バスが来ており、コロナで入場は諦め、前庭の子供の像に近づくと「シャボン玉」が出てきて、思わず「シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだ・・・」と唄い始めていた。1914年32才で湯本「柏屋」に逗留、「赤いくつ」や「七つの子」を作詞した野口雨情記念湯本温泉「童謡館」がある。
茨城磯原生まれの雨情の本名は英吉(1882~1945)東京専門学校中退、早稲田詩社結成、民謡童謡の作詞、十五夜お月さん、船頭小唄、波浮の港は有名である。この船頭小唄の思い出に, T病院で船頭小唄をハーモニカ演奏すると、集まった人から、拍手喝さいを受けた。
しかし、記念館では「シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだ屋根まで飛んでこわれて消えた シャボン玉消えた飛ばずに消えたうまれてすぐにこわれて消えた 風風吹くなシャボン玉飛ばそ・・・」1922年野口雨情作詞、1923年中山晋平作曲を選んだ。
茨城磯原生まれの雨情の本名は英吉(1882~1945)東京専門学校中退、早稲田詩社結成、民謡童謡の作詞、十五夜お月さん、船頭小唄、波浮の港は有名である。この船頭小唄の思い出に, T病院で船頭小唄をハーモニカ演奏すると、集まった人から、拍手喝さいを受けた。
しかし、記念館では「シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだ屋根まで飛んでこわれて消えた シャボン玉消えた飛ばずに消えたうまれてすぐにこわれて消えた 風風吹くなシャボン玉飛ばそ・・・」1922年野口雨情作詞、1923年中山晋平作曲を選んだ。