ブログ仙岩

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大石邦子「待合室で」を読んで

2022-04-12 04:37:07 | エッセイ
3回目のワクチン接種で、今年初めての外出、屋根からの雪で庭の形さえ分からくなっている。
願いかなって朝9時に来て除雪してもらうことができたが、家を出て見ると、
純白の世界が拡がって、つい雪との生活の苦渋さなど忘れたかのように、白く美しい世界に胸がときめいた。
診療所までのわずかな時間だが、車窓右手に、磐梯山が聳え、雪の飯豊連峰、その左手が明神ヶ岳である。
亡母が元気だったころ、夕方になると私の車椅子を押しながら、明神ヶ岳の方向に歩くのが常だった。
春には、イヌフグリやハルジオンの花など摘んで手に載せてくれ、夕日も美しい思い出である。
今回もそんなに待たされることなく接種が終わり、15分の安静を言い渡されて待合室に入った。
隣の席には一人では歩けないお年寄りがかけていた。そこへ息子さんらしい人が迎えに来た。
彼はおばあちゃんを抱きかかえて立たせると、向かい合うように両手を繋ぎ、おばあちゃんの震えるような小さな歩幅に合わせて歩き始めた。
私はおばあちゃんの手を引いて、車までゆっくり後ろ向きに歩いてゆく彼の姿に涙が零れそうだった。
あの家族には、おそらくお父さんの子供、孫もいて、おばあちゃんを大事にする姿をいつも見ているに違いないと何故か強く思われ、苦しいくらい胸を打たれた。
心が浄められると、私は優しい娘ではなく、思い通りにならないと苛立ち、何時も亡母にぶっつけていた。
その悔いが、人の優しさに触れる度に、ますます深くなってゆくが取り返しは出来ない。
心の裡では詫びており、頑張って生きているから、と。
自分の切ない体に苛立ち、「親を思う心にまさる親心」への感謝の気持ちがありありと伝わってくる。仙岩ももらい泣きをした。
写真は、4/12福島民報より、3年ぶりにライトアップされ幻想的な姿の三春滝桜。11日午後6時55分ごろ。