常磐炭鉱の石炭燃料を目的した1955年に東京電力と東北電力の共同火力発電所は57年1号機が運転開始、順次2~6,7~10号機が発電していった。
現在は、1~6号機が廃止、気力発電(石炭・炭化燃料・木質バイオマス)7~9号機25万W,60,60、10号機石炭ガス化複合(石炭)25万Wで、合計170万W,697,000 平方メートルの敷地で、運転している。
二酸化排出ガスゼロを目標にしているが、今後火力発電所はどうなることやら?
春には河津桜花見などでお世話になっているが。写真は21日花貫渓谷紅葉狩りの帰路撮影。
現在は、1~6号機が廃止、気力発電(石炭・炭化燃料・木質バイオマス)7~9号機25万W,60,60、10号機石炭ガス化複合(石炭)25万Wで、合計170万W,697,000 平方メートルの敷地で、運転している。
二酸化排出ガスゼロを目標にしているが、今後火力発電所はどうなることやら?
春には河津桜花見などでお世話になっているが。写真は21日花貫渓谷紅葉狩りの帰路撮影。
21日午前10時半野口雨情記念館へ、観光バスが来ており、コロナで入場は諦め、前庭の子供の像に近づくと「シャボン玉」が出てきて、思わず「シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだ・・・」と唄い始めていた。1914年32才で湯本「柏屋」に逗留、「赤いくつ」や「七つの子」を作詞した野口雨情記念湯本温泉「童謡館」がある。
茨城磯原生まれの雨情の本名は英吉(1882~1945)東京専門学校中退、早稲田詩社結成、民謡童謡の作詞、十五夜お月さん、船頭小唄、波浮の港は有名である。この船頭小唄の思い出に, T病院で船頭小唄をハーモニカ演奏すると、集まった人から、拍手喝さいを受けた。
しかし、記念館では「シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだ屋根まで飛んでこわれて消えた シャボン玉消えた飛ばずに消えたうまれてすぐにこわれて消えた 風風吹くなシャボン玉飛ばそ・・・」1922年野口雨情作詞、1923年中山晋平作曲を選んだ。
茨城磯原生まれの雨情の本名は英吉(1882~1945)東京専門学校中退、早稲田詩社結成、民謡童謡の作詞、十五夜お月さん、船頭小唄、波浮の港は有名である。この船頭小唄の思い出に, T病院で船頭小唄をハーモニカ演奏すると、集まった人から、拍手喝さいを受けた。
しかし、記念館では「シャボン玉飛んだ屋根まで飛んだ屋根まで飛んでこわれて消えた シャボン玉消えた飛ばずに消えたうまれてすぐにこわれて消えた 風風吹くなシャボン玉飛ばそ・・・」1922年野口雨情作詞、1923年中山晋平作曲を選んだ。
「モントリオール」です。この街には思いでがある。ケベックでの国際会議に参加、途中での小旅行で、モントリオールへ出かけた。
その時、街の近くに来ると、1976年の五輪会場スタジアムが遠くから見える。生バンド演奏の食事もいい思い出である。写真は21日の阿弥陀堂。
その時、街の近くに来ると、1976年の五輪会場スタジアムが遠くから見える。生バンド演奏の食事もいい思い出である。写真は21日の阿弥陀堂。