オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

三次~尾道へ

2015-10-29 | Weblog

10/29(木) 昨日の午前、広島空港から三次市布野の「中村憲吉 記念文芸館」に向かった。中村憲吉は、大正から昭和初期のアララギ派の歌人であったそうな。そうなとは、頼りない言い方だが、不明にしてこれまで知らなかった。

今回の旅は、この「中村憲吉 文芸館」の創立に尽力をされ、現在は非常勤の館長を務めるN社のOB・MASUIさんの取材であった。現役退職後の暮らし、そして文芸館建設に至る活動、その生き方についてインタビューし、紹介をすると云う企画である。

Mさんが、情熱を燃やして取り組んだ歌人、中村憲吉についても当然触れることとなる。この布野村(現在は三次市と合併)の素封家に生まれた憲吉は、旧制七高時代(鹿児島)に短歌の世界に入る。そしてアララギ派の歌人伊藤左千夫に師事し、土屋文明・斉藤茂吉・島木赤彦らと交わる。

中村憲吉全集・四巻が岩波文庫から発刊されているが、恥ずかしながら未だ手にしていない。憲吉は昭和九年、転地療養先の尾道(千光寺のすぐ下に旧居跡が残されている)で、四十六歳の生涯を閉じている。

                     

そんな次第で、生地の布野、尾道とその足跡も訪ねようとなったのである。生家は地主・山林王・醸造元であったそうで、記念館として残された旧居は立派な佇まいを残していた。遺族から寄贈された当時は荒れ果てていたそうだが、関係者の尽力により歴史を・往時を偲ぶことが出来る。

Mさんに記念館を案内頂き、丁重な説明を受けた。それだけでも、Mさんがふる里・布野を、憲吉のことを大切にされていることが分った。取材後、取材チームは尾道へと向かった。ホテルに着いた時は、夜の帳が下り、街は灯りに輝きはじめていた。

 

取り急ぎ、今日はここまで。明日は「白骨温泉」へと一泊のバス旅行だ。またしても酒か・・・・。

 

 

 

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