オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

牛焼き&茄子味噌炒め

2015-10-01 | Weblog

10/1(木) 昨夜の帰宅は23:30分と、夜の部を自重して早い帰宅に勤めた。夕方から、情報誌のインタビューでWATANABE  KAZUO氏に来社を願った。17:30~19:00まで話を聴いた後、近所の鰻の名店「高嶋家」に席を移しして懇談。

氏は、大手電機メーカに勤務後、アメリカ駐在中に触れた社会貢献活動に目覚めて、その世界では理論から実践に至るオーソリティである。大学での教職・社会福祉施設の役員、各地での講演会活動と、幅広く活躍されている。話しの中で『一流会社に勤務、香港やアメリカの子会社のトップを務められ、順風満帆の人生に見えますが』と水を向けると・・・・。

「そう見えますか?そんなことはないですよ。サラリーマン時代には讒訴されて辞表を出したこともある。現地法人のトップ時代は文化の違いから様々な摩擦に苦労がありました。いろんな場面で挫折がありましたよ。先月は、息子の急逝。これまで人生は平坦じゃなかった。辛い目に遭う度に目が覚める。先人たちが残した言葉を教訓に、その度ギアチェンジしているようなものです」とのこと。

難病で苦しいリハビリがつづいたことも承知はしている。それでも元気な姿しか、私には残っていない。「長男の突然の死、という悲しさを味わったことで、心からありがとうと云えるようになった」「残された時間が少ないことに気が付くと、有意義に過ごすことに思ひが至った」と、語った。

哀しさや苦しさが、人を成長させる。これは間違いないようだが、それを乗り越えようとする人にだけ通じる道であろう。八十年に渡り、山谷を越えて来たNABEさんだからこそ、言える言葉だった。

鰻屋での懇談が終わった後は、次の席にお誘いするのを止めて別れた。「明日納骨」と云うことを聞いた故に。

一人で「ローカーボ」に入ると、昼に「神田まつや」でランチを一緒にしたマッチャンが居る。その隣はHOYA兄さんだ。何時ものメンバーが、何時ものように元気一杯に気焔を吐いていた。我も合流だが、前夜の大食いと昼間の天蕎麦、先ほどの鰻重と、栄養補給過多でエンジンは低調・低速のままであった。

HOYA兄さんが客引きしたという、某有名下着メーカーの女性スタッフから名刺を頂いたが・・・・。喰い過ぎたらいかんぜよ!

早々に「ちゃっぷく」へと移動した。勿論三人でだが、ここでもエンジン不調で、赤ワイン二杯にとどまった。次の店「おたぬき」さへと流れた二人と別れ、帰路についたのである。

 

で、今朝と云うか払暁の午前四時半に目覚めてしまった。幾らなんでも早いだろう・・・。無理に目を瞑り、時の過ぎ行くのを待った。結局、六時から弁当作りとなった。

鍋飯を炊き、長茄子の皮を剥いて味噌炒めに。牛小間の炒め物、南瓜を少し煮る。土佐竹輪に胡瓜を詰め、昆布巻き蒲鉾とでワンセット、最後に、定番の卵焼きを作ってお仕舞にした。

                   

 

ご飯の上に、海苔佃煮を載せて完成である。  

                        

 

 

 

 

 

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