オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

一週間ぶりに・・・

2016-09-23 | Weblog

9/23(金) 今朝は一週間ぶりの弁当を作りとなった。そんなことでか、目が覚めたのは五時前。電気スタンドもラジオも点けたままで眠っていたのだ。こう云う朝の寝覚めはスッキリとしないのだが、そんなことは言っておられん。弁当作りだ~、なのだが、体調が整うまで小一時間も蒲団の中であった。

六時ごろから弁当作りとなった。今朝のメニューは、前夜想定したチンジャオロースから急遽変更し「ピーマンの肉詰め焼き」「鶏唐揚げ」となった。冷蔵庫の中を見ているうちに気が変わったのだ。他には、厚焼き玉子と春雨サラダ、塩秋刀魚焼きである。

                   

ご飯の方は、新米(福井産コシヒカリ)と云う手もあったが、未だ昨年の米が二・三升残っているので、これから始末をつけることにした。新米といえば、帰省中に刈り入れが終わり新米を口に出来るかと期待したが・・・、台風襲来などで刈り取りできたのは少しだった。尤も私の作業ではないが・・・。

                         

帰省中は、着いた16日が曇り&晴れ。翌日は朝の内に少し降ったが、九時過ぎると晴れてきた。刈り入れが出来るかと思ったが、三時間ほどで、また雨が落ちてきたのだ。午前中に稲刈りの手伝いでもと思い田圃に行ったが、機械化で大した出番はない。田圃の中から這い出してきたマムシを捕まえようとしたが逃がしてしまった・・・。田圃から早々に引き上げてミカン畑の草刈に徹した。

                       

祝日の月曜日も朝から雨、それも本降りだった。昼前に小雨になったので、連れて行った孫のSORAと動物園に行く。「野市動物園」と云うのが香南市の山裾に在り、車で一時間ほどの場所だ。そこへ初めて行った。天候不順の所為か入園者は少なかった。園内はゆったりとしており、象やライオン・トラは居ないが居心地のいい動物園であった。

                     

いたずらっ子のSORAは、云うことをきかない。アイスやジュースを欲しがり煩い。『まったく、誰に似たんだこいつは?』そんな気分で、歩いていたら出口が判らなくなり往生した。

                         

                         さて、これらの名は?

深夜から大雨、愈々台風の襲来?。風も強くなってきた。TVで台風情報を見るがどうもよく判らん・・・。明けた火曜日の昼過ぎまで風雨強し。刈り入れ前の稲穂が心配になるが・・・、こればかりは人智の及ぶ処でないのだ。午後三時過ぎ、雨風が止んだ。直撃するかと心配したが、少し逸れたようだ。夕方になり、陽が射してきた。田圃の稲穂も助かった、墓に供えたシキビも花も残っていた。SORAを連れてきた昨年の夏も台風が来た。どうやら嵐を呼ぶちびっ子らしいぜ・・・・。

                        

                     これじゃ、鮎漁も暫く駄目だ・・・

 

余談ながら・・・

前夜、熊本から上京された地球市民の会・SATO会長と上野駅前の居酒屋で懇談。故古賀会長の出版企画のこと、会長が歩まれた前半生を伺い、人生の森羅万象について語りあった。と、いうより拝聴した。

波乱万丈の人生を、花盛りの道から路地や裏道まで渡ってきただけに味わい深いことを語られる。SATOさんが心掛けているのは、「志を掲げて生きると、欲を捨てる。ありがとうの心」だと云う。俺にはとても出来そうもないが、そう生きることができれば、さぞや平穏であろう・・・・。話された中の一つに「乳児の時は肌を放すな。幼児は手を放すな、大きくなれば目を離すな。大人になれば心を離すな」そんな格言のようなことを言われた。さもありなん。

懇談の後、人形町に戻り悪徳不動産のマッチャンに会い移転事務所のことなどを訊きながら、一献。一献交わすのが先で、事務所のことはついでか?。HOYA兄いが出勤しているはずだと連絡を入れると、祝日の二十時過ぎにかかわらず、未だ仕事をしていた。見上げたものだ・・・・。

ほどなく兄いも加わり、十月二日三日(日・月)予定の三浦半島小旅行のことなど打ち合わせた。結局、居酒屋を出たのは二十二時を過ぎていた。これじゃ、平日のパターンと変わらない。水曜日に帰京、その夜も人形町に来ている。すっかりここの水が合ってしまったか。仕舞った?。

 

 

 

 

 

コメント
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