オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

歌姫

2016-09-28 | Weblog

9/28(水) 週明けから東京の気温も上がり、蒸し暑くなってきた。今日の夕には来客予定だが、それにもめげずにアロハシャツで出勤した。基本的に、外出予定がなければ夏場はラフな格好なのだ。客人には勘弁願うしかないと思っている、ええ加減なオヤジである。ネクタイの締め方も忘れちまったよ!

昨晩、銀座の某所で私が歌姫と密かに呼ぶ「橋本葉子」さんと、ダーナの歌の共演があった。一月以上も前から案内が来ていたので、義理堅くも顔を出した次第。歌姫の唄とピアノを初めて聴いたのは、赤坂・東急ホテルにあったBARラウンジ「マルコポーロ」だった。あれから四十年余の年月が流れたことになる。

昨晩のステージは、歌姫とダーナの会なのでほぼ満員の客たちは年配者揃い。歌姫の経歴が長くなればなるほど、客も齢を重ねる。どんな商売も同じだが、今回は銀座でのステージとあってか、集客に力を入れたようだ。

ミュージックチャージが4000円だったが、この内の7~8割が出演者の取り分であろうか・・・、満席のテーブルを見回してそんな下らないことが過った。貧乏オヤジの考えることはそんなこったよ!

独りで行くのはつまらない、そこで急遽、人形町パトロール隊のHOYA兄いに同伴を願ったところ、快く付き合ってくれた。ワンステージ目が終わる直前に店を後にした。聴いてるだけじゃつまんねぇだろうと、銀座で唯一顔を出す店「順」へと誘った。暫らく来ていないと店を探すのに往生する。ましてや、店が移転してから二三度しか顔をだしていないのだ。

六丁目のクラブに漸く辿り着いたら、客の姿はなかった。年初めから体調を悪くしているママさんの姿もなし。馴染のスタッフに訊くと、週に一二度、それも短い時間だけ顔を出せるようになっているとのこと。そんなことを話していると、ママからの電話が店に入った。受話器が廻ってきたので、その後の様子など聞き激励。大人なら、見舞いの袋など置いて行くところだろうが、そんな気の利いたことはすっかり忘れていた(尤も財布の方も乏しかったが)。

                        

                      ピンボケのダーナ     NGO活動のHARUKA

客の姿が無いのを幸いに、HOYA兄いに何曲か唄ってもらった。アルバイトか本業か判らないぐらいに長くなった画家の卵(以上かも?)のMOEに『十月にベッタラ市と云う人気の祭りが人形町であるよ。ママさんと来てみたら』と誘ったが・・・・。やがて客も姿を見せ、切り上げ時刻の十時も近くなった。頃合いだと二人して腰を上げた。新橋駅に向かうHOYA兄いと左右に別れてメトロ銀座駅へ。良い頃合いの帰宅であった。

昨夜二軒の銀座は、いわば義理立ての顔出しのようなものだ。楽しく飲めるのは、なんと言っても人形町になった。それも安酒場でオヤジ連を肴に飲む酒が一番だ。気心が知れ、酸いも甘いも分った人生経験の豊富なメンバーと飲む酒がいいね・・・・。俺もとうとう枯れ芒か・・・・、船頭小唄を持ち歌にするか。

昨晩の帰宅後はシャワーを浴びて汗を流し、CDから流れる音楽を聴いて一日の反省をする。明日に備えて考えをまとめ、方針を立てる。そんな気の利いた時間を持てばいいのだが、音楽といえば「ちあきなおみ」、方針や計画といえば弁当のこと。この夜もとんだ自堕落オヤジ振りだった。それでも、前夜の轍を踏まないように、音と灯りを消して眠りに就いたのである。

その成果か、今朝の目覚めは心持よかった。五時半頃の目覚めであろうが、暫く蒲団の中で弁当メニューなんぞを考えていた。食材が乏しいのは承知、その中から何をメインにするか、然らばサイドメニューは何に? 一応はそんな風に考えるのだ。

纏まりきれないままであったが、「蓮根挟み揚げ」を中心にしようと台所へ・・・。処が、ところが蓮根が無い!使われてしまっていたのだ。しまった!だが、遅かりし由良の助だ。メニュー変更、仕切り直しとなった。

                           

魚は鮭・タラコ焼きと、メカジキの照り焼き。春雨の胡麻タレ和えサラダ。冷凍で出来合のチキンカツ、最後に卵焼き、となった。これだけでも、小さなお弁当箱にとっては、収容するのに一苦労である。

                         

少々お味見をしたが、いずれも上々味であった。タレやソースにひと手間掛けただけのことがあったネ

                     

 

 

 

 

 

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