オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

「古賀武夫伝」

2018-01-16 | Weblog

1/16(火) 昨日の午後、一つのレターパックが机の上に届いた。待ち望んでいた古賀さんの伝記であることが、差出人の橋本和喜氏の名と、パックの重量感で判った。出版が決まったのは平成26年の晩秋も押し詰まった頃であった。ライターは橋本さん、出版社は福岡で地道ながらも良書を出し続けている「石風社・福本社長」にお願いすることになった。

翌春の「武桜祭」(古賀武夫の生誕祭)から取材が始まり、三年あまり橋本さんにはご苦労を掛けた。初稿・二稿を経て今回で三稿となるが、これで出版にこぎつけられるであろうと確信する。古賀武夫の幼少期から留学、佐賀日仏会館から地球市民の会へと発展し、人々の平和と国際交流の意義を説き活動に邁進した稀有なる人物「古賀武夫」の伝記である。

                    

笑いと涙、いひゅうもんと呼ばれながら真実の平和を、人間としての生き様を探究した実践家「古賀武夫」、その人生が漸く日の目をみる時が近づいた。橋本さんには、体調が悪い中をご無理をさせた。時には酔っ払って電話もしたが、今、心中からご苦労様でしたと伝えたい(これは本になってからがいいかな・・・)。

原稿量は文字数にして25万文字以上である。古賀武夫は、昭和二十五年三月二十八日佐賀市に生誕、平成二十年三月十八日肝臓癌悪化により不帰の人となった。逝去の一ヶ月ほど前に貰ったメールは「ホスピスに入院したが、まだまだ元気。ご心配なく」であった。桜の頃に会いに行きます、と返信をしたが、蕾だった桜の時に佐賀に向かうこととなった。

逝去から丁度十年、彼の伝記が世に出て行く。深くかかわってきた者として嬉しく思う。肩の荷が一つ下りるが、肩は両肩ある。もう片方から荷が下りるときが、長年暮らしてきた東京での潮時になろう・・・・。もう一つ大荷物?小荷物?か、肩ならぬ背中に背負っているものがありそうだが、どう荷下ろしをするか、思案六方だな。

いいやつ、面白い男ほど早くに旅立つのであろうか・・・・。アホな奴、間抜け男のオイラなんぞにゃ、中々お呼びがこねぇ・・・・・。

 

で、昨夜は気分よく酒場へと・・・・。遅れていた一月の「セイジュ会」の例会である。が、その前に「高松」に来ているUSUI老のお相手を軽くしなきゃならなかった。要は勘定方のお役目だ。店に行くと満席だったが、老は常連のお姉さんを前にして機嫌よく飲んでいた。

会うたびに、口から出るのは「高知へ行く」ばかりだ。昨夜は、四十八か所のうち、高知には十六ヶ所あるんで、これを車で廻ろう」が加わった。何がなんでも高知へ! が、口癖になっている。昨年夏、一緒に来たスタッフのF&Tにも今年も行くぞとやかましい。こっちはその都度『来なくてもいいから』を連発するのだが、馬耳東風とは老のことである。

相席している女史が、渡嘉敷島のハーフマラソンにでるので日曜日に20km走ったという。そんな話の中で「お腹が出ちゃって。胸は出てないのに」なんて話になった。老は「腹が出てるていうのはこんな腹をいうんだ」とジャンパーのファスナーを下ろして腹を出した。隣に女史が立って腹比べをはじめた。

                         

                         お腹比べ

女史に向かって『マラソンやるから、胸の肉が落ちて腹で止まってんじゃねぇか?』なんて、余計な言葉を吐きながら二人の腹を写メしたのだ。勿論手前が老のお腹さ・・・・。与太話をしていると、AOKIとHOYA兄いが姿を見せたが、もう椅子もない・・・。

更に込み合ってきたので、席を立つことにした。「セイジュ」へと向かう。マイバスで摘みと氷・炭酸を仕込んだ。ウイスキー(角)は、ランチタイムにハナマサで2.7㍑瓶を仕入れてきたのでこれで万全だ。

「セイジュ」に着くと、丁度店を開けたところ。早速、AOKIが会費徴収担当になってお金と引き換えに会員証に収納シールを貼る。銭には厳じいんだ。いっかいくらい見逃してくりゃしゃんせ・・・・・。YOSHIOの来るのが遅い、ウイスキーを持たしてあるんだが・・・・。

前に置いた熟柿(芋焼酎)と、ママさんに頂いたある50°のニッカウヰスキーをショットグラスで飲み始める。「ローカーボ」で、濃~いハイボールには慣れているが、50°のストレートには胃も驚いたことだろう。カウンターを占拠し、カラオケが始まる。も、今宵の小生は何故か気分が乗らないのであった。

一時間半ほどで、独り先に出た。帰るつもりでいたが、「ちょっぷく」の灯りを見てちょっくら顔出しをすることにした。赤ワインを飲みながら、同席した客と適当な会話が・・・。「お仕事はなんですか?」と訊かれたので『社名の如く、自然食品などを商っております』なんて、酒場話を盛り上げていたら・・・。

その中の一人が、デザイン・WEB系の専門学校で指導しているとのことだ。名刺を貰ってよくよく学校名をみると、聞いた名前だ。うちのスタッフOGAWAが通った学校であった。貰った名刺の名前は「金」とあったので、韓国ですか?と訊くと「中国の瀋陽です」との応え。調子にのって『じゃあ、中国の朝鮮族ですね』と。更に『何十年先になるかはわからないけど、朝鮮半島と中国の朝鮮族が一つの国になる可能性がありますね。何時かそうなるでしょう』なんてことをお告げしたのである。

そうこうしているとHOYA兄いが姿を見せた。「セイジュ」の騒音に耐えかねたか?。一杯飲んでから、今度は「ローカーボ」へと向かうことになった。

「ローカーボ」のカウンターの中にRYOKO嬢が立っていた。今夜から、週一でバイトに復帰とのことであった。優しいオジサンたちはお嬢にご馳走するであろうから?店の売り上げもアップか・・・・・。常連客を相手にひとしきり盛り上がる。HOYA兄いがシャンパンを一本奢り、相客にも振舞った。

                    

今宵も人形町の夜は更け行き、賑やかであった灯りも消えてゆくのであった。学芸大学駅に着くと零時をまわっていた。改札前の東急ストアで、弁当用の買い物をしてからの帰宅となった。

そして朝、お目覚めは七時前と遅かった。が、飯は前日の残りが沢山あったので、これで「炒飯」と云うことになった。今日は二人分のお弁当を用意する。

菜の方は前夜に買った「生鮭のバターソテー」「野菜とパスタのサラダ」、これだけじゃ淋しいかろうと「タマネギと牛小間の炒め物」を追加した。チャーハン用に人参・ピーマン・タマネギを刻んで炒める。卵二個を落として飯を炒める。

                     

そんなことで弁当の準備が整ったが・・・・・。長女が来ない?どうしたんだ?なんて言ってるところに電話が入った。「遅くなっちゃたので、タクシーで仕事に行きます」とのことだ。加えて「お弁当あったら取っといて、SORAの分もあればお願い」とのこと。夕食にしようとの魂胆だろうが、それにしてもタクシー?。

俺もサラリーマンの現役時代には、度々やったな・・・・。娘もオヤジに似ちまったか。嗚呼~。弁当三っ、用意したのは云うまでもないが。

                     

 

 

 

 

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