8/10(土) 曜日の感覚もなくしたような素浪人生活ながら、酒場を徘徊する癖は健在である。木・金と酒場巡りであったが、木曜日は料理研究家・JIN先生のご主人で、通称JINパパとご一緒した。パパの行きつけの「こんね」と云う対馬居酒屋で、田町の慶應通り商店街にある店。
しっとりとした古民家風の店づくりで、創作料理を出してくれる。アルバイトの女性は割烹着姿で、これが店の雰囲気にマッチしている。大人が落ちつける店である。ビールやハイボールの合間に、故郷の酒「南」を置いているのでこれも頂いた。
二軒目は銀座「順」にてハイボールを飲み、この日の徘徊を終えた。パパを自宅まで送り、そのままタクシーで帰宅した。この日の酒代などは、田町に向かう前に居た平和島のボートレース場から資金を引き出せたのだ。芸は身を助けるのお手本か?。
そして昨夕は、月末に来高するメンバーUSUI老・YOSHIO・FUJIKURA君とスケジュール確認を兼ねた懇談。先ずは「高松」にて老と合流した。来月沖縄に同行するカップルが丁度居合わせたので、立て替えてもらったホテルの代金を支払った。高松ではグラス生ビールから、金魚割を飲む。
二時間程待って漸くYOSHIOが来るも、一杯だけで河岸を変える。と云うのも、客足が絶えない店なので、長居をしちゃやいけない。常連は我がままも云うが、引き際を心得るべし!。
二軒目の「ちょっぷく」に入ると、丁度地方競馬の最終レースが始まる前であった。YOSHIOのスマホで出走表をみて、マッチャンの口座で買ってもらう。ホッピーを飲みながらなスマホで中継を見る。なんとこれが当たった。そんなことで、この日も飲み代とホテル代がチャラになった。人間、善行を積めばいいことがあるものだ?。
漸くFUJIKURA君が姿をみせた。忙しいようだ・・・。ながら「仕事の仕切りが悪いんじゃないか」などと雑言を吐くが、素直な彼は「そうなんです」と、弱気だった。
最後に「うまし」へと移動して飲みなおす。奥のテーブル席で飲んでいると、ローカーボ仲間だったERIちゃんが姿を見せた。明後日、転勤で故郷の金沢に戻ると挨拶された。金沢が本社の会社に勤め、東京営業所に勤務していた。実家も金沢なので良かったろう。携帯番号を交換したが、掛けることも掛かってくることもなかろう・・・。
YOSHIOとFUJIKURAに見送られてメトロに乗った。中目黒駅で東急電車に乗り換へると席が空いていた。こんな時間に席が空いているのは希なことだが。お盆を前にして移動が始まっているのか。座ったはいいが、電車は一向に動かない・・・。
学芸大学駅で事故があり、暫く停車しますのアナウンスが流れたまでは記憶がある、次に気が付くと隣の祐天寺駅だった。いつの間にや眠り込んでいた。次の駅で降りるのだが、乗客の「一時間まった」の声が聞こえた。駅の改札前の時計が24時35分を指していた。
ここに至って一時間も眠り込んでいたと、気付いた次第。然し座れて眠り込んでよかった・・・危うく乗り過ごす危険はあったが。酒での失敗は枚挙に尽きないが、この夜はラッキーだったようだ。
金曜日の弁当を最後に紹介する。ピーマンの肉詰め、茄子みそ炒め、秋刀魚の開き、卵焼きであった。孫のSORAの弁当も頼まれていたが、これは胡瓜の塩揉みにウインナー、卵焼きと小さなハンバーグである。