オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

草刈り終える

2021-07-27 | 弁当

7/27(火)夜明けまじかまで目覚めていたが、六時過ぎから気づけば二時間近く寝ていた。陽が上がる前にミカン畑の草刈に出ようかと思っていたが、さにあらず眠った次第。

朝食を終えて一休みしてから草刈りに出掛けた。既に十時を過ぎた時刻であった。取り敢えず正午まで草刈りをして刈り終えなかったら、後日にするつもりでいた。

処が、思いのほか捗って正午の時刻には、わずかに刈残しただけであった。こうなれば全部終えるしかない。ひと踏ん張りしたのである。

すっかり綺麗になったミカン畑で、命の水で喉を潤しながら一服する気分は爽やかであった。

           

これでお盆過ぎまで草刈りはしなくていいはずだ・・・。

家に戻って汗ビッショリの衣類を洗濯機に放り込み、シャワーを浴びて一息ついた。冷えたビールと行きたいのを耐えて野菜ジュースにした。

シャワー後のビールを我慢したので、代わりに夕刻から庭先でビールを飲むことにした。水撒きをして、蚊取り線香に火を点けてパラソルの下で冷えた缶ビールと、缶酎ハイを頂いた。摘みは、隣の畑から直送の野菜の天婦羅だった。

先ずは課題を済ますことができ、めでたしめでたしの一日になりました!。然し、暑うございました。

  

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逝きし人を偲ぶ

2021-07-27 | 弁当

7/27(火)火曜日の夜明けが近い時刻。深夜に目覚めたままTVとラジオを点け、夜明けを迎えようとしている。

数日前、企業研修を営むKAWASHIMA氏から暑中見舞いのハガキが届いた。氏はご丁寧にも年賀と暑中見舞いを欠かさない。届いたハガキの添え書きに、神宮寺さんが亡くなれたと記されていた。

驚いて氏に電話を入れると、神宮寺さんの奥様から六月に亡くなられたとの連絡を頂いたとのことである。神宮寺さんはKAWASHIMA氏の講師陣の一人でもあり、五人の仲間で八丈島に遊ぶ「八丈会」のメンバーであった。

神宮寺さんはお酒は全くダメながら、紙巻きのピースを吸い、釣りが大好きで島に行くときはメンバーで釣り好きのIWAMOTO氏と先乗りをして釣りを楽しんだ。

痩身で寡黙、説得力のある講師ぶりに、企業の研修生から絶大な信頼を得ていたと聞く。また、中南米の某国で冤罪で捕らわれた旧友の救出に奔走していたこともあった。筋の通ったかたであった。

 

一昨日、随分と久しぶりに或るホームページを検索した。料理店「きじの松田家」を営み、菊池市の山里でキジの飼育をしている松田彰三さんの近況を知るため、そのBLOG「松ちゃん日記」を読むべく。

処が、ホームページの冒頭にあったのは、閉店の知らせであった。なんと、松田彰三さんは昨年の12月に逝去されていた。驚いた。

自由闊達な人生、サラリーマンを退職後に熊本・菊池市の山里で第二のスタートをし、雉に出会ってその飼育と販路拡大に料理店を営む傍ら、過疎の地域住民としてその役割を全うされていた姿を「松ちゃん日記」を通じて知っていた。

キジの飼育、農業、地区代表としての責務、雉料理を食べに訪れる人々との交流、その殆どはBLOGを通じて知るが。お会いしたのは彼の地を訪れた三度だけであったが、旧友に会ったような気分にさせてくれる得難い人であった。

残されているBLOGは、昨年九月が最後であった。未だまだやりたいこと、やるべきことがあったであろう。残念である。

 

神宮寺さん、松田さんお二人とも私と同学年である。病気で先立たれたが、私も何時逝ってもいい歳になったと云うことだ。ちょっと早いか、遅いかだけであるが、未だ我が行く先は見えず迷えるままである。

夜が明けたようだ・・・。

昨日の午後遅く、日差しが柔らかになった頃にミカン畑の草刈を少しだけやった。未だ四分の三残っている。朝夕に少しづつ片付けよう。

         

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする