オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

散歩・・・

2022-03-11 | 弁当

3/11(金)今朝も弁当作りを終えてから、余った菜で朝食。ついついビールを手にしたが、暇人の習慣になったいる。来週からは田舎暮らしがスタートするので朝からビールを手にすることは殆どないはずだ!。多分!。

昨日の午後、急に思い立って散歩をすることにした。かつてよく歩いたコースを辿ることにした。

我が家から緩い坂を上がり環七通りに出てから南下。若いころに住んだ平町のこれも緩やかな下り坂を呑川緑道に至った。緑道の桜の蕾は未だまだ固いが春が近いことを示している。大岡山駅までを往復する散歩の想定時間は一時間とみたが・・・。

緑道を川下の大岡山は東京工大のある方向へと歩いた。よく歩いていた頃は、工大脇を抜けて洗足池まで行ったものだが・・・。早くも右膝が痛み出した。幼い子供たちが通っていた大岡山保育園は未だそのままの姿だが、これまでのルートにある家々、建物はすっかり姿を変えて綺麗になっており昔の面影を残していない。

                 

緑道から急な登坂になる道を大岡山駅方向へと向かった。長女が赤ん坊の頃に預かってくれ、お世話になった家も何処にあったかさえ分からない。大きな桜の街路樹も切られて数本の若木だけになっていた。

草臥れてようよう大岡山駅前に着いたら一時間が経っていた。懐かしい駅前の商店街は健在だが、店は様変わりしている。時々行った中華店も青果店ももうない。駅は地下になって綺麗になった。駅前の工大だけは変わらない。

                  

駅前から環七通りに至る商店街を歩きながら昔のことを思い出すされる。長女と同級生だった女の子と親の八百屋勤めのご夫妻、亭主が女と逐電した洗濯屋の女将さんの嘆き、駅前の角の果物屋の兄弟、蕎麦屋の脇でバケツに入った出汁の鰹節を磨いていてた小僧たち・・・、全て消えて行った光景である。

歩きなれたかつての道と界隈、スタスタならぬヨタヨタと歩きながら帰路につく。途中に在るスーパー「イオン」に立ち寄り帰郷までの食材を買った。想定外の量になったが、これも何時もと同じだ。

帰り着いたときは四時をとうに回っていた。二時前に家を出たのだから・・・。それにしても我が歩みののろさよ!亀さんだね。膝を痛める前の倍の時間を要していた。

帰宅後は一休みしてから夕餉の準備だが、先ずは入浴して散歩の埃を落とした。今夕は長女一家が来ないので簡単に済ます。キャベツの丸ごとに煮、カツオの刺身、朝の弁当菜の残り物であった。これといって食べたいものがない。ひもじい思いをしている人には申し訳ないが、それが悩みだ。

「地球市民の会」で、ウクライナ支援の募金が始まったので募金した。副理事長のOONO氏に「やらないの?難民支援だろう」と発破をかけた手前もある。口は禍の元か?。

 

さぁ~、いよいよ弁当作りも月曜日を残すばかりだ。二ヵ月半の弁当作り休暇に入る前に、火曜日から本日までの弁当を順不同ながら紹介します。

         

            

 

 

 

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