12月20日(水)明日、今日する。とは云っても11月の初旬に短期帰京をしているので、久しぶりの感はないはずだが、一挙に真冬の到来で気分的には随分異なる。
ここ数日で山里は真冬になった。月曜日は氷が張り、野菜畑も一面に白くなっていた。
野菜畑の方は夏・秋・初冬と収穫をつづけてきたジャンボシシトウ・甘唐辛子を全て抜いた。白菜・キャベツ・ブロッコリとノラボウ菜が成長、レタスと水菜は程ほどの成長、遅くに種蒔きしたホウレン草やチンゲン菜・小松菜は芽を出したばかり。育苗した小さなタマネギの心配をしていたが、根付いたようだ。
これも遅く種蒔きした、小蕪・キャベツ・キヌサヤ・スナップ・エンドウにソラマメは春までにゆっくり育ってくれるであろう。
そんな状況なので、年明けの帰郷までの二十日間ばかりは放置する。昨日の雨の前の二日、ミカン畑で剪定などした。冬の間は野菜の方の手間がかからないので、新年早々はミカンや柿の木の手入れを本格化する予定。
この一年の野菜作りの経験、と云うより失敗を糧にして来年の野菜育成にチャレンジしたい。つくづく感じるのは「野菜作りも会社勤めも共通するな」である。手間暇をかけ、それぞれの個性を生かし、気長に取り組む。勤め人時代にできなかったことばかりのことが甦り、畑に遊ぶ日々。
ここ数年、晩秋から初冬にかけての習慣?「干柿作り」は一昨日最後の吊るし柿を取り込んだ。五十個ばかりであったが、本格的な冬の到来で黴も発生せず、吊るした日数も短く済んだ。今年は総じて柔らかな仕上げにしたこともある。一次、二次、三次と取り込みトータルで五百個を超えたであろう・・・。
雨が少なかったことも幸いしたが、雨の予報をみてはビニールカバーをかけ、物干し竿を二本も買い足しての結果である。
干柿作りを始めたのは父が亡くなってからであるが、数が多くなったのは仕事を辞めたこととコロナで田舎暮らしが本格化したことによる。
きっかけとなった父の命日は晩秋の11月18日である。来年は十三回忌、母は七回忌となるが、これも一つの節目である。
サラリーマン時代から続く人との交流、祭り、会合、野菜・果樹とのふれあい、全てが節目、節目の繰り返し。そんな中で齢を重ねながら、どのように変化していくのか?。己が決めていけばいいことながら、決めないのも一つの生き方であろう。自然体?。
では、新年にでも・・・・・。